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3.世界観編 3.人は創造主である

3.世界観編 3.人は創造主である

一人一脳みそ。そして脳みそこそこの世界を物質化させる張本人です。これすなわち人は皆偉大なる創造主ということができるのです。

この投稿は長編投稿の一部です。
第一話はこちら


Miracle〜水晶が起こす奇跡
3.世界観編
3.人は創造主である
当投稿の無断転載を禁じます

みなさんこんにちは😊

昨日まではこの世は波動でできていて、波動というのは可能性。
そして人間には波動を物質化する力がある。
ということをご説明しましたけど、それって結局

人は自分の世界を創造する創造主である。

ということなんです。

なんかちょっと不思議な感じがする結論かもしれません。
ですが、実はこれはそんなに不思議なことではないと私は思うんです。

現実はそれぞれの人の頭の中にしかない

私たちは、誰が見ても同じ世界が一つだけあると教えられます。
それが現在の世界の常識的な考えです。
ニュートンの「機械的宇宙論」なんてその最たるもの。
ニュートンの宇宙論の基本的スタンスは人間とは無関係に宇宙は存在するというものです。

だからこそ宇宙は人間とは無関係に運行するし、星は無数にあって、宇宙は無限に広いんだ…なんて話になる。

でも、私に訪れた気づきはこう告げます。

人間は宇宙という可能性(波動)を自分の頭の中で物質化している非常に創造的な存在であり、現在の常識で考えられている物質的宇宙は存在していない。

人とは無関係に物質的宇宙があってその中で人は生まれ死んでいく…
という常識が実は全く逆で

が正解なんです。

(宇宙について語り始めるとこれまた長いので、別の機会にあらためて語ります😅)
この考え、一見不思議に思えたり、気をてらった考えのように思えるかもしれませんが、そんなに不思議な話ではないです。

それは何も二重スリット実験を持ち出すまでもなく、最新の科学で解析するまでもなく、誰かと現実について喧喧諤々と議論するまでもなく、人間の構造を考えれば実は当たり前のことなんです。
以下の図を見てください。

人間って「五感」を通してのみ現実を認識するじゃないですか。
五感ってロボットに例えると「センサー」みたいな働きをするものです。
例えば、人が犬を見るとき、犬を含んだ光が目に入射して、網膜に結像します。
網膜は入射した光を電気信号に変換し視神経に伝えます。
そしてその電気信号が脳みそに伝わり、脳みそがその電気信号を「犬がいる」と解釈するから犬は存在します。

…そう。
そうなんです‼️
あなたの現実はあなたの頭の中にしかない。
人間の構造というものを平たく考えるだけでも、それは真実なんですよ。
私たちは自分の頭の中で自分の現実を作り出す創造主なんです。

他人は自分と違う現実を生きている

今説明したように、現実は人の頭の中にしかありませんので、他人はあなたとは全く違う現実を創り出しています。
図に書くとこんな感じ。

現状、世界というものはテレビなどで定義されていますので、人毎に創り出す世界はほとんど一致しているはずです。
だから、隣の人は、「あそこに鳥がいる‼️」と言っているのに見えないとか、鳥じゃなくて飛行機が見える…ということにはなりにくいです。

また明日説明する「波動の法則」に従い、自分が共感を覚える人というのは、基本的にほぼ波動の高さが同じ人ですので、ますます同じような世界を創り出している人が身近にいることになります。
ですから人毎に別の現実を創り出しているという実感を受ける機会は少ないでしょう。
ですが、あなたの脳と、隣の人の脳は違う。
…これは厳然たる事実です。
他人は自分とは異なる現実を創り出す創造者であって、お互いの現実には干渉不能であることは、肝に銘じておいた方がいいでしょう。

自分の現実の責任は自分にある

さて、私たちの現実は、自分の頭の中にしかない…という事実は、現実に対する重大な示唆を含みます。
それは、自分の現実の責任は自分にあるってこと。
さっきも言ったように、今の主流の考え方である「常識」はニュートンの機械的宇宙論と同じく、「現実は一つだけしかない」と語ります。
だから、人は自分の気持ちをその一つしかない現実のせいにしようとします。
一つしかない現実は変えようがありませんから、被害者的思考をしやすい。
あの人が悪い、自分の生まれが悪い、会社が悪い…と言った感じです。
でも、さっきもお伝えしたように現実はあなたの頭の中にしかないわけです。
つまり自分が世界という可能性から、あの人が悪いという現実を現実化しているだけな訳です。
だから、人や環境を責めても無駄。
見直すべきは自分の頭の中なのです。
あの人が悪い…という現実を作り出すには、それほど単純な経緯を辿っていないかもしれませんが、例えばこんなことってありがちですよね❓

あなたがその問題の人に、そう振る舞うように無意識的に仕向けた。
例えば、いじめられた。
こんな被害者的思考に陥りやすいことでも、よくよく考えてみると、自分がいじめられても仕方がないような考え方をしていて、相手に自分をいじめるように無意識的に仕向けていた。
…なんてありがちではないでしょうか❓

人は変えられなくても自分は変えられる

自分が創造者であるというスタンスに立つことは、自分の経験する現実の責任は全て自分にあるということを理解するということに他なりません。
自分の辛い現実の責任は自分にあると考えることは、人によっては辛いことかもしれません。
ですが、同時にこんなに素晴らしい考え方はないとも言えるのです。

だって、人や環境はどんなに頑張っても変えようがありませんが、自分は変われる可能性があるわけですから。
こんなに救いのある考え方はないともいうことができるのです。

ワクワクしてきましたよね😊
では本日はこの辺で✨

Written by ただのおじさん
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次のお話は…

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