BLOG ブログ
ブログ
ブログ

第二章内観を進めるポイント7

内観のやり方

第二章内観を進めるポイント7

『マイナスをプラスにつなげる考えかた』

内観をしていると直したい思考のクセがくりかえし出て自分がイヤになりますね!って今回そんな内容の文章を書いていたのですが、ちょうど意味がありそうな夢を見たのでこれもシンクロだと思い、わたしらしい世界観で書き直してみました。

夢①
ある男性とある部屋のゴミを大きなゴミ袋に詰めていました。
ゴミ袋の数がだんだん増えていきました。
いつもゴミは男性がゴミ捨て場まで運んでくれるので、わたしはこのゴミ袋たちもいつものようにクルマに載せて捨ててきてくれるだろう、って思っていましたがその人はわたしに『捨ててきて』と言いました。
そっぽ向いてスマホを見たまま座りこみ、目を合わせないままでした。
疲れたのかなぁ?って思いました。
クルマの無いわたしに対して『ひとりで捨ててきて』ということに内心とっても驚きましたが、わたしはそれを顔に出さずに『わたしの持てる数も重さも超えているけど、わたしが何往復もすれば捨てられる』といつものクセで思いました。

でも夢のなかのわたしも現実と連動し変化していました。
今までならムリしてきたけど今はいっしょに持っていっしょに捨てに行けばいいのでは、と思ったんですね。そしてそう提案しました。
だけどその人は動こうとしない。『いっしょに』は無いみたいでした。
変化したわたしは『ひとりでがんばりすぎると不満がたまる』ということと『ちゃんと意見を言う』を学んでいるから『わたしにはゴミ袋が重たすぎるし数が多すぎるよ。ぜんぶはムリ』とふつうに言いました。
そしたらその人は無言のまま、気づいたら夢は次の場面になり、たくさんのゴミ袋を載せたクルマを運転してその人は黙って去ってしまいました。
わたしはびっくりしてそれを見送りました。
『その人はもう帰ってこないだろう』って思いました。
わたしが初めて断ったから。
だけどわたしは『これでいい』って思いました。
そんなもんだって思いました。

夢から覚めて考える。
その人とはいっしょにいるほど親しいはずだけど、正しくないバランスのご縁が切れる様を表していると感じました。

正しくバランスをとるには、現状が壊れるかもしれなくてもちゃんと自分を出さなければいけません。
自分の世界のまんなかには、ムリしない、がんばらない、ふつうに断ることは断る、っていう自分がいていいのが『ふつう』です。
断ることで問題や考えかたをすり合わせるなどコミュニケーションが発生し、おたがいの理解につながります。
本当はそれだけの話です。
断ったら黙っていなくなるとは、わたしはその人に本当には必要とされていなくて、わたしが便利に言うことを聞くからそこにいられただけだと思いました。
代わりに居場所が与えられていたかもしれないし表面的にわたしは寂しくなかったかもしれないけれど、その『わたし』はしあわせではありません。
と、今ならすごく分かります。
そしてその人が悪いばかりでもありません。
わたしが卑屈で、違和感をムシして下手に出ていたからです。
そもそもはすべてそれが原因だと思いました。

夢に出てきた人は今までまわりにいた人たちを混ぜ合わせたような人でした。
だれとも分からないけれどだれにも見えるかんじがしました。
起きて、ひさしぶりにそのような夢を見たことが印象深く意味を感じ、頭に思い浮かんだ石とその石のメッセージを読み返しました。

2023年11月FieldStonesよりコロンビアレムリアンシードクリスタルからいただいたリーディングメッセージです。
『今までの出来事を受け入れ、理解し手放したこれからの世界は、あなたの現実を自由にありのままに生きていくと、自然なカタチで誰かに気づきを与え、またあなたも気づきを得るという良い循環が始まります。
この世界に存在するものは全て根っこでは繋がっていて考えたり想ったりした瞬間に現実を創り他の人にも伝わって行きます。
違和感を感じるものと出会った時は、ひとつづつ吟味して不要なものは手放し、心身の状態を整えることでバランスを保って行きましょう。』

ぴったりだなぁと思いました。
期待に応えすぎない。ムリをしない。がんばりすぎない。
人の機嫌を取り持たない。気にしない。
人の不機嫌はわたしのせいではない。

この夢の出来事はキズつくようなマイナスな夢に見えるけど、心を整えてから改めて見れば自分が変わり成長したということを見せてくれた夢でした。
社長さんがよく話される『波動と現実』『出逢いと別れ』これが起きたということ。
自分の状態が現実を作っているから、言われるままにひとりで何往復もすれば可能と考えた過去のわたしは今までの過去を創ってきました。
無表情で心が固くなっており、作り笑いを浮かべて平気なふりをしてきました。
そして心のなかに重たくムリが溜まります。
本当はいっしょに運んでほしいって思ってる。
でも言わない。なぜか言えないからムリをします。
なぜ言えないのか。
夢のなかの展開のように『断る』わたしは必要ないとあっさりと捨てられ、去られてひとりになるのを怖れていたからです。
自分をたいせつにするよりもひとりになる怖れがまんなかにあり、固く冷えた世界を創っていたと分かります。

天然石を持ち、リーディングメッセージをいただきながら自分にたくさんの愛を注ぎ始めると、こういう違和感や自分がまんなかにいないズレに気がつきます。
自分をたいせつにするとはどういうことか、なぜ今自分がいる世界はこうなのかの理由を耳が痛いほど目の当たりにします。
今与えられている居場所は自分が自分をたいせつにして創られているか。
まんなかに自分への愛があるか。
天然石は世界を創る中心である自分自身の思考から見直し変わることをうながしてくれます。
ありがたいです。

また夢を見ました。
夢②
夢のなかでわたしは原石を持っていました。
その原石は岩みたいな表面に湖みたいなブルーグリーン色の半透明の結晶が見えていました。
夢のなかで結晶部分のまわりの母岩が大きくひび割れて崩れ始めました。
わたしは咄嗟に原石を両手に包み元のカタチに固めて保とうとしましたが、硬かったはずの母岩がなぜかさらさらと砂のようになりかけていて全体のカタチを保つなどまったくムリなことと思われました。
そして手を離しあきらめました。
そしたら完全に崩れ、表面に見えていたブルーグリーン色の結晶に続く何倍もの大きさの全体が姿を現しました。
それもひとつではなくいくつも埋まっていて驚きました。
取りだした結晶たちをお皿に並べて眺めました。
驚きながらも、キレイ!!!!ってうっとりと感動し、そのまま目が覚めました。

目が覚めて、あの母岩がゆるんだ石のことをこの数ヶ月のあいだに何度も夢に見たなぁと思いだしました。
前に夢に見たときは、表面の石に触れると歯のぐらつきのように少し動く気がしたので不安になりました。
また次に見たときにはぐらつきがはっきりと大きくなっていたので、怖いからもう触らんとこう!!って思う夢でした。
そして今回の夢。
崩れていくのは止められないってあきらめたら大きな結晶が現れました。

わたしはそれらの夢たちを順番に思いだすと自分の内観の年月をふり返る感覚を感じました。
自分らしく戻りたいと思いながらただでさえどうしようもない低評価の自分だから、自分らしくということに対してわりと最近まで不安がありました。
内観の始まりに与えられたキーワード『あなたは愛と光』というキーワードに支えられて何年も孤独に進んできました。
魂は愛、かみさまの世界も愛です。
そのうち出逢った天然石もまた愛と光なのでした。
わたしの道がつながった!と思いました。
それでやっと、この道でよかったんだと思いました。
ありのままの自分を見るとは怖い人もいるかもしれませんが、本来の自分に戻る魂とはぜったいに愛の光の魂に戻るということです。
愛あふれた自分になるだけ。
だから安心してぐいぐいと魂に向かってほしいってわたしはみんなに伝えたいです。
史上最高にだいすきですばらしい自分に出逢えます。
崩れた原石の夢は不吉なようでありながら、それよりもその先にある真実に気づく意味があるって思いました。

内観をしていたら感情が爆発してイヤな自分が顕になるときがありますよね。
過去から脱するべく内観をがんばっているのに過去の状態に戻ったみたいで、幻滅するほど落ちこんでしまいます。
でもね、それは今まで心の奥底に溜まっていた感情が出てきてくれたということ。
心の奥にカチカチに冷えて固まっていたところに現在の自分の愛が届き、少しずつ破壊されて出てくれた。
そう考えるとこれはプラスの出来事です。
落ちこんだ際の自分責めも感情的なときには自然な現象であり、それでいいって思います。
そのあと心を立て直していく体験を学ぶ機会なんです。
爆発が悪いことではないと自分で思えたら、次また爆発しても自分を責めずにプラスに捉えられますね。
そこに成長と変化を感じられるでしょう?
どんな自分も許して、心折れずに次回につなぐいい体験をしているのです。

わたしは夫が飲み会に行くのが腹が立つという心の狭い妻でした。
なんで夫だけ自由に楽しく遊ぶの?って不満に思っていました。
ムスメと留守番をがんばるから楽しくなるよう日頃買わないお菓子でも買おうかなって言ったら『ずっと家にいるのになにがご褒美なん?』と夫に言われたことがあり、思わぬその言葉が深く刺さり続けていました。
あ、夫も主婦が遊んでると言ってくるまわりの人とおんなじなんだ、と殴られたようなきもちになったのでした。
あっそう。どうせわたしはご褒美なんてふさわしくないですって完全に塞ぎ、ふてくされました。
それで、どこまで家事をやったらご褒美が認められるんだろうって本当に異様に家事をしました。
だから夫ばかり毎月のように飲み会に行くことに本気で腹が立ったんです。

腹立ち続けた年月ののち内観をするようになり、今もキズついたままふてくされ家事に疲れきった自分を解放したくなりました。
今度飲み会と言われるたびに腹が立つのも疲れました。
その日はムスメとふだん見ないテレビを見ながらごはんを食べたり、家事をほとんどせずに遊ぶ日にしてわたしも欲しかった自由デーを作りました。
夫の飲み会がわたしにも楽しみな日になり機嫌よく見送れるようになりました。
夫の言葉が刺さったままの自分も、夫のせいってずっと人のせいにする自分もしんどかったです。
この体験から、言われるままキズつかずに明るさを放ち解決を目指すことや、腹が立つというマイナス感情につながる自分のきもちを考えて、その向こうにある自分の願いを叶え、抱えたマイナスを積極的に解消するようになったのでした。

だれかに対して、いいなぁ!って思ったら自分に対してそれを叶えます。
疲れてイライラして、言葉がトゲトゲしくなったらトゲが引っこむまで休むとき。
わたしは寝ていない、休んでいないとアピールしたくなるときは一線を超えてがんばりすぎているから家事をやめる。
休むことに罪悪感を感じるときは休むのは心身のリフレッシュのために必要だ、判断がおかしくなっているよ、みんな休んでいるよ、と自分に言います。
噴出した感情の向こうには、一見マイナスに裏返っているけれどとても純粋な自分の願いが隠れているって思います。
そのマイナスにつながる線を消していくと安定していきます。
このことは、人を恨めしく思うなんて自分はダメなやつだ、と自分を責めるために起きたのではありません。
その奥の隠れた自分の声を聞くために起きたと考えてください。
その声に寄り添っていくことでだんだんと修正パターンが身につき、くりかえさなくなってきます。
それが自分を信じる自信になっていきます。

また夢を見ました。
夢③
実家で親戚たちが集まっています。
わたしはそれを天井から眺めていました。
ご挨拶に、お土産のやりとり。そして宴会。
よくあるあたりまえの景色かもしれないけれど、わたしはこういう『参加しなくてはいけない』行事が苦痛なタイプです。
どんより疲れた気分で目が覚めました。

そして考えました。
最近、これからどうやって生きていこう?ってふとしたときによく思います。
そのとき、実家に帰るとか、実家の近くに住むとか、選択肢のひとつに実家や地元が浮かぶんですね。
過去に対するわたしの見方が変わったからやり直すみたいに親とうまくいくかもしれない。
わたしが帰ったら親はうれしがるかもしれない。
そんなふうに思えるのはわたしの心が数々の精神的葛藤を手放せたからだけど、夢みたいに期待して妄想したりして…
そしたらわたしはうれしくて、親の役に立とうとこういう好きではないお付き合いの場面をがんばろうとするだろうな、って夢のおかげでなまなましく体験し、合わなさを感じてよかったです。
合わないから疲労とストレスをためただろうって想像が容易すぎました。
わたしは自由になり自分らしくのびのび生きていきたいのに、どうして不自由なほうに行こうとしたのかって目が覚めました。

子どものころのわたしが親に甘えていないから、甘えてみたかったんだろうな。それは純粋な願いです。そりゃそうだって思います。
だけどもう子どもではありません。
子どものころのように親に甘える、は叶えられないのです。
それに、人の反応を想像して期待して叶えるのは期待の大きさにより勝手に裏切られたような怒りや悲しみを生むことが多いって思います。
だから、自分の願いを叶えるのに人を使わない。
人に期待しない。
わたしはそう思っています。
親に甘えたい、っていうわたしのなかの小さい子が満たされるよう全力で自分を甘えさせてあげようって思いました。

内観の根っこにはいつも小さな自分が見えました。
そうやって過去の自分に向きあい続けて思うのは、インナーチャイルドは小さな子ども!
そのまま小さい子に対するように対応すればいいっていうこと。
泣いて暴れて怒っている子にあとから理由を聞くと、眠かったの、とぜんぜん違うことを言ったりします。
小さい子だと思うと、あれがキライだ、イヤだ!と叫んでいても受け入れられます。
理由は探らないと分からないから、感情がおさまって話ができるようになってからどうしたの?って優しく話を聞いてあげることをしてあげます。
今親のようにオトナの自分が、自分の内側に封じこめられてきた小さな子に向きあって話を聞いてあげる。
それで話をちゃんと聞いてもらえる、と小さな子が安心したら、爆発しなくても出てきてくれて意思疎通ができるようになってきます。
子どもだから泣いたり怒ったり思いきりしてもいいっておおらかに現象を受けとめるとラクです。
心の爆発を自分への否定につなげてしまうクセはなかなか直りにくいけど、前に書いた『愛の言葉で思考する』を思いだしてください。
常に『愛』です。
マイナスに捉われた自分に幻滅しなくていい。すべては気づきで学び。
そうやってすべての出来事が成長につながり少しずつ内観は愛のほうへ進んでいくと見てください。

わたしの実感だと、インナーチャイルドはたくさんいるって思います。
泣いてる子、沈黙の子、寂しがりな子、抱きしめてほしい子。
みんなとなんらかのきっかけで出逢い、なかよくなっていきます。
理由はさまざま。大きな理由から小さい理由もバカにはできない大爆発につながったりします。
オトナになったらたいしたことなくても小さいころには深刻に真剣な世界観がありますよね。
だからたいしたことないって勝手に判断してムシするとその子の感情が爆発します。
年齢もさまざまに封じこめられていて、自分がフタしてきたぶんたくさんいるのではないかと思うのです。

だから爆発なんて何回も起きるでしょう。
そのたびワンパターンに自己否定や自分責めをしてもキリがないです。
それより愛を思いだして自分の内側に愛を送る自分になりましょう。
内観って癒すためでしょう?
自分を愛する自分になる。これを身につけるためと思います。
だって魂は愛だもの♡
みんな自分に厳しすぎます。
心やわらかくごきげんさんになるまでゆるんでほしいって思います。
自分に優しく愛の内観を進めましょう。

 
 
愛の魂に戻る内観トップへ 

章子さんと共著しました、書籍「石たちに導かれて 体験編」はこちら