BLOG ブログ
ブログ
ブログ

第二章内観を進めるポイント5

内観のやり方

第二章内観を進めるポイント5

『光に向かう思考をする』

自分の心と向きあっているとき、あのときの出来事や後悔にとらわれてぐるぐるぐるぐる思考がうずまくことがありませんか?
それも感情を感じ切るという点では必要かもしれないけれど、きっと以前にもおなじようにぐるぐるぐるぐるしたことがあると思うんですよね。
それなのにまたおなじことに対してぐるぐる思考にハマっている。
それはそこから思考が発展していないからだと思います。
だけど、すでに起きて済んだことに対してどう発展したらいいか、そこでまた悩むかもしれませんが、今日はぐるぐる思考に終わらないよう思考に方向性を持つ、ということを伝えたいと思います。
この方向が『光』。
光とは、本来の自分自身が放つ愛の光。
それを目指し『今より良くなるように』『自分の良いところを見つけられるように』という光です。
今まで何度も思い悩んできたままのことや、心のなかで留まっていた場所から光のほうへ移動します。
そしてこれからはなにに対しても、愛あふれる光に向かって進んでいくということをいつも意識していきます。
これからはおなじところでぐるぐるせずに進んでいきましょう。
光のほうへ!

心のなかで『思う』っていう思いかたはみんなおなじでしょうか?
わたしはわりと文章的にずらずらと言葉が常にうずまいているタイプでした。
文章的と書いたけど、ぐるぐるうずまく言葉たちは文章未満であり、思うままに話題は変わり、途切れ、別の思考に飛んでいくし中途半端でした。
言語化未満のこれがいつもおなじことを考えて発展しない原因だったと思います。
前回書いたように文章を言葉にするようになりかなり整理されたこと。そして客観的に読むことでそのように気がつき、その気づきが思考をいつも次の段階に進むよう意識させてくれました。

そしてラッキーだったのは光っぽい人とご縁があったことです。
家庭も体調もぐちゃぐちゃのどん底期に、30年ぶりに出逢った子どものころの知り合いでした。
再会まであたりまえだけどおなじ年月を生きています。
その人がいつもすごく笑顔で、豊かで、充実して生きている様子を見て感動しました。
そして、そんな人と自分を単純に比べてしまいました。
あれからおなじ30年を、自分はなにしていたんだろう、なんて成長していないんだろう!ってその生きる充実の差を突きつけられたようでショックを受けました。

その人とわたしは似たところがあって、その人もわたしもすごくよく考える人です。
だけどなにがちがうのか、と考えました。
わたしの場合はなにかについて思考する言葉が常にうずまいているのになんにも解決に向かっていないのだ、と気がつきました。
人生サイアクだ、っていつも思いながら、『どうやったら今より良くなるのか』というプラスに向かうようには内観が始まるまで考えたことがありませんでした。
家族のことや子どものことならなにかうまくいっていない姿を見るとどうしたら解決するかと親身に考えます。
だけど自分自身については今思うとふしぎなほど自分を良くしよう、なんて思ったことがありません。
これでは成長しているわけがないですね。
日々にしてもその人のように楽しむ意識もなかったから、わたしの人生はつまらなくて当然だとすごく納得しました。

それからは『どうやったらわたしも自分自身が良くなり充実した人生を楽しめるのか』と思い巡らせるようになりました。
わたしにとっての充実ってなんだろう?
そう前向きに考えながらも、人生を楽しむなんてそんなことを思うなど世界が違いすぎる、と強く感じました。
そんなふうに生きている人たちとはきっと育った背景が違いすぎて、そっちに憧れそっちに行きたいと思っても自分は場違いじゃないか、ってその自己否定にかなり苦しむことになりました。
ここでもぐるぐるぐるぐると!苦しみたいだけ苦しんだのち、これもぐるぐる思考だ!意味がない!と気がつきました。
そして清々しく思いました。
自信なんてあるわけない。
自分に愛なんてまったくない。
だけどわたしと正反対に生きてる人がわたしの人生に現れて、その人に対して、なんかいいなぁ!って健やかに思ったこと。
わたしにとってそのきもちが大事な気がしました。
どん底期だったおかげで『ここから浮上する』という言葉が思い浮かびました。
深海にいるみたいなどん底だったからこそ、上を見上げる方向性しか無かったのが気づきの大幸運でした。
目指す方向ができてわたしはぐるぐる思考を止めました。

それからはなにを思うにしても『今より良くなるように』と考えるので今までとは違う思考を選択し、違う行動ができるようになりました。
遠慮や我慢が無意識に染みついていましたが気づくたびにやめました。
自分と向きあい気づいてくると、みんななんでも楽しんでいるのにわたしは本当に人生を楽しむ価値が無い人間だという刷り込みが本当に深くて、またそんなダメダメな自分への自己嫌悪に苦しみました。
どうして自分は休まず、自分を甘やかさず、カラダを壊すまで追い込むんだろう。
わたしは人生をどう思っているんだろうって初めてリアルに考えました。
カラダが壊れて早くくたびれて人生終わったらいいって思っていました。
本当にそれでいいの?と声がしました。
どうして『楽しく生きる人』に反応し、『比べた』のか。
わたしも楽しく生きてみたいのでは?と想いが浮かんできました。
わたしにはそんな価値がない、ってぐるぐる。
でもそのぐるぐるから『わたしもいろんなことやってみたい!!』って意識して強く思い抜けだしました。
わたしも笑って楽しく生きたいって生まれて初めて心から思いました。
内観を始めたころはマイナス思考が根強いから何回でもものすごくマイナスに引っ張られぐるぐるしました。
だけど光に向かう気づきを得てからはぐるぐるするにも方向があるからゆっくり浮上したように思います。

自分の人生を考えるきっかけになった人が与えてくれた『愛と光と劣等感(今思えば自分に与えられた課題を乗り越えるインナーチャイルドの話)』の話がキツくぐっさりと刺さり、そのまま内観のテーマになりました。
『劣等感を植えつけられるまではまわりのせい。それを認識してどう生きていくかは自分次第で自分の責任。
劣等感を与えてきた人は未熟だがあなたには乗り越えるチカラがある。あなたは愛と光だから。』
内容に心をえぐられて子ども時代の不快な記憶がすごく蘇って泣きました。
母への怒りと嫌悪が湧きあがり、でもこの話を聞いてしまうと、この時からこの感情とどう生きるかは母は関係なく、わたし自身の問題なのでした。

どうしてわたしがさらにこんなに苦しまなくてはいけないのか、と新たな苦しみが増えたように感じました。
どんな人生の貧乏クジを引いたのだろう。気が遠くなりました。
すべての元凶と言える母は悪くないのか!
苦しさのあまり心が折れて絶望し、思考を放棄。
内観という言葉もインナーチャイルドという言葉も知らず、どうしたらいいのかも分からないので考えたとしてもひたすら過去を思いだすぐるぐる思考の日々が過ぎました。
激しい絶望感が薄まってから、『母』がわたしの人生のキーワードなのだと受け入れました。
避けられない。
でも自分が良くなることを目指すのに母がキーワードと分かっても、直接会って話しあうのかどうすればいいのか。
『あなたは愛と光』っていう言葉に強く惹かれたけれど抽象的すぎて、まだ天然石にも出逢っていないし、向かう理想像がまったく分かりませんでした。
完全にひとりでぐるぐるしたり、惹かれた愛と光の言葉だけが頼りの光で、光を見ながら足踏みし、ゆらゆらしていました。

2017年からこのように何回もゆらゆらぐるぐるしたおかげで、自分で光を意識して進んでいけることを知りました。
何回も迷い悩みましたがそんなふうでも、愛と光を意識し正解も着地も分からない内観をコツコツと進めてこれました。
今思うと天然石の無い期間の内観はこの人が鍵でガイドのようでした。
ぐるぐるとひとり行き詰まったとき、『正解も間違いも無い』っていうメッセージをなぜか何度もくれました。
それだけを言ってくるから意味が分からず、なんで何回もそれを言ってくるのか?と怒ってイライラして聞いたけどその返事は無いままでした。
おかげで意味ありげなその言葉について自分で考え尽くしました。
迷ったって、間違ったって、なにを選択してもすべてが必要な体験をしているということだとある日思い至りました。
わたしのこれまでの無意味そうな人生だって、それがあったから今からすばらしいように変わるかもしれない。
闇が深いから光が濃いかも。
いつも愛が欲しかったから愛がだいじって人より強く思ってるわたしがいる。
愛をだいじだと思う自分のことが好きだ、と自分の好きなところを見つけました。
だから過去は意味があり、わたしにとって間違いじゃなかったって思いました。
過去やすべてに意味があるかもと思うと、これまでの人生を活かすことができるのかしら?
闇が愛と光に転じるのかしら?
わたしにとって意味があるからその言葉を知ったのかしら?
だとしたら、わたしはがんばるしかない。
がんばりたいって思いました。
言葉や人や夢に導かれて。
このころにはこの鍵の人が出てくる夢をなんども見ており自分のふしぎさを感じていました。
それらのおかげで、見えない世界のつながりや潜在意識、ふしぎなチカラを信じて意識するようになりました。
見える世界で見てきたことが今までの人生を作ってきました。
それはわたしにとっては重たく苦しく、まったく未練がありません。
なので、それまでとぜんぜん違うように変わるなら、見える世界のなかでぐるぐる考えるよりもこのふしぎな出来事や感覚を信じていこうって思うことができてわたしは必要以上に悩み考えることをやめられました。

ぐるぐる思考以外にも、これまでの世界を作ってきた思考と選択のパターンを変えていくことが世界をがらりと変えていきます。
今までしなかったことをする。
いつもプラスのほうに、光のほうに向いていく。
ワクワク楽しい選択をする。
自分の心にたくさんのワクワクが増えると明るいエネルギーが増えます。
そうすると元気になって単純にやる気と勇気が出ます。
ずっとやりたかったことをやってみようってそれを実行することが自分の魂を喜ばせることになります。
自分にとってのそういうことを的確に分かるのは自分だけなんですよね!
自分の魂が喜ぶ体験をすると魂を喜ばせた自分が喜びます。
そしたらまた、もっと魂を喜ばせてあげようってなる。
このくりかえしに夢中になります。
このくりかえしでいつのまにか闇の思考は遠くなり、自分が光のなかに移動していることに気がつきます!

あともうひとつたいせつなこと。
よくありがちなのだけど、なにか問題が起きたあとにぐるぐると考えすぎるのをなるべく早く切り替えて止めること。
眠るまえにも今日をふりかえりぐるぐる反省会をするのをやめる。
感情が落ち着かないときやいちにちの終わりの頭も心もカラダもくたくたなときに出来事をふりかえっても良い解決法はひらめかないです。
自分自身の行いを感情的に言葉キツく責めたり、出来事の怒りや悲しみが強まる方向に思考が偏りがちです。
すべてはもう起きてしまったことであり今から変えられません。
なにか気づき学ぶために起きたと考えるけど、今はまっすぐにはその出来事に向きあえないと思います。
ある意味そう割りきって今は休み、くつろぐことにします。
そうして気力や体力を回復し、健やかになった心身で反省したかったことに向きあってみてください。
よく休みよく眠って明るい朝や昼の光のなかで考え思うことは、夜の疲れて暗いなかでの思考とはかなり変わります。
考えるなら心が健やかに明るいときがいいです。
責めすぎずに短時間に心を切り替えて向きあえます。
まじめな人ほど自らぐるぐる反省会にハマりがちです。

ぐるぐるしたり元気がないとき、抜けだす方法を意識して思いだし実行してくださいね。
わたしは、今はもう考えてもしかたない!って思って気晴らしに楽しいことをします。
『魂きらきらタイム』と呼んでいるのだけど、自分にとって心が明るくなる今すぐできる行動をいくつも持っているといいです。
わたしの場合はゆっくりお風呂に入ったり、好きなお菓子を食べたり、空を見たり、家事をやめたり、音楽を聴きます!
自分にとっての今すぐできる自分を甘やかす方法をいくつも見つけておくことは他人を巻きこまず、人に頼らず自分で自分をごきげんさんに整えることにつながり、永遠に役立つスキルです。
自分で自分を安定させることができる。その自信が身につきます。
今はわたしはぐるぐる思考をしなくなったけど、内観で悲しみに触れたり心がいっぱいになったときにはすぐに石を持ちます。
そして光に石をかざして虹や光がきらきらするのをながめます。
うつくしさに感動して心が引き上がります。
そうしていつも心を光に向けて整えています。

そして、次どの石を買おうかなぁ!!って楽しさしかない妄想にも夢中になることも突き抜けて心を明るくします。
妄想に夢中になるうち今妄想のなかで惹かれる石は必要な石だと気づき注文したりして。
そしてリーディングメッセージをもらってみるとまさに答え合わせのようなことが書いてあり、心が一掃されたり晴れたりする。
いちばん強力に完全にぐるぐる思考を止められて、確実に光のほうに前進するって思います。
日々いろんなことが起きるけどいつもなるべく早く光の心に戻れたらいつも光のなかにいられます。

 
 
愛の魂に戻る内観トップへ 

章子さんと共著しました、書籍「石たちに導かれて 体験編」はこちら