第2話: 唯物主義者の落とし穴
2023/9/3 instagram投稿
私たちはまさに水晶に導かれてここまでやってきました。
私たちの人生に起きた変化は紛れもなく水晶の力によるものです。
(正確には水晶が増幅してくれた魂の力です。)
ですから、私たちは水晶の力を信じるどころか「知って」おり、その力を皆さんに伝える事が今の世をよくしていく事だと考えています。
ですが、なぜ水晶が私たちの現実を変化させるのか、理屈を考えていくとどうしてもこの世の成り立ちについて考えざるを得なくなります。
それは、この世は見えているものが全て、死んだらおしまい、人生には何の意味もない。
という唯物主義の方々の意見とは全く反対の考え方となります。
しかし私のように紛れもなく存在する水晶の力を感じてから、この力が存在するってことはこの世の中はこうなっているはずだ…と考えるまでもなく、唯物主義者が信じてやまない「この世」「物質」ってかなり怪しいという証拠がいくつもあるって知っていましたか?
今日はそのような唯物主義者の方への反証という内容を書いてみたいと思います。
唯物主義者の方って「目に見えるものしか信じない」「目に見えるものが全て」なんていうと思います。
(そもそも私は波動が合わないそんな人とはまず接触しないので想像です😅)
でも、そういう人たちが信奉してやまない「目に見える」ってそんなに確かなことではないということを知る必要があります。
目に見えるということは、光が物体に当たり、その反射光を網膜で受け取り、その刺激を神経が電気信号という形で脳に伝え、脳がその電気信号を物体として解釈しているということです。
そう。実際に物体を物体として解釈しているのはあなたの脳みそなんです。
脳みそは言うまでもなく一人一人違うものですから、目に見えたものが誰にでも同じように見えているかというとかなり疑問です。
そして注意しなければならないことは、光とは何かということです。
宇宙は電磁波という「波」に満ちています。
そして人間はある波長帯の電磁波を「光」と感じています。
ですがその光、実は電磁波全体の0.005%未満に過ぎないのです。
ですから「見えているものが全て」と思っている人は、この世に存在する電磁波の0.005%未満の情報(光)を見て「これが全てだ」と思っていることになります。
…書いているうちにだんだん滑稽になってきましたが😅、こんなふうに「見えているものが全て」とお考えの賢明な唯物主義者様たちは、とてもとても視野が狭いということがお分かりになりましたでしょうか?
ということで、「見えている」=「存在している」では決してないんだよということです。
次に二重スリット実験の話をしましょう。
私は大学で物理学を専攻していました。
物理学では「物質って波なのか粒子なのか」と長年に渡り議論されてきましたが、この二重スリット実験の結果はまさに「この世は人が存在することにより決まる」と言いたくなるような結果となっています。
進行方向に二重になったスリット(細い隙間)を設けて電子を壁に向けて発射してどこにその痕跡を残すかを調べる実験を行いました。
これは電子が粒子なのか、波なのかを調べるための実験です。
もし電子が波であれば、電子を一粒ずつ発射しても、波の証拠である干渉模様が壁にできるはず。
粒子であれば、どこかしらに発射した個数だけ着弾するはず。
そんな目論見の元に実験を行ったところ、驚くべき結果となりました。
誰も観察をしていない状態で実験を行ったところ、壁には干渉模様が残りました。
しかし、カメラで観察をしたところ、干渉模様がなくなり粒として痕跡を残したのです。
この結果は、人が観察する、しないで結果が異なるということを意味しています。
これはまさに人は創造主と私がたびたび申し上げている根拠となっています。
最後に、私たちが確たるものと信じて疑わない物質のハリボテぶりをご紹介して終わりとします。
物質は原子からできているとされます。
そして原子は原子核の周りを電子が周回しているとされていますよね?
ですが、原子核と原子の大きさを知ったらあなたはきっと驚かれるはず。
原子核をピーナッツの大きさとすると、原子は野球場ほどの大きさになります。
…なんと我々が確たるものと信じて疑わない「物質」の元となる「原子」はそのほとんど全てが空虚な空間に過ぎないのです。
この世の「物質」は私たちが思っているほど確かなものではないという事がお分かりいただけたでしょうか。
次話:第3話: 宇宙の実相