第二章内観を進めるポイント6
『自分の内側の声(感情)を拾い進む』
内観は自分と向きあうということに時間を使えば使うほど進んでいきます。
だから内観の時間をたくさん作ってほしいのです!
と言ったら咄嗟に『そんなに時間ない』って思いましたか?
なぜ時間がないのか、その『咄嗟に思ったこと』に対して向きあってほしいです。
だっていそがしいし。
だって大変そうだし。
それにめんどくさそう。今ごちゃごちゃ考えられない。
こういう表面の声たちの、さらに奥にある自分の本音を感じて拾ってほしいのです。
ほんとうは時間が欲しい。
わたしは変わりたいと思っている。
表面の大きな声は目立つんだけど、その奥のひっそりとたたずむおとなしい人の声を聞いてあげてほしい。
ときにはどこから出てきたのか、辛辣な声が聞こえたりします。
いきなり怒っているほど自分がこれまで自分をムシしまくったり、押さえこんだりし続けたとき、本音が突然叫びます。
これもだいじな声であり、感情です。
こんなの今までの自分らしくないと驚いてもこれをキャッチしてほしいです。
立場や役割を超えた『自分』につながっていくために、自分の内側からの声を聞いていくことで自分らしさを見つけたり自分らしくいられる居心地のいい場所や人や出来事に導かれていくと思います。
例えば過去のわたし。
ぐるぐる考えたりまわりに合わせたりしてなにもかもうまくいかない年月を生きていました。
ふしぎな出逢いに気づきを得て『考える』を放棄して感情的思考を優先するようになり、自分のまんなかから出る声や感覚と近づいていきました。
内側の声や感情を拾って進んできた例を書きます。
わたしはふつうの主婦なので家事をします。
予定を立てていても家族の雑用が日々次々とのしかかります。
夫と子どものことをするのが精一杯で自分のことは常に後回しでした。
結婚してから約20年近くそのような日々を過ごしていました。
年月の間に歳をとり体力が失われました。
いつも疲れている自分をなんとかしなくちゃと思うけど『なんとか』を考える気力がもう湧きませんでした。
子どもはいつか巣立ち手が離れるとしても、夫の予定に振り回されて夫のお世話しているこの暮らしが永遠なのだと思い至ったときふと思ったことを正直に言うけど『絶望』と思ったんです。
これから若返ることはありません。もっともっと体力がなくなりしんどくなるでしょう。
人のためだけに生きて人生終わり?
わたしはなんのために生きているんだろう!!
って思いました。
でもまぁいいか、なにをどうしたらいいかも分からない。
このまま生きていられるしこのままでいいや、と思ったそのとき『夫が死んだらどうするの!』って自分の内から声がしました。
それは日頃考えないようにしていた大きな大きな不安でした。
不安って結構大きく重たいストレスです。
不安に目を向けたらしんどいから見ないようにしたいけど『この不安は向きあうことがたいせつだ』とそのとき感じ、その声を拾いました。
夫が死んだらどうする、ってやっぱりお金の心配になります。
うちは夫の仕事柄お米や野菜など食べるモノは豊かな環境です。だけどとっても収入は低い。貯金ができませんでした。
食べるモノが手に入るのも夫がいてこそのありがたい環境だったから、夫がいなくなると老後どころか明日にもわたしは家賃を払えず簡単に路頭に迷うことは明白でした。
このことが浮上したからには向きあわないといけない問題ですが、これについて考えるのも、見ないフリをするのも、どっちもしんどい!!って思いました。
どっちも重たくしんどいなら、どうやったら不安を手放せるか分からないけど良くなるようにひとつひとつ不安を無くして変わりたい!!と、真剣に思いました。
夫の都合に合わせるのが妻の基本。起きる時間もその日の予定も。妻とはそんなものだと思います。
内観が始まって自分について考え始めたときも何年もその『型』からなかなか抜け出せませんでした。
変わりたい、と思いつつも刷りこまれた『型』のなかで、わたしは最善に良い暮らしをするべく暮らしを整えていきました。
いつもの日常や家事に楽しさを見出しながら時間を作り、お金があんまりかからない手作りの趣味を再開して楽しみ、型のなかで意識を変えていきました。
歳をとったしもうなにも新しく始められないと思う。
だけど考えかたが明るく変わり、『わたしは良かったなぁ、しあわせだなぁ』って生まれて初めて思いました。
まずそこまで変わりました。
世間の人には分からなくてもわたしは家族のためにイライラせずに愛を込めて家事ができるようになりました。
明るい雰囲気の家庭に変えることができました。
直感が働くので家族の忘れ物や失敗を防いだり、感情の波に過敏なので先回りして家族に声をかけて心を穏やかにしてあげたり笑顔にしたりすることもできました。
わたしは養われ生きているけどわたしも家族のためになり家族を守れていると、そのことに自分の存在の価値を見出しました。
自分について考え始めたからこんなに変わることができてそれがうれしかったです。
満足してくると『もっともっと自分のことを良くしたいなぁ』と思うようになりました。
ひとりごとやゲーム音や夫の騒がしさがわがやのあたりまえになっていたけど『すごく静かな時間が欲しい』と思いました。
小さな家では物音が筒抜けで難しかったけど、それが叶うよう考えました。
そして家族が寝ているまだ暗い時間に起きて早朝の静かな時間を楽しむようになりました。
ひっきりなしに耳に入る話し声やゲーム音が無くなるとこんなに快適なのだと実感しました。
夫に申し訳ないけどわたしにとってうるささは疲労するのだなぁと分かりました。
朝お弁当や朝食や一気にバタバタする家事を静かな気配のなかゆっくりのんびり進める、そんな朝の時間の使いかたでした。
早朝ひとり時間の始まりにはゆっくりと白湯を飲みました。
白湯を飲み終わるまで家事をなんにもしないことをマイルールにして、短い時間だけどその贅沢さを堪能していました。
それを喜んでいると『犠牲的だな!』って怒った声が自分の内側から聞こえました。
わたしはこの感情的な声を拾いました。
お茶の一杯も落ち着いて飲むことがない暮らしって人としてどうなの?しあわせ?
『主婦や女性はみんなそう』っていう集団意識の声もする。
この声にも一瞬で『嫌悪』を感じました。
不幸比べ。不幸の慰め合い。わたしはこの女性の世界の何百年以上も続いていそうな不幸の連鎖の集団意識がイヤ。
イヤなのにどっぷりとそのなかにいました。
この本音にたどり着くまでに20年を失ってしまいました。
体力も無くなり若くもなくなり夫に頼りきりのわたしはこのまま死ねば結局どう生きたとかみさまに言えるのだろう。
そしてまだ、夫が死んだらどうするの、という不安は解消していないのでした。
わたしに向いている仕事はなんだろう?家から歩いて行けるところ。今の複雑なレジの操作は覚えられないから接客じゃない仕事がいい。
夫といっしょに出勤して農業を手伝う?などいろいろ可能そうな範囲で考えました。
そのように不安を解消するため働くということを思い始めたとき、偶然『使命』『天職』という言葉を知りました。
自分の生きている意味。自分のなかにすでにあるモノが活かされる道。
自分らしい仕事。自分だからできる仕事。
家事を楽しみ、家族の心を整えている。
わたしは専業主婦だけど、うちはお金持ちだからわたしが主婦でいられているわけではありません。
冬以外の季節に突然どっさりと売り物にならない野菜を買い取る機会が多く、わたしはそれがムダにならないようにひたすら茹でたり料理しては数台ある冷凍庫に保存することで家計を支えていました。
そういうわたしの家事の働きのおかげで一年中すごく食費が浮いて、夫にお給料をくれる会社の人にも『どうやってこのお給料だけで暮らしているの?』と驚かれるほどやりくりができていました。
成長していく子どもにお金を使うから自分の服を買うなどほとんどできなかったけど、妻として理想的献身的に夫を支えていると思っていました。
自分のできることを活かして家族のために役に立っている。
あらためて考えてみるとわたしは稼いでいないけど、わたしが作りだすモノで家計をかなり支えていると言える気がしてうれしくなりました。
だから主婦がわたしらしい天職かなぁってそのときはそんなふうに思いました。
だけどまたこの直後に転機になる考えかたに出逢いました。
『もしもなんの立場も制限も無くお金の心配も無かったらあなたはなにをしたいですか?
どこに住むか?など自由に考えてみてください。』というもの。
お金があったら働きたくないとか、ずっと旅に出たいとか、みんなワクワクいろいろ浮かぶと思います♪
ぜひみなさんも考えてみてください!!
わたしは人の心の役に立ちたい!って思いました。
悩む人の話を聞いて心を明るくしてあげる見方を伝えることが得意だと感じていました。
悲しみや苛立ちが軽くなるように、そしてまた笑顔を取り戻してもらうこと。
小さいころは言葉を多く知らないのでまったく母には役立たなかったけど、わたしは母にもいつもそう思っていました。
それを思いだしました。
お金の不安が無いならなんの心配も無く、人の心を明るくすることに役に立ちまくって生きていきたいって思いました。
もしも制限がなかったら。
この考えかたの伝えたいことはこの問いかけで出た答えが『自分の本当の願い。魂の願い』ということでした。
そしてその願いと現実のズレのなかに自分が生きにくい原因がある。
自分の時間がない。
天候により休日や働く時間、帰宅時間もころころ変わる夫の予定に合わせるのにいっぱいいっぱいで、わたしの時間はありませんでした。
人の心を明るくしてあげたいと思っても、ネットがニガテ、話すこともニガテであり、顔は見せられる顔ではなく、どうやって人と出逢い、話し、つながれるんだろう?
そうやって今の自分を直視して客観的にリアルに考え問題を浮き彫りにしていきました。
そうして自分にどんどん矢印が向いて突き詰める方向に変化する時期がありました。
心のなかのいらない考えかたを一掃し、向きあいながら連動するように家中を断捨離していました。
わたしはこのあたりで虹だらけの原石とユメノナカノヒトの夢を見て天然石に導かれています。
そして間もなく『自分と繋がる天然石のお店FieldStones』に出逢います。
たくさんの石を迎えながら自分の内側にもっと濃く深く向きあうようになりました。
自分を探りながらいつも『天職』が見つかることを意識していました。
自分の魂が望む天職に出逢えたらお金の心配が無くなるそうです。
活動していくのにぴったりな環境に導かれ必要なお金やモノや人が宇宙から与えられる。
天職とは自分のなかにすでにある能力が目覚めるものです。
外側にある新しいことに挑戦して眠っていた自分の才能に気づき目覚めるというよりは、わたしはなぜか自分の内側を濃縮するように暗がりで祈って内側から出てくるなにかを伝える、というイメージを持っていました。
それが何なのか、そのイメージがどこから出てくるのか自分を知りたいって思いました。
夢を見るのもそうだけど、そういう自分の内側の世界に興味が湧きました。
だから自分とつながり自分を深く知ることが重要でした。
天職に目覚め生きる意味そのものな生きかたができたらわたしが抱えていた不安はすべて消えて無くなるでしょう。
自分の余計なモノを捨てる。ズレていることから戻る。
自分を深く正しくありのままに知っていく。
わたしが目指す不安の解決法はこれだ、と思いました。
だから天然石を迎え自分と向きあうこと、魂とつながることにわたしはいつも本気でした。
天然石が傍に増えてくると『家族のために』と言っていたことが間違いと気づきました。
思考の主軸が自分じゃない!ってある日気づき、また意識が清々しく崩壊しました。
今住むところに住みながらわたしが世の中で活動するならどんなふうになるだろう、と妄想していました。
田舎で不便だけど天職ならすべてうまくいくように宇宙やかみさまの計らいがあるだろう、と思ったのですが、今ここに住むのは夫の職場が近いから、という夫の都合です。
目が覚めました。
夫の都合で住む場所を選んだみたいにわたしもどこに住んでもいいはず。
クルマの無い自分にとって便利なところに住むと言っていいはずです。
また夫を軸にして無意識に制限のなかで考えていたことに気づき、家族という制限も最後の最後には外せました。
子どもは子どもの人生だから干渉しません。心配の波動を出さず純粋に応援していきます。
自由に存分に生きてほしい。
そしておなじようにわたしも自分のために生きていきたい!
お金も時間もなんにも気にせず自由に活動したい!!ってわたしの本心が叫びました。
内観の始まりからここまで5年間は過ぎています。
お茶を飲む時間もないという声を拾い疑問に思い、内観が少しずつ深まりながら積み重なりました。
そして天然石と出逢うことで家族から自分を分離させて自分の人生を生きる!と天に決意表明することにつながりました。
この流れは内観の始まりには自分では予測できませんでした。
ずっと自分らしく在ることや自分の生きかたを良くすることを念頭に置いて内観を進め続けた結果です。
感情の声を拾う内観をしていたら自分が作った壁が見えてそれをいくつも壊していきました。
そしたら自分らしいと言える潜在意識や感覚的なことが身近になりわたしの現実となりました。
潜在意識や感覚は人の内側にあるものなので意識を内側に向けることが増え、自分に戻るという内観が自分のまんなかにまっすぐ向かい進んだのだと思います。
ふと思うことを拾うことがコツです。
①お茶をゆっくり飲むことが贅沢だなんて犠牲的だなぁ、と感じたことから、お茶を飲む時間が無いなんて『おかしい』と気づく。
②この自分の声をセケンイッパンジョウシキの声が『養われているのに文句言うなんてバチ当たりだ』とか言って、それに対して表面的な自分が『その通りだね』なんて打ち消してしまうことに気をつけてほしいです。
そこにはあなたの本音は無いので!!
内観には、①の声が大事!②の反応に気をつけて!
自分の本当のきもちの声のみを拾うことが自分に近づく方法です。
自分の本音の思い(魂の声)が①、すぐに否定してくる常識や思い込み(自我)が②。
きっと過去や現在は②の声でできています。
本当に変わるなら大変でもどちらを優先し、どちらに従うか?
どっちの自分が好きか?
どっちの自分で生きていくか。
①疲れた、って声がしたら休む。
②でも家事しなくちゃ、とか常識や立場は置いておく。
その家事は本当に自分がしなくてはいけないのか、とくに女性は自分がやらなくてはいけないと思い込んでいないか。(女がやるもんだ、っていう無言の圧力の世界から抜けましょう)
現状に疑問を持ってみたり、客観的に自分の置かれた環境を眺めてください。
この気づいて眺める観察力が内観にたいせつです。
『自分』に近づき始めたら自分とつながるのでうれしくなります!
心がクリアになり。軽くなります。
それが分かると自分のきもちをいつもキャッチしやすくなります。
日々小さなことから自分のささやかな願いを叶えて自分との信頼関係を作りつながりを太くしてください。
自分が動いて叶う体験をすると、ムリだ!とか、あとで!とか言う声がだんだんしなくなります。(ムリ!という声がしても聞き分けられるから冷静に避けられるようになります)
自我の声を避け、いい意味のすなおな欲が出て自分の願いを叶えてあげたくなる。
それで自分の願いが叶う世界を自分が創りだします。
その現実創造のためにも内観が非常に重要です。
毎日多くの時間がなくても数分でもいい。
まずは父でも母でも夫でも妻でもない『ただの自分』に戻る時間を持って、なにも考えず石に触れてください。
ついつい、ご飯なにしよう、あしたの予定は?とか、家族、仕事のことなど頭のなかがとりとめなく騒々しいクセがついていると思うのだけど、それらの声は今は受け取らず川が流れるようにどんどん聞き流してください。
自分に集中し自分の声を感じることに慣れてください。
自分の声を聞く時間をたくさん作り、自分のまんなかに進んでくださいね。
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