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第三章天然石と内観1

内観のやり方

第三章天然石と内観1

『ふしぎを信じるとは自分を信じること』

わたしは子どものころからよく夢を見ます。
不眠になるほど怖い夢ばかり見ていたけれど、自分との向きあいが始まると同時に友人や親が出てくるふしぎな夢を見るようになりました。
この夢の変化はなんだ?って今も思います。
分からないけど、良いほうに進みはじめたから悪夢が少し減ったのだ、とそれは分かる。
だから2022年に夢にユメノナカノヒトが現れて虹と光の原石を見せられたとき、また夢が変わってわたしはワクワクしました。
魂の成長が次の段階に入ったという証だ、と強くそう思いました。

原石といえばユメノナカノヒトに出逢う前の年2021年秋に偶然だれかの文章を読んでいて偶然ラブラドライトを知りました。
宇宙とつながる、とか、オーロラのような輝きの石、って書いてありました。
どんな石だろう!!
オーロラ好きなわたしにぴったりの石だ!!欲しい!!って強烈に思いました。
わたしはその前年の2020年の秋に歯をたくさん抜いてしまっていました。
いつのまにかガタガタボロボロになってしまった歯の見た目が悩みだったからいっそ抜いてしまう決断をして、それは自分で決めたことだけど抜いてしまったあと何ヶ月もわたしは暗ーくなってしまいました。
友人に話して元気づけてほしいなぁって思ったけどそのあたりから天然石との内観が進むまでふしぎなくらい友人からメールの返事もなかなか来なかった。
鬱々したあのころ本当に孤独でした。

その最中のラブラドライトとの出逢いは、心がふわぁっとしたのを覚えています。
ふわぁって浮いて吸い寄せられました。
宇宙とつながるってなに?
分からないけど、なぜか分かる気がしたし、わたしのことって思いました。
そしてそれからはワクワクしてラブラドライトのことを考えていました。
住んでいる地域に天然石ショップが無くて、でもどうしても現物を見て買いたいって思いました。
天然石を買ったことが無いにもかかわらず、なぜか石と相性があるとわたしは知っていました。
だからラブラドライトならなんでもいいわけではないし、自分の石は触れば分かる、と確信していました。
その秋のうちに偶然出かけた本屋さんで偶然鉱物フェアをやっていました。
本屋さんのひとつの棚の小さな面積だったけどなんとラブラドライトがいくつも置いてありました。
わたしはびっくりして駆け寄りました。
ラブラドライトのなかから気になる子をひとつひとつ手に包んでみて、手に馴染み、ほわぁっとあったかく感じた子を選びました。

まさかこんなふうに出逢えるなんて!!
これが宇宙の、かみさまの計らいか!
そう思うとわたしはいろんなことがどうでもよくなり、人との関わりかたを反省しました。
この鬱鬱とした話を聞いてもらえないからといって友人に対して怒りが発生するのは筋違いです。
友人もかなりふしぎなところがあるのでわたしの暗く重い念が伝わっていたのだろうと思いました。

ほかの世界、ほかの人も知らないといけない。
人に迷惑をかけずに自分で自分を元気づけないといけない。
そしてもっと自分と深くつながるべき。
自分のことを考えるべき。
わたしの人生に突然現れたラブラドライトという石を握りながらわたしの興味関心は家族や友人や親から『この石と自分』に移りました。
宇宙とつながる石と出逢ったことは偶然じゃなく意味があるだろう。
親と違う列車に乗る夢もよく見る。
親と仲良くしたかったけどわたしはこの親に対する悩みをもう解消して、血縁よりも魂の縁を意識する生きかたに切り替えていいのかもしれない。
夢の内容やラブラドライトの存在からそう思う。
そんなふうに思考が変わり、わたしは友人を含むこれまでのすべてから手を離しました。

すっきりしたくなり自分の持ち物を『感覚』で断捨離しまくりました。
過去につながる古ーい手紙はたいせつな思い出だけどこれからの世界にはいらないと感じました。
親からもらったものなど捨てにくいから置いてあったけど、見て心が沈んでいたので本当に思いきって捨ててしまいました。
そしたらすごく心が軽くなって!
捨ててよかったって思いました。
そしたらユメノナカノヒトの夢を見て虹が光る石を見て『原石』と聞き、そこからFieldStonesに出逢うまで夢のなかでも虹いっぱいの原石を見るし、昼間も天気に関係なくふしぎに虹を見つけました。
なんだかふしぎで、でも宇宙やかみさまとつながっている!とウキウキワクワクしていました。

一般的にたいせつとされるいろんなモノを捨てましたが、この展開はわたしには正解だったと思いました。
すべて捨ててだいじょうぶ。
ご縁があるものはまたつながる。
いろいろ処分して清々しいきもちで、わたしは手刀でスパッと自分のまわりの空間を切りました。
特にいろんなものを無意識に握っている手のまわりをいっぱい切りました。
アタマの上、足の下、背中や首の後ろも。
良縁、悪縁と判断せずにぜんぶ切り離す。
魂的にたいせつなものはまた呼びあいつながるからだいじょうぶなんです。
そうかみさまに教わった気がする。
こういう知識や感覚をずっと忘れていました。
石に感じる感覚を選ぶ基準にするとか、モノとなかよくなるとか、モノに話しかけられる気がすること。
わたしはこんなわたしだったと思うけど、いつから忘れてしまったんだろう?
子どものころ少しあった気がするけどすぐに家族に振りまわされる日常となったから、それどころではなく忘れてしまったのだなぁ。
自分とは『いつ』の自分を思いだそうとしているのだろう。
なんとなくそんな気がする、ということの世界がわたしのたいせつな世界って思いました。
そしてこの自分の追求の、まただいじなポイントまで進めたからユメノナカノヒトがふしぎな出来事として現れてくれたのだと理解しました。
すべてを切って捨てたわたしはもうこれしかないから、これらを全面的に信じおもしろがりました。
だって、虹の石の夢を見た翌朝明るく元気に目覚めたからふと他県まで服を買いに行ったら、虹があるレムリアンシード水晶玉に出逢ったんです。
虹がある石がある、なんて前夜に虹の石の夢を見るまで知らなかったわたしです。
流れるように、なんだかまた、『信じたご褒美』『答えをもらった』って思いました。
楽しすぎます!!

自分が見た夢を信じるなんてなんの根拠もありません。
夢や直感がよく当たると家族は言っていたけどわたしは特にそれまで信じていなかったんです。
子どものころに見たままを話し、当たらなければウソつきと言われてキズつきました。
それで非現実的だと思って距離を空けていました。
これまでわたしは自分の内側を全否定していたのです。
夢は怖いし、モノが話しかけてくるとか、モノに念を感じて怖がるなどアタマがおかしいと心を無にしていました。

でもユメノナカノヒトの言葉どおりに『原石』という名の天然石屋さんと出逢い、わたしの人生に社長さんとHanaさんが現れました。
わたしが怖る怖る書いていた夢の話や魂の話などなんの根拠もなくウソかもしれないのに、いつも読んでくださり、ときにはコメントまでしてくれました。
信じてもらう、ということにわたしは魂レベルで喜びました。
そして社長さんが書く文章が真実ばかりで、これを読める喜びで震える日々が始まりました。
わたしがたどり着いた『ここ』。
ここまで来てやっと現実世界とつながり導きの存在が現れたのでした。
がんばってよかった!!って思いました。
また宇宙から『正解』と伝えてもらった出来事と思いました。

そして『原石』と出逢いを知らせてくれたユメノナカノヒトも真実の導きの存在と強く思いました。
自分に起きるふしぎな出来事や感覚を信じ始めて現実がずいぶん変わったほうに動きました。
ここではわたしはウソつきじゃなくて、信じてもらえて。生きてて初めて居心地がいいと感じました。
これまでを思うと、ここまで来たのをぜったいにムダにしたくありません。
わたしが出逢った天然石屋さんは『自分とつながる天然石のお店』だから、もうそのままわたしに与えられたキーワードです。
わたしは孤独がつらく生きてきました。
孤独は母が起因かもしれないけれど、そもそも自分が自分を信じずに否定していたから孤独がずっと続いていたのだと思いました。
自分自身である感覚を全開にしてもっと現実が移行したら『これまで』とまったく違い寂しくなくなるのかもしれない。そう思いました。
常識や環境よりも、根拠のない夢や感覚を信じ、自分のありのままの潜在意識や感覚を見るようになったこと。
これが大きかったと思います。
なぜなら感覚を信じるとは他人より自分を信じることだから。
それは、魂との唯一だいじな約束です。

みんな変わったところがあるでしょ?それを目覚めさせましょう、という話ではありません。
この内観ブログを読んでいるような人は生きづらさを抱えてる。
その生きづらさは自分と本来の自分がズレているから起きている。
自分よりも外側の価値観に合わせているぶん本来の自分にはフタをして、ズレているんですね。
そのズレを直すんです。
自分らしさを忘れてしまった危機的状況に本来の自分が声を発している。
その『声』は感覚だったり偶然の出来事、出逢いだったり。
なんらかのカタチでわたしみたいにあなたも『声』をキャッチしたからFieldStonesと出逢ったんです。
この感覚はあなたの内側にあるモノで、あなたを導いていくあなただけのセンサーです。
あなたにも感覚はあります。

この自分だけの感覚は、自分だけの感覚で答え合わせができて楽しいですよ!
ある日突然起きる答え合わせの稲妻みたいなひらめき!
自分だけが、合ってるって分かるんです。
2017年に偶然音楽好きな友人と出逢ってわたしは音楽を聴くようになって、わたしは昔に好きだったグループを思いだしました。
インスタグラムでそのグループの動画をたくさん見ることができました。
散りばめられたきらきらした音や虹、メッセージの強い歌詞やメロディーがやっぱり好きだと思いました。
いろんな動画を見ながら、このライブの映像がキレイで歌詞もいいなぁ、って惹かれて買ったCDのタイトルが『リフレクション』というタイトルでした。
目に映るすべてはメッセージ。偶然は必然。
ふとそう思ったとき、わたしはリフレクションという言葉を調べてみたんです。
そしたら、『内省』って書いてありました。
反省ではなく、自分や人生を客観的に振り返ること。そう書いてありました。

季節が進んで田んぼに映る空の水鏡の景色に感動するようになり、インスタグラムでも水に映る景色の写真を好んで見るようになりました。

そういう写真のタグにもリフレクションって書いてあって驚きました。
水に映るものを見ることは鏡のように対の心をのぞくようだからそういうのもリフレクションというらしい。
わたしはリフレクションに促されている。
この偶然もぜったい意味がありつながっていると思いました。
それでリフレクションに自分との向きあいや現実の外側と内側を連動させて見るイメージを重ねて進んできました。

わたしらしい発想の連鎖の広がりだけど♪
このリフレクションのCDジャケットの写真がクモの巣についた水滴の写真だったんです。
この水滴が虹色に光っていて、キレイ!!
ひとつひとつの水滴がそれぞれ色づいて光っていてクモの糸もきらきらして、わたしはこの写真から虹色に光る美しいご縁のつながりを連想しました。
似た人がつながります。
キレイな虹色に光る水玉とつながりたければわたしも虹色にキレイに光らなければいけないんです。
自分を磨き、そこに見合うように光らなくちゃと思いました。

もうひとつ。
歯を抜いて暗かったころに偶然サンキャッチャーを知りました。
室内に虹を放つなんて夢みたい!と欲しくなり、七色の色石の宝石カットされたのを選びました。
ガラスだけど宝石みたいで気に入りました。
日当たりが薄暗い我が家が活かされて夢みたいに室内に虹を光らせてウキウキしました。
FieldStonesの虹があるアメジストの投稿に出逢ったことがわたしとFieldStonesをつなげてくれたのだけど、宝石みたいって思ってた七色のガラスのサンキャッチャーみたいな、そんな透明な色石が本当にあることにかなり驚きました。
しかも透明なアメジストの中に虹が包まれていて!その名も宝石級アメジストだったから、振り返るとリフレクションの言葉に出逢った2017年秋から今までずっと、内観と天然石につながる道が一本につながっていたと思います。

そしてサンキャッチャーのように天然石を光にかざして遊ぶようになり、魂きらきらタイムが生まれました。
虹を放つのや、石が光に透けるのを見たりして、わたしは子どものころ色のついたガラスのカケラを拾って光を反射させたり、向こうを覗くのが好きだったと思いだしました。
元々いた自分とまたつながったという感覚を持ちました。
2017年どころか、結局自分というものは何十年も前からそのままで、つながっていますね。

まさか自分が、天然石を買うようになるなんて。
まさか自分が、内観をやるなんて。
そんなことぜんぜん思ってなかったけど、振り返ればここにつながるべくメッセージが最初からあふれていて、こう生きると決まっていました。
そして、外側ではなく内側の自分自身を見たり感じたり探ること。それを信じることができてから本当に自分らしいありのままの自分とつながり始めます。
そしてそのありのままの自分とつながるべきご縁がつながり、起きるべき出来事が起こるんです。
物事はいつもふいにやってきたからコントロールできたことはなにもありません。
すべての出来事やタイミングはあなたにとって完璧です。
これを降伏するほど信じるかどうかです。
感覚の波に乗り運ばれて人生が動いていきます。

『感覚』ってなに?って思う人いますか?
本来の自分に戻る、という道なのですべて自分自身の内側とつながり感じることです。
自分の内側を全開にした子ども時代を過ごせた人は、どんな子どもだったかに内側のヒントがあるんじゃないかと思います。
自分の外側には、自分のアンテナにキャッチされてふと気になり目にとまるモノや人。くりかえし見る言葉。
自分の内側には、なんとなく気になる、なんとなく感じるという感じかた。
またはなぜか理由は分からないけどこう思う、みたいなこと。
ふと思い浮かぶ言葉もだいじな内側からのメッセージ。こういうのも感覚です。
外側にある条件により決めるのではなく、内側から湧きあがる感覚が『もう決まってしまっている』ようなこと。
なにか見たり触れたりして、なぜかなみだが出る胸の震えも内からの感覚です。
違和感や、イヤな予感。なぜか好き、なぜかキライ、なぜかイヤだ、などに対する理由が簡単に言葉になりにくいのが内側からつながり出てくる感覚です。
その感覚は自分に合っているんです。
ほかの人に合っているかどうかは関係なくて、あなたに合っている、ということ。
人や多数派に合わせず、この感覚に合わせだすと現実が変わっていきます。

直感はなんせ内側がワクワクすることです。
一瞬で惹かれたラブラドライトも内側が反応したとしか思えません。
なぜか欲しい!なぜか気になる!
その感覚と湧きあがる想いをキャッチして買うまでを実行して本当によかったです。
石に出逢い、さまざまに気づき、自分の意識を自分向きに変えたことがわたしのテストだったと思います。
そのテストとその後の自分を変えた行動が『合格』だったからユメノナカノヒトが夢に出てきて『原石』ってヒントをくれてFieldStonesに出逢えました。
これも『信じる』のテストでした。
そしてわたしはこれに乗り、ちゃんとFieldStonesとつながって石を迎えました。
こういう流れで人生が、自分の居心地いいほうに動きだしましたよ♪

みなさんはどうやって天然石と出逢いましたか?
振り返ると印象的な出来事やふしぎな偶然はありましたか?
ぜひ自分らしい自分の感覚をキャッチして波に乗ってくださいね♪

 
 
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