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第三章天然石と内観6

内観のやり方

第三章天然石と内観6

『外と人が怖かったわたしの話』

眠れないのは不眠というけど、わたしが外が怖いという感覚はなんていうんだろう?
外出恐怖症?対人恐怖症?不安障害?ってこれを機会に調べてみたけどなにが当てはまるか分かりませんでした。
パニックになるわけでもないし、家のなかが安心するというわけでもなく、いろんなことが絡みあって複雑だ、と自分で思いました。

小学生のときには使われないモノが押しこめられている物置きは怖かったですが、外が怖いということはなかったです。
オトナになり都会でひとり暮らしをしていたときは事件や事故の現場が多くあり、人混みにいると怖いし、ひとり家にいるのも怖かった覚えがあります。
でもまだふつうの範囲じゃないかな?と思う。
ふり返って気づいたけど特に強まったのは結婚してから。
『家族のカタチ』になり怖さの質が変わった気がしました。
結婚してひとり暮らしじゃなくなり安心したけど、『もう逢えないんじゃないか』ってなぜかくりかえし思い浮かび不安になるようになりました。
赤ちゃんを連れて日々買い物に行くけど、『もう帰れない』って思い浮かびいつも帰宅するまですごく緊張しました。
子どもが生まれてから今暮らしている土地に引っ越ししてきたのだけど、玄関扉にカギがかかっているのにチャイムを押さずに玄関をいきなりガチャンガチャンと開けようとする。
そしてそのまま扉を叩く人が多くて、これに対してなぜか強い恐怖を感じてしまいました。
わたしは人が来たのに応対できずに扉のこちらがわで冷えきるほど固まってしまうようになりました。
(20年近くの年月が過ぎて今はそういうタイプの訪問者はいなくなったと気づきました)

玄関ヲ開ケタライケナイ!!
知らない人も怖いけど、それが近所の顔も名前も知ってる人だとしても『開けたらわたしは捕らわれて殺される』となぜか思い浮かぶようになりました。
自分でもよく分からない。だけど自分の感覚ってどうにもならず、そしてわたしはなんとなくそう思うという予感がすごく当たるので不安と怖さしかありませんでした。
ニュースは現実に起きたそんな怖い事件ばかり報道するから子どものころからニガテで、実家を出てからはテレビを見ていません。

現実に『そんなことは起きないよ』って思ってる自分もいるのです。
だってわたし捕らわれるようなことなんにもしてないもの。
人を怖がらせたりしていない、って思うと『今世はまだ』と声がします。
わたしは自分の顔に化粧しても隠せない特徴的なクマがあることから自分の過去世は罪人だと思っていることを思いだします。
やっぱり過去になにかやったのかな。だから今世は恐怖のままに閉じこもり、だれとも関わらず、すべてに鍵をかけて家のなかにいて足音が近づいてくると捕らわれる恐怖で緊張がピークになるような暮らしをしてる。
鍵など簡単に開くから安心していません。
今世ハオトナシク捕マラナイ。ってそれもなぜか思う。
だれかが無理矢理入ってきたら自分と子どもを守るため正当防衛に抵抗できるように、玄関の外にだれかが立っているとわたしはホウキや傘に手をのばして気を研ぎ澄ましていました。

これらぜんぶかなり本気です。
アタマがおかしいとか精神の病気って言われそうなことだけど、その恐怖を取り除いたほかの部分は今のわたしと変わらないので病気ではなかったと思います。

外に出たら『わたしはもうここに帰れない』って思う。
ある日突然わたしが捕らわれて殺される。
ある日突然家族が消息を断つ。
結婚したことで思い浮かぶようになったこれらが本気なので家族のことも過剰に心配する年月でした。
気をつけて帰ってきてね。クルマや知らない人に気をつけてね。
言葉だけはみんなが家族に言うだろうおなじような内容だけど、その重さはぜんぜん違いました。
わたしこそ家にいるのに、家族が帰宅したらいないかもしれない。
もう会えないかもしれない。っていつもどこかから込みあげます。
だから『行ってらっしゃい』って、家族が見えなくなるまでまったく目を離さずいつも真剣に見送り目に焼きつけていました。
これが気軽にできなかったです。

そんなわたしでした。
見た目を気にしていたのでとにかく家にいることが多く、ムスメの学校行事以外は日々の買い物と図書館に行くのみ。オットといっしょに外出していました。
恐怖は深刻だったけど、都会暮らしをやめて田舎に暮らすようになってから特に行きたい場所もなく、いつも家にいて本を読んでいるお母さんであり妻でした。
ムスメが友達と遊びに行くときには口うるさくしっかりと注意して、親との通話付きの子ども用の防犯ブザー持たせてやっと送りだしましたが、わたしの怖がりは家族に理解されていたから家族としてはわたしの心配しすぎなところは問題にはなっておらず、だからわたしも問題と思っていませんでした。
2017年に友人と出逢い、内観が始まってしまうまでは。

出逢った友人が本当に健やかな人で、友達や知りあいが何百人もいるのではと思うほど人との出逢いを楽しみご縁を広げている人でした。
人が怖いわたしとは対照的で驚きました。
そんなに心を開いて出逢っていけるなんて。
友人が何百人もの人とあたたかなご縁を築いているなら、なかなか怖い人っていないかもしれない、って少し思うことができました。
近所の人たちを怖がらずにわたしは家にいることを安心していいかも、って思いが転換するきっかけになりました。

それで心が上を向き始めました。
庭にも出ない、窓も開けない、カーテンを開けて外を見ることもなかったのだけど、少し窓を開けてみたり、カーテンを開けて空が見えるようにしてみたり、少しずつ変わっていきました。
庭にも簡単に出られると思いましたが、だれかが隠れていそうで玄関を開けられないことに気がつきました。
ポストを見にいくだけでもすごく覚悟と決意が必要でした。
こんなわたしはぜんぜんふつうじゃないかもしれない、って初めて思いました。

でも、外に出られるようになりたいって思う。
だから外に慣れようと思って最初は家族みんなでコンビニまで散歩しました。
ひさしぶりにふつうに道を歩いて楽しかったです。
怖くないのは家族といるからだなぁ、と思いました。
家族いっしょだからなにかあってもいっしょです。
離れて家で待っているわけでもないから心配することもありません。
だからだいじょうぶであり、わたしには別離の恐怖があるのだと分かりました。
それでもひとりで気軽に外を歩けるようにならないと、って思いました。
これができたら心配しすぎずに夫やムスメのお出かけを気軽に見送ってあげられます。
対照的な友人のおかげでだんだんと自分の異様なところが分かってきました。

いつも夫にクルマで送ってもらっていた歯医者さんに歩いて通うことを決めました。
家から歯医者さんまで歩いて1時間かかる道のりは田んぼだらけで人がいなくて、なにかあっても気づかれないって思うと怖かったけど、この決意と変化を押し進めたいと思いました。
最大限に安心するため夫にお願いしました。
家を出る前と歯医者さんに着いたときにメールをするからメールを読んでね、と言いました。
帰りも歯医者さんから出るときと、家に着いたらぜったい連絡するから、行きも帰りも着いたって連絡がなかったら家から歯医者さんのあいだを見に来てね。ってかなり本気でお願いしました。

夫は、『分かった』とはっきり返事してくれました。
このとき夫がこのわたしの妄想みたいな恐怖をバカにしなかったことに今もすごく感謝しています。
その安心を頼りにおどおどと外に出るようになりました。
歯医者さんまでの道は片側には雪山、反対側には田畑。さえぎるものがなく景色が広く、風がきもちよくて自然いっぱいのなか歩いているのが、なんか昔みたいってふと思いました。
わたしは森のなかで摘んだベリーやきのこや野草や花を入れたカゴを持って村の道を歩いて家に帰ってただろう。
道を歩くときはおつきさまといっしょ。
帰り道に摘んだお花を持って帰ってきてくれる人がいたようなってイメージが湧きました。
家は村のはしっこにある教会のような場所で、手作りの家具やテーブルやイスがある質素なその家をキレイにして暮らしていて、飾り気のない分厚い木の扉が見えた気がしました。
そんな楽しいイメージを思い浮かぶので気づいたら楽しく歩いていました。

知りあったばかりの友人に、歯医者さんまで1時間も歩くけど楽しいんだよって報告しました。
だけど外が怖くてふだんは玄関を絶対開けないの。宅配便も怖いから居留守なの。って初めて人に吐きだしました。
友人もなにも言いませんでした。そんなことじゃダメだよ、って言われなくてうれしかったけど、このとき知らなかったけどこの友人はサプライズのプレゼントをいきなり送ってくる人でした。
外は怖くない。近所の人も怖くない。そう思いながらわたしは家の敷地内にたくさん鉢植えの花を置き、家のなかも外も明るく整え始めました。
すごくがんばって庭に出ては花を見たり水やりをしました。
そしたら予定に無い宅配便のトラックが家の前に停まります。
急なことで家のなかにも戻れずに、ドライバーの人に話しかけられてしかたなく直接受け取りました。
すごくふつうに受けとることができました。
こんなことが何回もあり、わたしが外にいるのは暮らしのなかのほんの数分しかないのにどうしてぴったりとトラックが現れるんだろうってふしぎになっておもしろくなりました。
そして毎回ちゃんと安全に受けとれて、怖いことはなんにもないこと。それをしっかり心のまんなかに置きました。
それからもふいにいきなり現れる宅配便のトラックに驚くけれど、家のなかにいても玄関チャイムにちゃんと出られるようになりました。
怖くない、だいじょうぶっていつも自分に言って、これをくりかえしてだんだん慣れていきました。

そうやって外や人に慣れてきたし、わたし改善したなぁ!って思っていました。
でも数年が過ぎて天然石を迎えて、その清らかな美しさに心のフタが溶かされるように開いてすなおな思いがどんどん出てくる。
それをすなおに受けて感じていくと、わたしの内側にある『怖さ』が自覚するよりももっと底なし沼みたいに深いことに気がついたんです。
夜が怖くて眠れないという不眠の原因にもつながっている『怖さ』が本気で恐ろしくなり震えました。
これまでのように怖さがありながらもなんとか生きていけたらいいと思いたかったけど、清らかな天然石を見ていると、天然石は清らかしかなくて、わたしは天然石みたいになりたくって!
天然石みたいになりたいってそれもわたしの内側から浮上したすなおな想いでした。
そしてすなおな想いは、わたしが自覚した怖さに対して、『もうほんとにイヤだ!!これからの人生にはいらない!!天然石に似合わない!!怖さから解放されたい!』と叫ぶのでした。

怖さを解消しないことにはわたしの安心なんてありません。
外に出ることも、眠ることも安心が必要です。
向きあわないといけないときが来たのに、もうすでに怖くてたまらず震えてしまう。
本当に本気で最強のお守りを必要としたとき、ショップアップデートで最高に美しいヒマラヤマニカランスモーキークォーツに出逢ったのでした。
即断即決で迎えました。

わたしは言霊を気にします。インスタグラムに何年も文章を書いていたけど怖さについて書くことはなかったのです。(書いたらもっと現実に怖さが現れそうだから)
だけど天然石と過ごし始めるといろんな思いが浮上して、自分の醜さにも泣いたし、カラダの弱さにも泣いたし、これまでの人生にも泣いたし、子どものころの自分に対しても泣きました。
そういう自分の内側に抱えて封をしてきたことがすなおに感じられているのだと思いました。
だから、気づいてしまった底なしの怖さについても吐きだしてしまおうという決意のもと、勇気だして言語化し書き綴りました。
社長さんとHanaさんがそれを読んでくださり、速攻で石を送ってくださいました。
わたしの妄想みたいな病気みたいなこの怖がりに対してのお店の人たちの本気の対応がうれしかったです。
明日の午前中にはこの手にお守りが握られてるなんて!!と想像だけで安堵。最後の1日を心強くいられました。

届いた石は贈り物みたいに美しく箱に入れてくださっていました。
箱を開けると石からものすごい風が吹きました。
これはすごい!と驚きましたがわたしのどこかで納得でした。
完璧なものって美しいんです。そして美しいっていうのは強いんです。そして真実は美しい。
わたしは闇に生きて醜いけれど、闇に勝つために内側を完璧に美しく強くすると決めました。
その日から眠るときも出かけるときもずっといっしょに過ごしています。

その夜はこの石を枕元に置いて眠ったらふだんは不眠なのに眠れて、夢を見ました。
その夢の内容が『石たちに導かれて体験編』にも書いたけど、夢のなかでわたしは占いのような言葉が当たることを村のなかで喜ばれていたけれど当たりすぎて怖がられるようになりました。
親しくしていた村人たちがある日突然家に押し寄せ囚われて、生まれる寸前の赤ちゃんとともに村の広場で殺されました。
その夢のなかでだんなさまと生き別れたし、赤ちゃんは生まれなかった。
わたしはムスメを妊娠していた期間中、子どもが生まれてこない気がしていました。
だけどわたしは当たる夢をいくつか見ました。子どもが小さな女の子であること。何月何日に生まれる、と知りました。
それで安心して出産まで過ごしたことを思いだしました。
これまでの恐怖やなんとなく思うことの、魂に刻まれた根っこを見つけた夢でした。
殺される夢を見て怖かったけど、目が覚めてまだ真っ暗な部屋のなか、すぐ近くにお守りの石があり顔に風が感じられました。
守られている感が強く落ち着けました。
怖かったけど、怖さを祓うには怖さを知る。そのために守られながら夢を見せられたと思いました。
そのまましばらく眠れなかったけど、ずっと何十年も『なぜかそう思って怖いんだよ』という不可解が自分のなかで解けて、自分と分かりあえた気がして泣きました。

以下はわたしがヒマラヤマニカランスモーキークォーツが届き少し心強くなりながら『怖さ』についてインスタグラムに書いた文章です。

わたしは怖いのである。
なにが、なぜか、は分からずずっと、おさないころから眠れば悪夢を見るから起きて震える。
ちょっとそこまで外に出るのに覚悟までする。ちょっとそこまで行くのも怖い。

体調までくずし、家庭はぐちゃぐちゃ、愛猫はいなくなりどん底のなかひとりの友人が現れて言ってくれた。
『世のなか怖い人ばかりではない。
いい人とつながる。いい世界があるんだよ』
そんな話をする人は初めてで、わたしは安らかになりすこしずつ眠れるようになり、すこしずつ自分と向きあい始める。
『わたしもその世界に生きたい』と思うと同時にわたしは闇に深く捉われていることにも気がついた。
がんじがらめに縛られ足も動かない。
こころも固まってしまっていた。
『わくわくするほう、迷ったら明るいほう、たのしいほうへ』って友人がまた明るくなる言葉を教えてくれる。
ドキドキしながらインスタグラムを始めてみた。
わたしがときめくもの、わたしがまだ知らないわたしの好きなものを知る日々。
世のなかこんな世界もあるんだ、って心が、目が、
開かれていく。

そういうもので心を埋めたくて、心のなか見て見ぬふりをしてたヘドロをかきだす。
触ればぐちゃぐちゃになりどれだけ怒り泣いただろう。
5年かかりやっと透明感が出てあるがままのわたしがそのままここに在る。
それでいい、それがいい。
そのまま透明につながる世界をわたしは生きたい。

昨年クリスマスのころ、ずっと鍵かけてたここをふと開けてみようかって、わたしは人も怖いからそんなこともいちいち勇気と決意がいった。
でも今までのように重たく足をひっぱるものはなく決意も勇気も明るく軽く、さっさと鍵を開けてみた。
ちいさな、行動ともいえないような行動だけど、そのちいさなひとつひとつが欠くことのできないひとつでしょう?
後押しするように友人が、『気を楽に、気楽に、喜楽に』ってメッセージをくれたし、虹がいっぱいかかる夢も見た。
だから間違っていない。

心を断捨離。軽くなり清らかな風が通る室内のように家も心もカーテンあけて窓をあけて常に気が新鮮であるようにこころがける。
自分を満たす方法を知り、自分を機嫌良くする方法も知り、自分のことに集中する日々。
ふとしたときに頭のなかや胸のまんなかからあったかい熱が広がるのを感じるようになった。
おどろきながらじんわりと全身ほかほかになるのを感じながら、こういうときはわたしとつながる人がわたしをあたたかく思いだしてくれているって思い、うれしくなる。
純粋清らかな愛のエネルギーがわたしに届いている。

わたしは外に出ていきたい。
すべての人に好かれなくていいから愛でつながるなかまに出逢いたい。
それには外に出ないと出逢えない。
インスタグラムの鍵を開けることから現実に外に出ることに、散歩だけでなくもっとどこか行ってみたいところに軽やかに行きたいと思えたときが変わるタイミングって思う!
でも怖いからお守りほしい!って強いパワーの石を探していた。
最高のスモーキークォーツを握りしめ今日は遠いポストまで歩く。
もしもこのスモーキークォーツに出逢えなかったらこの石を買っていただろうっていう気になる石がもうひとつあって、それはグレーのようなグリーンのような頼もしさと落ちつきを感じる石です。(シンクロのガネッシュヒマールクローライトツインのこと)
それもなぜかお守りと感じてこの数日見ていた石。
でも飛び入りのようにこの最強のマニカランスモーキークォーツを買った。
そしたら『その人に必要なだけ水晶があるといい』っていう社長さんの文章を読み、そのあとまたお店にその石に逢いに行った。
安心するだけお守り増やしていいかな、高価な石を買ったばかりだけど、と思う。
そしたらそのあとショップのリーディングメッセージ動画が投稿されて(メッセージを文末に載せています)それがその毎日思っていた石のメッセージでおどろいたし、メッセージがわたしが感じていた頼りがいそのままでうれしくなった。
これはシンクロ。買うべきだ!と高まる。
そしたら友人からハガキが届き、また光のシンクロを感じる。
この流れに乗りまた石に手をのばした。

お金つかうことも行動することも、わたしはわたしの枠をひろげたい、それを実行します。
世界は怖れることもあるけど『良いこと悪いことはおなじ数だけある、自分がどこにいてなにを見るか』という友人に教わったことを胸に、清らかに強く生まれ変わります。

循環のエネルギーもまずわたしから放ち与える。
わたしはわたしの内側から愛が満ちてあふれる。
それでつながるなかまのところに行きたい。
きらきら生きる。
離れていても感じられる、見えなくても在るもののほうがたいせつ。
信じられるものを探し見る心もたいせつ。

という文章でした。
怖さを感じて石を強く握りしめながらも石のおかげで心強く、もう希望を感じられるほど落ち着いています。
自分が安心できるだけの石を持てばいい、と心吹っ切れたのもこのころで、お守りと感じた石や水晶を買い増やしました。

ヒマラヤマニカランスモーキークォーツを握りながらひとりでポストまで歩いたときのことをよく覚えています。
石の透明感がすばらしいので雪山が透けて見えました。
波動について友人から聞いたことがあり、安心と明るさを放ちながら在るということの重要さを知っていたから美しい石を通して景色を見ながら、さらに明るく歩くためわたしは心のなかでヒカリノアトリエというだいすきな虹の歌を歌っていました。
人が来たら石をぎゅっと握って『怖い』と思うよりも『だいじょうぶ』の言葉をゆっくり丁寧に思いながら歩けたのはいい体験でした。
もちろんぶじに帰宅して、石にありがとうと言いました。清々しい気分でした。

今も出かけるときにはこのヒマラヤマニカランスモーキークォーツは欠かせません。クローライトツインの石も持ち歩きます。
怖さがゼロではないけれど、お守りの石やブレスレットや、その日に目が合いピンときた石など存分に持って出かけます。
怖さに意識を合わせずに、お気に入りの服を着てカバンを持って、石を連れてお出かけする楽しさやうれしさに意識を合わせています。
まわりを見ずに自分の石を見ていると、まわりが少し遠くに感じます。
今までより他人が薄いかんじ。背景のようです。

今もどこでも行けるわけではないけど昨年には電車に乗ることができたし、気分の良いときには散歩に出ることがあります。
インスタグラムで知らない人と安心してつながるようにもなりました。

もしも天然石がなかったら、ここまで変化できるにはもっと時間がかかったと思います。
どうして怖さに対抗するのにまっすぐ天然石を求めたか、わたし的な感覚で根拠があります。
天然石は清らか純粋な『愛と光』なんです。
怖さがある『闇』の正反対。
魂の根源も愛と光と思っているから、魂と天然石が合わされば闇を超えられる、とイメージしました。
わたし自身が心の内から怖さを思わないことや不安を感じないことも必要です。
心清らかに在り、天然石や魂と意識を合わせています。
いつも石の美しさを見てきらきらを楽しんだり、空を見てトリの声を聞いて自然のエネルギーを感じます。
そのように常に心を洗って清らかにいることがわたしの内からの結界となりわたしを守っています。

ずっとこのきらきら美しい世界にいるから怖さが薄れています。
今、いろんなところに行けない理由は怖いからではなくなっています。
スマホが必須な世の中になっているけどわたしは乗り物や宿の予約や、またはトラブルがあったときの素早い臨機応変な対応をスマホでできる気がせず。
そういう現実的具体的なことが理由になっているから、お守りのヒマラヤマニカランスモーキークォーツやシンクロクローライトツインのガネッシュヒマールを持ってから1年ですごく変わったでしょう?って明るく思っています。

以下は、シンクロのガネッシュヒマールクローライトツインからのメッセージです。
これはわたし個人あてではなく、FieldStonesのフォロワー全体へのメッセージです。
よく読み返す文章だけど今あらためて読んでみても自分と向きあっている人みんなに当てはまるメッセージ内容です。
ぜひ、メッセージに問いかけられたことや感じたことをしっかり捕まえて、言語化したり、いろいろ思ったりしてください。

『扉の外は無限大だ。安心して出ておいで。
目に見えないものは存在しない。そう決めつけていませんか?
美味しいと感じる自然の中の空気、鳥たちのさえずり、頬にあたる冷たい風。どれも見えないけれど確かに存在している。
今までの世界は、こうでなければいけない、私は子供だから、父親だから、母親だから、これしか出来ないから。
色々な制限の中で苦しい思いをしてきたことでしょう。
けれど、これからの世界はもっと自由でいいのです。
でも、その自由の中で生きて行くために必要なことがあります。
それは…
自分がどんなものが好きで、どんな思いで生きて行きたいか。
どんな時に楽しい、嬉しい、と感じるのか。
今までどんな辛いことがあって、どんな思いをしてきたのか。
それを理解すること。
頑張ってきた自分を褒めてあげること。
そうして自分と和解し、分かり合うことで魂と一致することが出来る。
理解し、認め、許すまで、一時は辛いかもしれない。
けれどこの世はあなたひとりではなく、側で見守ってくれている存在がいることを忘れないで。
その存在は見えないかもしれない。
でも確実に存在するエネルギーです。
さぁ、心が決まったら扉の外に出ておいで。
決めるのはあなたです。
今までの世界で生きていくのか、自由で愛溢れる世界で生きていくのか。』

このクローライトツインのガネッシュヒマールも、わたしが気になると同時に社長さんHanaさんと連動して、見えないつながりのシンクロ体験があり感動した石です。(本に書いてあります)

わたしのようになにか怖さに捉われている人は、強烈にお守りを感じた石を安心するだけ持つことが、シンプルに安心につながるからオススメします。
そして、怖さより『安心』に意識を合わせてくださいね。
いつも石を見て心を澄ましてくださいね。


 
 
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