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第三章天然石と内観2

内観のやり方

第三章天然石と内観2

『精神的葛藤から自立する』

天然石を眺めていると、心のリキみがなくなりますね。
長年あたりまえに不眠だったけど『これをなんとかしたいと思う』なんてそんな想いがあることを初めて認識したのは天然石のおかげでした。
生まれて初めて、自分のために、という意識になりました。
意識の矢印が自分の内側を向くことで、やっとわたしに気づいてもらえた!と感情が騒ぎだしました。
ひとつ問題に気づいたらほかの葛藤も次々と主張するからわたしはすぐに考えるべきことで満タンになりました。
家族のことを構ったり助けている場合ではなくなったし、この満タンの自分の葛藤を前に、親は悪くなかった、なんてイイヒトぶっている余裕もなくなりました。
けっこうめちゃくちゃな自分をなんとかしなくちゃいけない。
この矢印の向きが日に日に強くなりました。

自分と自分以外、というふうにまわりを切り離したタイミングで夢を見て『原石』に出逢ったのでわたしにとっては『FieldStonesの石だから』わたしの人生を改善させるチカラと意味があると思えました。
ほかのお店じゃ意味がない。
その考えかたは極端だろうけど、わたしはお楽しみで天然石を買っている余裕はまったくなかったからわたし的には極端ではなく当然のようにそうなりました。
人や常識的価値観はどうでもよくなっていきました。
前回に、ふしぎを信じるとは自分を信じることだ、と書いたけど、人になにを言われても自分が信じる物差しを持ち物事を計ることにブレない自分になるということをこの時期鍛えられたと思います。
人目に振り回されることが葛藤の原因にもなるのでけっこうたいせつな変化です。

毎晩眠れないことがふつうの毎日だったけど、それが問題だと認識してしまうとこれは大問題だと思いました。
外に出られないことや見た目が受け入れられないことも見ないようにしてきたけど、気づいてしまうとフタをして目を逸らした世界がガラガラと崩れていきました。
この現実崩壊の流れと自分の感覚の目覚めは意味がある。
人生起きるべきことが起きている。手放しでそのように信じるだけでした。

どうしてここまで思いこみ信じるか。
ユメノナカノヒトがくれるメッセージが心に残り気づきにつながる流れもふしぎだけど、これがわたしの現実に起きている現実なんですね。
そんなシンプルな理由です。
この夢にFieldStonesのふたりはときどき出てきます。
自分でもまだどこに行き着くか分かってない様子だけど『あそこに(いい石が)あるのよ』ってはっきり言いながら人混みをふわぁと歩いてる。
ふわぁっとだけどまっすぐ目的地に向かって見えたHanaさん。
社長さんは夢のなかですっごいなめらかにいくらでもしゃべる言葉量がすごい人。
まだ出逢っていない頃に見た夢なのに、そのときの夢で見た姿も現実にお逢いしたらわりとそのままで、自分に対する信頼度が上がりました。

以前、むかしむかし、何百年前?きっと時間の軸は無くて今も別世界にある世界という気がするそこにおふたりがソファーに並んで座っているのを見ました。
ふたりとも白い服を着て(みんな白い服)後ろ姿だったので髪の印象が強いのだけど、社長さんの髪は金色みたいな明るい茶色でふんわり大きくカールしていました。
Hanaさんは毛先を外ハネにカールした短いボブ。茶色の髪。
体格や性別差を感じず、背丈も変わらず姿がとても似ていて、『あぁ、ふたりはずっとずっといっしょにいる魂なのだ』と夢のなかで思いました。
この印象は合ってると思います。

そんな自分とつながりさまざまな精神的葛藤を手放して、この天然石との体験をウソのないわたしがありのまま書き綴る。
わたしにはその使命があった。これも自分の感覚から自覚したこと。
これを社長さんとHanaさんと、生まれる前に念入りに打ち合わせしてきたと思います。
2人とは別の場所でわたしはわたしの役割を生きてきました。
決めてきた役割とはいえたいへんでした〜〜〜〜!
ひとりで、と言いたいけれど、ひとりのようでひとりではない。
天然石やわたしのありのままの内面世界とつながり信じる学びもあったとそれも確信しています。

少しずつ天然石が増えていくほどわたしの心も澄んでいろんな感情が見えてきました。
なんにもできないのにカラダもボロボロで主婦もろくにできなくて、わたしってただの迷惑な人って思う悲しさ。
わたしはなんのために生まれてきたのか。
あぁ、しあわせな子ども時代もなく、本当にどうして、なんのために生まれたんだろう?
愛されたかったな。
病人みたいな見た目ではなくかわいく生まれたかったなぁ。
などなど。これらを認識するだけでもじゅうぶん泣いているのに、問題を手放そうとするなら問題をひとつひとつ見尽くす必要があると直感で思いました。
その見方は天然石を使って。

しかしどうやって?
わたしに起きているすべての流れが、わたしはそうするように向かっていると思えました。
思えるけれどやりかたは分からずに、お手本もありません。
だけどキレイな天然石たちが現実に傍にありました。
それがこれまでの内観と今の内観の絶対的な違いで変化です。
なにかやりかたがあるはずでした。
うっとりする美しい石がある事実がわたしのやる気を支えてくれました。

石とともにこれからは自分の問題の深くに潜り向きあうことになったと思ったとき、このタイミング良すぎるタイミングで始まった社長さんの投稿により天然石による現実の変えかたを知ることになりました。
このタイミングの良さもまた宇宙からの『この道で合っているよ』のサインだって思いました。

社長さんがインスタグラムにぽつぽつと想いを書き綴られるようになったすごく最初のときの文章で、すごく共感したのがあって、ここに書き写します。
社長さんの投稿2023年1月6日
ラブラドライトのお写真のです。
『こんなちっぽけな石ですらふたつとない個性を持っている。
本当に自然は素晴らしい。

我々人間だって、一人ひとりがとても個性的。
その個性を活かして皆が輝けばきっと素晴らしい世界になると感じます。
それなのに既存の社会は人を型にはめようとする。
そんなところから不幸は始まっているんでしょうね。

でも時代は変わりました。
人を型にはめたり、お金でがんじがらめにする時代は終わりを迎えたと感じます。
すでに鳥籠の扉は開け放たれた。
でも、今まで鳥籠の外に出たことがないから、怖くて怖くて外に出られない…

それが今の人たちの状態なんじゃないかと思います。

大丈夫。
怖くない。怖くない。
外に出て自由に羽ばたいてみよう。

…と、私も怖がりながら言ってみます。』

という文章でした。

すでに天然石屋さんを家族で始められて理想的に見えたし、天職と言える写真の追求も始まっていて順調に思えるのに、社長さんも怖いんだ、と驚きました。
社長さんは我が家の何倍も稼いでいるすごく立派な人にも見えました。
恵まれている。だけど社長さんは怖がっている。
そこに強烈な葛藤もあるようでした。
稼いでいたら稼いでいる立場で怖くなるんだなぁ。
仕事があっても家族がいても、だからあなたは悩みがないだろう、って断言できるものではありません。
人と比べて、自分より稼いでいるじゃかいか!って悩む権利が無いように他人が言うことでもない。
自分がなにをどう不安に思うかはその人の繊細な問題なんです。
わたしの問題なんて、ただ眠りたい、外に出られるようになりたい、というもの。
そんなこと!!って小バカにされて、好きなだけ眠ればいいやん、なんぼでも外に出たらいいやん、って言われるようなこと。
この眠れなさも外の怖さも、この簡単なことができない深刻さを分かるのはわたしだけです。
会社勤めの人と、主婦のわたしは共通点がぜんぜん無いけれど、だけど社長さんもわたしとおんなじなんだ、ってわたしに思わせてくれました。
家族がいても孤独なわたし。天涯孤独じゃないのに孤独に育ち苦しんでいるわたし。
この、わたしはひとりじゃないという学びが内観を通していつもありました。
分かりあう人がまわりにいないことは本当に『いない』と言えるのか、いつも考えさせられました。
夢つながりの人は非常に近くにいる気がするし、天然石はモノだけど人みたいに傍にいてくれていると思う。
シンクロやタイミングの波にのることを掴み始めると今までなかったことがあると感じられて、なんにもつながりなく生きてきたわたしもこの世にちゃんといると思わせられました。
実際に会わなくても意識のつながりは距離が関係なくあることは夢からも理解できました。
わたしは家にいるけれど、だれかの近くにつながる可能性はある。
そのように自分の存在のしかたをあらためて考えるきっかけになりました。

このラブラドライトの投稿の次にはヒマラヤマニカランスモーキークォーツの投稿でした。
不眠や魔除けの最強のお守りということでわたしは飛びついてお迎えしました。
社長さんも今から変わっていく。その姿を見ながらわたしも『変わりたい』って本気の意識が放たれたように記憶しています。
スモーキークォーツを握りながら、心に沁みるようなすごく静かななみだがずーっと流れる時間がありました。

ここに確かに存在するお守りを手に、わたしもこの生きづらさに向きあい手放していこう、と震えながら思いました。
自分の夢や、ふしぎな感覚や、それが物質化したみたいな天然石たちがリアルにここにあることで怖さに立ち向かう勇気になりました。
眠れないことや、たくさんの恐怖そのものがわたしそのものであると一体化していたけれど、そのひとつひとつを見ながらカラダから剥がしていくその果てしない道のりもこれから先の自分が明るく生きるために必要だ、やり遂げなくては、ってそう決意することができました。
わたしのまわりには分厚く恐怖が張りついているから、ぜんぶ剥がしたらわたしのカタチが変わるだろうな。
軽くなるだろうな。血だらけになってもわたしは新しく本来のわたしになりたいと思いました。
変わることにより今より良くなるのです。
自分らしさイコール苦しみだと思いこんでいたけれど、天然石の登場によりそうではないと気付かされました。
わたしはわたしを愛あふれてしあわせになるようにしてあげたい。
天然石は精神的葛藤から意識を健やかに自立させてくれました。
葛藤はわたしではない、っていうこの意識の切り離しと表明がポイントでした。

社長さんの投稿を読み始めてから見えた社長さんのビジョンがありました。
わたしはむかしからその人の姿形よりも印象が思い浮かび、この見たものを信頼します。
なぜかと言われても当たっているとしか言いようがない。
社長さんについて見たのは、手前の人や街や建物、遠く地平線の山や山々にある家も木々も山向こうの雲まで繊細な線画で、手前のモノから遠くのモノまですべて透かし見えていました。
遠くが霞んだり線がぼやけることなくすべてに鮮明に焦点が合っていました。
この人はこの独特な目で見たものを世の中に見せていく人。そう思いました。
感動しました。

Hanaさんはライブで声を聞いたときに思い浮かびました。
光を投げてこの世に美しい花を咲かせる人。
発する雰囲気や話し声、そこにいるだけで愛が広がる。
ほんものの愛を知っているから愛に対する執着がなく、だからこそ『愛はすばらしい』とみんなに愛を惜しみなく分けてくれる。
そういう本当の愛あふれる人。
そして光の人です。

このビジョンの印象もいまだに変わりません。
わたしにはこういう感覚が人を信じる基準です。
変な人は顔が歪んでいるし目が合いません。
地面から足が浮いているように見えるし、姿が薄く見えます。
そして心がここに無いから話しかけても言葉が通じなくて困ります。
わたしが人が怖い理由ってそういうところにもありました。
だけど天然石が、そうじゃない世界につなげてくれて、こんな世界、こんな人もいる、と見せてくれました。
なんてしっかり存在する、強く信頼できる人に出逢えたんだろう。

社長さんの投稿は、わたしの現状に天然石がどう作用するのかをわたしのためにリアルタイムに解説してくれているように感じました。
わたしはわたしが創った世界で生きているので都合よく勝手にそう思っていたのだけど!
かみさまは優しいって思ったし、ありがたく甘やかされようと思いました。
スモーキークォーツだって、怖さの手放しをぜったいやり遂げるように!って与えられたモノと思いました。
宇宙の応援を全身全霊で感じていましたね。

今までひとり試行錯誤してきたのに、急に与えられる現状に変化してとまどいました。
だけどもうひとりで彷徨う学びは終わったのかもしれない。そう思い受け入れました。
自分と向きあい5年が過ぎてすごい変化の実感でした。
石のことをなんにも分からないのに、わたしがやっている自分と向きあうことと天然石の関わりかたは社長さんが教えてくれる人として現れてくれました。
このやってくる波に任せてわたしは貧欲に学び努力をしたらいい。そう思いました。
すごく自分に集中し始めました。

信じるものはだれかに言われたことではなく、自分の感覚で決めました。
こんなになにもかも確証が無いのにもかかわらず、地に足ついた話みたいにわたしにはしっかり自分の足で立ったとおなじ自己責任の決意と信頼と覚悟がありました。
騙されても人のせいにすることは無い。それくらい自分を信じる自分になれていました。
だから天然石とつながり、現実が変わったのだろうって思います。

ってすごくなまなましく思いだしますね!
1年以上前のわたしです。
たった1年前なんだけどもっとずいぶんとむかしのわたしのよう。
天然石のおかげで真の手放しが重なって、今あんなにあった精神的葛藤を忘れかけているのですが、当時は尽きぬ悩みと苦しみだらけでした。
本当に毎晩眠れていなかったと思いだします。

わたしは天然石のことを知らずに生きてきたから、天然石から天使のように清らかで深い愛を感じる、としか分かりませんでした。
感覚でしか分からない石の働きを社長さんが書いてくださる文章で具体的に理解していきました。
現実創造という言葉も言葉しか知らなかったけど、怖さを超える葛藤から勇気、決断に至るまで社長さん自身がその超えかたをリアルに見せてくださった。
ふしぎでもスピリチュアルでもない『身をもって』の行動をわたしは見たんです。
それって現実的にふつうにすごく説得力があり、信頼できる人ですよね!

社長さんがついに会社員を辞められるまで毎日熱く応援していました。
社長さんがんばって!!というシンプルな応援から、社長さんが弱気になられたときには大変だ!と思って祈りを送りました。
人を純粋に応援することのエネルギーが自分自身の元気にもなりました。
わたしもやるぞ!!って何回も思い心に元気を溜めました。
震えるばかりだけどわたしもやる。
社長さんがついに会社を辞められるときが来てわたしは我がごとのように大喜びしましたが、人が怖れを超える場面をなまなましく目撃できる機会ってなかなかないです。
これはかみさまが見せてくれた貴重なお手本だと思いました。
見せられたからにはわたしもぜったい後に続こう!って。
だからこそわたしも引かずにその後いっしょうけんめいになりましたね。

社長さんがわたしの先を進み見せてくださった現実創造真っ最中のなまなましい悩みの文章の数々って、当時わたしが勇気や励みにしたように、響くかたがたくさんいると思います。

社長さんは最初から今の社長さんじゃないんですよね。
意志を持って怖さを突き抜けたから今の達観した社長さんなんです。
わたしはそれを目の当たりにしたからこの理論を真実と知り、信じています。
みんなとおなじように葛藤にこねくりまわされた末に突き抜けて今があるってこと。
だから、みんなも変わることは可能なんだと社長さんは力説されるんです。

社長さんの投稿を古いものからぜひ読んでほしいです。
気づきがいっぱいで、自分の勇気になり意志になります!
精神的葛藤が人と比べて大変そうだとか深刻そうだとか問題の大きさは関係ないんですね。
その人がその人らしく生きられてなくて問題だと感じたら手放すべき深刻な問題なんです。
わたしは病的な顔色をして、孤独であり、親に愛されなかった苦しみに捉われ、そして不眠でした。
長年あまりにこのようにいたから、これがわたしのキャラクターかのように思いこんでいました。(これは自分らしさでもなんでもない、ワナのような思考です。)
だけど向きあいをして解消できるものを解消したらわたしは明るくなりました。
顔は変わらないけど顔の肌色は元気そうに変わりました。
性格も明るくなってよく笑うし、なによりわたしから、生きる意味がない、という呪いの思考が消えました。
この、こっち側のわたしが本来のわたしなんですよね!
天然石は本当に愛を持って葛藤を直視させたあげく自分の本体から葛藤を切り離させてくれました。
なぜ直視しなきゃいけないかというと、天然石の純粋清らかさな本当の愛に触れたからこそ、自分にくっついている愛ではないものを『これいらない』と違和感を感じて思う必要があるんです。
なぜならいるもいらないも意思が自分の自由だからです。
自分が思わなければそのまま自分にくっついたまま。
天然石は気づかせてくれるけど、いらないものを捨てる行動は自分がしなきゃいけません。
それは大変で怖いかもしれませんが、実際乗り越えて葛藤から自立し真の自分の人格で生きられてる社長さんや、今明るく変わったわたしから真実を感じてもらいたいです。
自分のために不要な葛藤を手放す決意と行動をしてもらえたらと心から思います。

人生がうまくいかないのは精神的葛藤が自分そのものの顔をしてくっついているから。
人生がうまくいかないのはそのせい。
そこに葛藤があるから、ってそう思うとラクだけど、天然石に愛を教わればこの葛藤をどうするのが自分のためなのか。
自分がどんな行動をしないから現実が変わらないのか。
人生がうまくいかないのはだれのせいなのか、耳が痛いような話だけど愛を持って自分のために現状を直視するのは必須です。

自分を愛で救おうとする以上、愛の天然石がぜったいに自分を見捨てません。
だからがんばってほしいし、わたしも今もがんばっています!

 
 
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