第5話: 素直に生きることを阻むもの〜後編
2023/9/6 instagram投稿
今日はなんで魂の声に従えないのかという話をしたいと思います。
「水晶に導かれて生きる④」でもお話ししましたように、本来であれば魂の思いに従って生きるのが最も成功しやすい生き方だし、そのような生き方で生きると情熱的に生きがいを持って幸せな人生を過ごす事ができます。
ですが、現実問題としてそのような生き方をしている人は稀です。
その原因は「自我」です。
本来「自我」は生存本能から生まれてきているものです。
そして自我は生存の危機を感じた時に自分に恐怖を感じさせ、死なないようにするのが役目です。
魂にとっても折角この3次元世界に現象化させた「自分」がすぐに死んでしまっては、その思いを叶えることはできませんから、自我は必要です。
ですが、自我の問題点は死に至らないような様々なものを避けるべきものとして蓄積してしまうことです。
また、以前もお話ししましたようにこの世は基本自我ベースで構築されているため、「無駄な自我」を蓄積しがちなのです。
それでは「水晶に導かれて生きる④」でご説明した理想的な魂と自分の関係(図1)に自我はどのように関わってくるかご説明しましょう。
それでは図2をご覧ください。
自我は本来の自分の周りを取り囲むように蓄積されていきます。
今の社会は自我ベースで構築されていますので、親や教育、友人などと普通に付き合っていると自我がどんどん肥大化していきます。
中でも最悪なのがテレビです。
テレビは恐怖の塊のような情報ばかりを伝えてきますので、うっかり見ていると自我はどんどん大きくなっていきます。
また社会自体が自我で構成されていますので、会社や学校といった社会環境からも自我は育ちます。
さらに想像力の豊かな方は類推やその豊かな想像力を使って自力で自我を育てたりします。
(例:親がそっけない応答をした。実際は親は忙しかっただけなのに、自分は嫌われているに違いないと思い込むなど)
ということで、私たちは自我自我自我の環境の中に生きています。
従って「この世は自我ベースで構築されているので、その中に取り込まれないように注意すべきだ」という明確な意思がなければ、どんどん自我は大きくなってしまうのです。
そして自我が大きくなると、「魂の思いに従って生きる」ことは大変困難となります。
それでは次に図3を見てください。
この図は自我が育った時に魂の思いはどうなるかを表したものです。
まず魂は感動や違和感でその意図を自分に伝えようとします。
しかし、魂と自分の間に自我が挟まっているため、そもそも、感動や違和感といった感情に気づけなかったり、曲解してしまったり、気づいても無視したりします(⑤)。
次に、魂の思いに気づけたとしても、それを実行するときにも自我が邪魔をします。
魂が折角伝えた感動も、常識という自我に基づいて、実行することを躊躇ったりしてしまいます(⑥)。
さらに自分が行動をして何かしらの反応が外界からあった時も自我が邪魔をします。
外界の状態を自我が歪めてしまって事実の通りに受け止めなかったり、そもそもなかったものとして無視してしまったり、自我の都合の良いように誤解したりするのです(⑦)。
このように自我が自分の周りに成長することで、本来魂がやりたかったことは悉くできなくなってしまうのです(⑧)。
このような状態が進んで悪化していくと、最終的に人間の機能不全と言いたくなるような状態に落ち着きます。
最後に図4を見てください。
自我が育ちすぎたために魂の声は全く聞こえなくなり、拠り所のなくなった自分は自我を自分の指示者だと勘違いするのです。
このようになってしまうと、自分は外界に向けて自我が囁く「恐怖」を避けるための行動を取るだけとなってしまいます。
自我は恐怖リストでしかなく、全く脈絡がなく一貫性もありませんので、どこにも向かえず、右往左往するだけの人生となってしまいます。
そして肥大化する自我は自分が外界に働きかけた結果も認めません。
全て人や環境のせいにするようになるのです。
自分の非を認めない。全て人のせいにするのは生存本能の歪んだ形です。
まさに魂と断絶された状態ですが、これは実は私たち現代人のほとんどの人の状態なのです。
自我を自分自身と勘違いしてしまうと、もはや自我から抜け出すことは非常に困難です。
古来よりブッダやイエスキリストなど、覚者と言われるような人達はまさにこの自我から抜け出すために修行をしたんだと思っています。
そう聞いただけで、「自分には無理だ…」と思いましたか❓
でも、諦めるのはまだ早いです😊
実は私は水晶を使うことで自我から抜け出すことができるということを発見したんです‼️
ということで希望を持って続編をお待ちくださいね😊
次話:第6話: 波動共鳴