わたしの生い立ち
今日は私の生い立ちについて書いてみようと思います。
私は約60年前、東京の杉並に生まれました。
父親は奈良県出身のサラリーマン。
母親は東京都出身の主婦でした。
父は真面目が服着て歩いてるみたいな感じの人でしたが、純粋でちょっと子供みたいなところもある人でした。
母も優しくて純真な感じかな。
母はまだ健在ですが、いまだに少女みたいなことを言ったりします。
兄弟は姉が一人。
一家は私が生まれてからすぐに茨城県に家を買って引っ越し、高校まではそこで育ちました。
茨城から東京への通勤は大変だったようですが、父は子供をどうしても庭のある家で育てたかったそうです。
おかげで広々とした生活ができました。
父も母もカトリック教徒で毎週教会に通っていました。
私もそんな父と母によって幼児洗礼を受けています。
毎週のミサは子供であった私には苦痛でしたが、讃美歌を歌うのは楽しみでした。
自分で言うのもなんですが私には天性の音感の良さがあり、子供の頃はとても美声で、みんなに「上手」と褒められたからです。
そんな私を母は少年合唱団?のようなものに入れたかったらしく、何度も「東京の合唱団に入る?」と聞かれました。
もちろん断りましたけど🤭
私は今はカトリック教会のことをあまりよく思いませんけど、子供の頃はちゃんと信じていましたよ❓
人は罪深いとか教会に言われて、懺悔もしました。
旧約聖書に出てくる神様って結構嫉妬深くて怖いんですけど、そんな「おっかない」神様もいるのだと思ってましたね。
でも成長するとともに、ちょっとした違和感を感じ、その違和感は次第に教会への不信に繋がっていきました。
なーんか、その教えが首尾一貫していないような気がするのです。
教会は信者に通ってもらいたくて教会に都合のいいことを言っているのでは❓
とも思いましたし、信者たちも本当に神様を信じているのかな❓
などと感じ、「信心とはなんだろう」なんて考えもしました。
歴史を振り返ると西側諸国はアジア各国を支配するために、教会をうまく使っていた…
なんてことを知るとますます不信は高まりました。
そんなこんなで次第に教会への足は遠のきました。
でも、聖書の話は本当に小さい頃から聞いていたので、それらは私の人生哲学の一部となりました。
私は今でも、聖書に書かれているイエスキリストが起こした奇跡は本当の話なんだろうなと思う。
そしてイエスは人々に「教えを下した」わけではなく、誰でも持つ意識の「使い方」を示して、「ほら、意識ってこんなにすごいんだぜ。君もやってみなよ」って言っただけなんだと信じている。
イエスは救世主と呼ばれるけれど、それは自分の命を犠牲にしたからではなく、人々に意識の偉大さを示して、天国(高波動世界)への道が「誰にでも開かれている」ってことを見せてくれたから救世主と呼ばれるんだと私は思っています。
教会以外の話は、大したことなく平凡な子供時代だったと思う。
成績はあくまでも普通。
4や5がちらほらあるけどほぼ3。
運動は極度に苦手。
人見知りで内向的な性格でした。
小学校は鼓笛隊。
中学は吹奏楽部に入り、クラリネットをやりました。
中学の半ばごろからコンピュータにはまり始めます。
ものづくりが好きで、子供の頃は「レゴ」という玩具や、ラジオ作り、ラジコンカー作りなどにハマりました。
高校2年の時に父親の転勤で京都に引っ越します。
京都で2年間過ごすのですが、先ほども言ったように私は内向的な性格で人見知りだったので、顔見知りが誰もいない京都の生活は苦痛そのものでした。
進学校とは呼べないほぼ大学進学が望めないような学校だったのですが、私はそんな中どうしても大学へ行きたく、授業中はひたすら「内職」をする日々でした。
…ということで次回「私の社会人時代」へ続く‼️
乞うご期待💗