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私の信じる「神」について

社長ブログ

私の信じる「神」について

2023/1/15投稿

私よく「神に祈りたくなる」って表現使いますが、その「神」ってなんなんでしょうね。

私実はクリスチャンです。ええ、カトリックの。
親がハマってて『幼児洗礼』で物心つく前に信者になってました。
昔は当然信じてました。
イエスキリストは神のひとり子とか、人の罪を背負って十字架にかけられたとか、人は生まれながらに罪深いとか…

ああ、書いていてイライラするっ😫
今ならわかります。
そんなの全部嘘っぱちだと。
ぜーんぶ、民衆を教会に隷属させるための嘘です。
だってねえ、教会は信者に教会に行かなきゃ地獄に行くって思わせて貢いでもらわなきゃならないでしょ?

人の世は常に支配者と被支配者で構成されます。
支配者はいいように情報を捏造し、民衆が大人しく従うように仕向けます。
現代ではそのために作られたのが「テレビ」
テレビがいかに恐ろしいか、この世の構造を考えればわかります。
テレビを真面目にみてたら皆鬱病になりますよ。
まぁこれも話し始めると長いので、別の記事にとっておきますが。

話戻してイエスキリスト。
私はイエスって人は、私が「おじさんの呟き」で書いた『人は創造主』を実践して、民衆に『あなたもやってみなよ。できるよ👍』と言った人だと思ってます。
で、時の支配者に目をつけられて排斥されました。
だって民衆が皆勝手に現実を作り出したら誰も支配者に頼らなくなってしまうじゃないですか😅
支配構造崩壊します。
そりゃ支配者にとって都合悪かったでしょうね。

という感じで、イエスはどちらかと言うと反体制の人でした。
なのに今キリスト教の教祖みたいになってるイエスキリスト。
…うまく教会に利用されちゃったんですね。
人の罪を背負って磔になって死んだとか
だからその罪を償うために教会に通って献金しろぉ?
…ったく、教会は、バチカンは😫

という事で、教会大っ嫌いな私の言っている神は宗教で言われている神ではありません。
私の言っている神は宇宙を作り出している意識。
宇宙意識とでも言ったほうがいいでしょうか。

古い本ですが、「アミ小さな宇宙人」の中で宇宙から来たアミがウットリと語る神。
それが私のいう神です。

そして我々は神と繋がっている神の分身のような存在。
だから皆上下なく尊いのです。

神は至る所に偏在します。
「おじさん…」で語ったようにこの世を構成しているものは全てエネルギー。
そのエネルギーそのものと言ってもいい。

そしてここからが説明難しいんですが、我々は神そのものだったりもします。
あまりにも高次元の考えなので私もうっすらしかわかりませんが、「神が『おじさん』というこの私に意識を集中している状態」が私という意識なんじゃないかなと考えています。
だから死んだら「変なおじさんになった夢見てたわ、やばっ💦」なんて気づいたりするのかなと(笑)

神は万能であるが故に同時に何十億もの夢を見ている…
自らの可能性を確認するために。
という感じなのかもしれません。

という事で一見無神論者のように見える私は神にぞっこんの深い信仰心を持っています。
ただ宗教が押し付けてくる偽神は願い下げですがね。

ということで石です。

石がなぜ魅惑的なのかという謎です。私は「石が欲しい」という「石欲求」は人間の3大欲求の次に上げられるぐらいの欲求ではないかと思っています。なぜそれほど欲しくなるのか。
私が考えるに石は、この世を構成するエネルギーの中で高波動のエネルギーが物質化したものだからではないでしょうか。
人は本能的に神のような高波動なものに惹かれます。芸術でも、自然の景観でも、完璧な仕事でも、素晴らしい石でも思わず神を想起してしまうようなものには惹かれるのです。

写真は私が「手放したくない!」と強く思っているホタテさん(笑)。
最上級のヒューランダイト(輝沸石)です。
見てください、この色、透明感、そして可愛らしい形。
美しいとしか言いようがない。
ここには神の御技が具現化されています。
そして私が手放したくない!と強く思った石は必ず売れるというジンクスがFieldStonesにはあります。
何度涙ながらに見送ったことか…でもそれでいいのです。
私たちは、皆さんに手放したくないような宝物を提供する。
それが使命なのですから。