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第三章天然石と内観7

内観のやり方

第三章天然石と内観7

『わたしを変えてきた「今日の石たちとリーディングメッセージ」の内観』

朝、静かなときに心を透明に澄まして『今日の石』と思い浮かべます。
最近のある朝に惹かれて手にした石は、澄んだ愛のピンクのピュアレイ。
感情の鍵のソラリスガネッシュヒマール。
そしてエンジェルシリカでした。
ひとつひとつ手に取り眺めて心に語りかけてくる感覚を味わいます。
心がどんどん石と共鳴します。

その澄んだ心のまま今日の石たちの写真を撮ります。
そうすると写真に心が表れて写した石も透明になります。
ときどき写真の石を褒めていただけるのは、この撮るときのわたしの心の状態が出ているからと思います。(景色を撮るときも心を澄ませて撮るし、文章を書くときも心を澄まして書いています。)(澄ます、とは雑念が抜けて思考が遠い状態)

そして、それぞれの石からいただいたリーディングメッセージをふり返ります。
写真を撮ることを省くことがあってもメッセージを読み直すことは必ずします。

メッセージをいただいた順番に、
2023年3月、感情の鍵のソラリスガネッシュヒマールからいただいたメッセージ
『あなたを待っている人がいます。
あなたにしか発することが出来ないエネルギーを。
それが一体何なのか、あなたの中に既に答えがあることを私は知っています。
地球が変革を迎える今、自由な形でそれを実現することができるでしょう。
まもなくその扉は開かれます。』

2023年4月、ピンクのピュアレイレムリアンシードクリスタルからいただいたメッセージ
『あなたの中にある揺るがない思い、見つかりましたか?
外の世界を探すのではなく、あなたの内側にある本来の強さや優しさを見つけて、それらを丁寧に磨き上げて行きましょう。
それらはすぐ手の届くところにあります。
あとはあなたが手を伸ばして掬いあげるかどうかです。
勇気を出して手を差し伸べてください。
きっと思いもしなかった現実を見せてくれるでしょう。』

商品ページのミニリーディング
『全ては完璧なバランスの上に成り立っている。
あなたもまた完璧な存在である。
恐れや心配を手放し、魂の声に従って行きましょう。
私はあなたが負のエネルギーに傾かないよう安定したエネルギーを送ります。』
恐れや心配を手放し、純粋な愛のエネルギーで穏やかな日々を送りたい方に。

2024年5月、エンジェルシリカ(チャロアイト)からのメッセージ
『私は、あなたが長い間持ち続けていた葛藤、怒り、後悔をひとつひとつ溶かして行きます。
全てのことに意味、そしてタイミングがありました。 
あなたが体験して来たことは決して無駄ではなく、むしろ同じように苦しむ人々に気づきを与えるきっかけとなるでしょう。
自分に優しくなれた今だからこそ、誰かにとって救いとなる言葉を届けることが出来るでしょう。』

そしてこれらのメッセージをじっくり感じます。

わたしはこれらのメッセージたちをいただくたび毎回日常に使う手帳に書き写しています。
そこには、日々見た夢のメモや自分の意思、言われてうれしかった言葉や気づきを書いています。
メッセージを読み返すときはこの手帳に書き写したものを読むので同時にその頃の自分の言葉に対面して、その頃の苦しさや状況、メッセージをどう受けとり感じたか、も思いだします。
その記憶と、今感じることの違いが、自分が目に見えるように実感できる自分の変化であり成長です。

わたしは日々インスタグラムに文章を書いています。
今回の文章のような内観もしょっちゅう書いています。 
そのとき、いただいたリーディングメッセージもよく載せます。
わたしは以前コピーペーストのやりかたを知らなかったせいもあるけど、いつも手帳を見ながら手動で打っていました。
そのおかげで、読むみたいにくりかえし噛み締めながら文字を打つことになります。
だから今までたくさんのメッセージをいただいてきたけど、石と石からのメッセージを忘れたり間違えるかんじがありません。
日々いそがしいときにも石がピカッと光って呼びかけてきたり話しかけてくるときふと石に目をやります。
そのとき手帳を開けなくてもメッセージを思い浮かべることができます。
それで心に波紋が起きて内観が始まることもあります。

感情の鍵のソラリスガネッシュヒマールのメッセージを読んだら、感じることが変わりました。
あなたを待っている人、とは特定のだれかでありながら、特定のだれでもない。
昨年から今までに出逢ってご縁をつないだ人たちみんなを表している。
特に、わたしとメールのやりとりをしてわたしの言葉に泣いてくれた人たちのことだと思いました。
そういう人がほかにもいて、まだ出逢っていないけど待ってくれてるんだろうか。
待ってくれている人がいるなんてしあわせ。
わたしがわたしのありのままで話して、心が明るくなってくれる人がいるなんてしあわせ。
わたしのままで役に立てる、そんな居場所が見つけられてしあわせ。そう思いました。
メッセージをいただいたときは予想もしなかった現在のわたしだけど、人の心を明るくしたい、という想いは小さなころから母に対してすでに思っていました。
自分というものや生まれた目的ってふり返るとやはり最初から自分らしい資質として見つかるものなのだと思いました。

ピンクのピュアレイレムリアンシードクリスタルからのメッセージもまた現在のわたしの視点から受けとることが変わりました。
わたしの内側すぐそこにある揺るがない思い、強さ、優しさとは、わたしがわたしの体験から得た困難を抜けだす方法の気づき、心の在りかた、それを惜しみなく伝えてカタチに残すこと。
よく似た苦しみを抱えて苦しんでいる人を真の癒しに導き、本当に解放すること。
わたしは小さいころに母を助けたかったみたいにこの種類の情熱をすごく持っています。
ただ、個人的なトラウマや苦しみに関することだから勇気と覚悟が必要です。
そして、間違って今よりひどくなったらどうしよう、という怖れを感じます。
だけどここで怖れよりも宇宙を信頼する。
今までいただいてきたリーディングメッセージを信頼する。
わたしが体験してきたことが活きる人とご縁が結ばれていくはずだ、と思ったそのとき、ほかの石からこんなメッセージもらったなぁ、って思考が流れ、進みました。(この柔軟な流れにより気づきを得ることがよくあるので漂うといいです)

ここで『ご縁』という言葉からクンツァイトの石とメッセージが思い浮かんだのでそのメッセージも見ます。
2023年9月、
クンツァイトからいただいたメッセージ
『全ての出来事が様々な体験をもたらし、あなたの魂を成長させて来ました。
そのひとつひとつ全てが誰かの支えとなっていくでしょう。
私はそれを必要としている人とのご縁を繋いで行きます。
ありのままのあなたが人々に愛のエネルギーを送り、救って行くでしょう。』

『こうなりたくて向きあいをがんばってきた』『泣けた』とメッセージをいただいた日の手帳に書いていました。わたしの魂の言葉と涙。
わたしはこのメッセージをいただいてから、本当にこうなるように努力を重ねました。
小さいころから人の心に敏感でした。それゆえに人と関わりにくくて気味悪がられたり、本当のことを言って怒らせたり、キズつけたりしてきました。
それで萎縮してなにも感じないよう気づかないよう見ないよう心に封をして生きてきた面を思いだしました。
こんなわたし、という存在の、存在する意味と魂の仕事は、わたしのわたしらしさそのままが活かされるはずなのです。
根拠なく、でも内側から固くそう信じて自分の命の意味を懸けて、内観の6年間自分と本気で向きあってきました。
だからこんな報われるメッセージをいただき本当にうれしかったです。
やっぱり、やっぱり!FieldStonesに出逢えてよかった。
わたしが進んでいる魂に戻る道は間違っていない、とあらためて確信したし自分を導く大きなチカラにも感動、感謝しました。
これが実現するように!って固く祈りました。
その方法はわたしがさらに魂に戻ること。それしかありません。
だからわたしは今もずっと自分の心を澄み清らかに在るよう内観し続けています。
ちゃんとそうするからクンツァイトとつながれて、クンツァイトもメッセージにあるような働きで守ってくれたり追い風を吹かしてくれていると思っています。

ピンクのピュアレイレムリアンシードクリスタルのメッセージをいただいたときには半年後にクンツァイトからこのようなメッセージをもらい、さらに半年以上過ぎて2024年6月のわたしがそれらをつなげていろいろ思うなど、わたしには分かりません。
想像つかないことだけど、毎回毎回、魂が反応した石を買うことを丁寧にやってきたからこそ、こうして石たちやメッセージたちをつなげて感じることをしたとき、ちゃんとつながるし、現状に違和感なく通じているのだと思います。

エンジェルシリカ(チャロアイト)からは、この石が届いた日から本当に些細な内容の、これまでの内観でもテーマにあがらなかった小さなことが浮上する出来事が起きて何時間も号泣するほど大爆発したことがあります。
その経験があるので、またなにか浮上するかもと思いました。

そしてその日の夜、わたしはHanaさんの投稿(社長さんのふいなひとことから幼稚園まで歩いて通ったという話)を読んで、前日ショップブログに公開していただいた自分の文章のなかの『歯医者さんに1時間かけて歩いていくこと』とつながったんです。
それは、外を怖がりながらも外を歩いたよ、という内容です。
だけど、話が逸れるから書かなかったけど前段階の出来事がありました。
あれは2017年に内観が始まったころで自分をたいせつにする意識が芽生えたときでした。
歯がずいぶんボロボロになっていたのだけど、それまで歯医者に行きたいというと夫にそんな金無いと言われてずっと行けなかったのでした。
だけどそのまま言いなりになり歯医者に行かないのはわたしが後悔するなぁ、と思って、自分のお金で行くから歯医者さんまでクルマに乗せてくれる?と夫に言いました。
そしたら夫は、いいよ、と言ったのだけどあのころ夫は本当にイライラしていました。
何度か送り迎えをしてもらい数ヶ月過ぎたある日、夫が顔を真っ赤にしてこう言いました。
『送り迎えめちゃくちゃめんどくさい。休みごとにいつも歯医者や図書館や買い物で時間がつぶれるのがすごいイヤだ。』
それを聞いてわたしは、そのときはなにを言っても夫は怒ってるから黙って聞いていました。

このときわたしは心のなかでいろいろ思いました。
①じゃあ、もう頼みません。
②クルマに乗せてもらいません。
③平日に歩いて買い物に行きます。それ以外出かけません。
④そもそもクルマが無いと暮らせない場所に引っ越してきたのは夫の都合であり、おでかけはすべてサポートするって約束だったけど!じゃあわたしはここに住みたくないよ。
⑤今乗ってるクルマ、いつも俺のクルマだとか俺が乗せてやってるとか俺のおかげとか、機嫌が悪くなると乗せてやらないよ!とか言うけど、このクルマのお金出したのわたしなんだけど。

こういうことが黙ってるあいだにぐるぐる回って、夫が落ち着いた後日に①②③まで淡々と伝えたあと、前回のブログに書いたみたいに『これから歯医者さんは歩いて行くね!』と明るく伝えたのでした。
④⑤は夫に言わなかったけど、心のなかでいろいろ思いました。
わたしはホッとするのを感じました。
歯医者さんに限らずどこに行くにもイライラしながら乱暴な運転だったしお店の人に怒ったりするので怖かったんです。
それで心が重たくなっていたし、別々に出かけたくても田舎すぎてそれは叶えられる環境ではなくて、いつも自分に免許が無く運転ができないことの役に立たなさにつぶれそうでした。
実家を含むそれまで暮らしたいくつかの場所では運転ができないからといって基本の暮らしに困ったことがなかったので、ここに住んでいるとほんとに肩身が狭く無能になった気がしていました。
歩いて行くと決めたことでそれらから解放される可能性を思うと、村人の目が気になるよりも、心がぱぁ〜っと軽くなるのが分かりました。
その勢いもあって妄想弾みながら楽しく歩けたのかもって思います。
⑤は、よく日本人男性が言う、この家の名義は俺!この家は俺のもの!俺が養っているから偉い!気に入らないなら出ていけ!っていうセリフがわたしは大キライなのですが、お金出したのわたしなんだけど、っていうセリフはわたしのすごくドロドロしたところから出てきました。
じゃあお金返してよ!って思いました。今すぐお金をどうにもできず、それを言うと絶対に困る人に権力を振りかざすみたいに思ったのでした。
それはわたしがキライな男性像とおなじだって自分でショックでした。
だから夫に言わずに黙っていたんだけど、黙っていたからよかったのか後日夫が、あんなこと言ってごめん。このクルマもお金出してもらったのに、と謝ってきました。
さらに数年後、お互いに昔より明るく穏やかになり『あのころ』が笑えるようになってからこの出来事を夫が思いだして、俺はほんとに信じられないくらいひどいこと言って!!と猛省していました。

その猛省を見たので夫がわたしに言ったことは今わたしは平気でもあり、気にしていなかったから前回のブログには書かなくていいと判断しました。
だけどHanaさんのエピソードを読んだらわたしの記憶と似たような内容に感じて、そんなん言うたらダメ、ひどい!と怒りが湧いたし、妻側にも、我慢したらダメ、卑屈な反応したらダメ、と憤りが湧きました。
お互いに絶対に本心じゃないのに負のスパイラルが発生してる。
夫婦に限らず、身近な人間関係にこういう歪みあいって多いのではないかな。
そして身近だから、態度も言葉も言いだしてしまうと改めにくいし、謝りにくい。
あのとき相手がこう言ったから!ってムキになったら、ムキになることで当てつけることに執着してしまうし、相手のせい!っていうムカつきを原動力にして自分を明らかにしんどいほうに追いこみ、しんどい環境に自分を置いてるんです。
自分に対する愛が失われてしまっているし、どこにも愛が無いですよね。
こういうのほんとに、男性も女性も多いと思う。
ちょっと投げつけたひとことから発生するのだから、軽そうでいて闇が深いです。

なまなましく思いだしたら正直に言うとまだ夫のセリフにモヤモヤする自分に気がつきました。
心の奥底に小さくても深く重く居座る念の存在を感じました。
Hanaさんが両手を広げて抱擁するような愛でふり返り書かれた文章を読んで、癒されて泣いている社長さんが見えました。
魂はつながっているから社長さんの涙がHanaさんに循環しHanaさんの大きな愛がふくらむのが分かりました。
Hanaさんよかったなぁってわたしもうれしくなったあと、わたしもあったかいエネルギーに包まれました。
偶然のつながりから古い小さな念に気づいてわたしも夫への感情が澄みました。
今の、愛があるわたしが記憶に向きあい直したことがよかったと思ったあとに、今日の石がチャロアイトだったと思いだしました。
あ、またいらないことを手放させてくれた、と思いました。
意識して手放さないと、小さなゴミもそのまま有り続けるのだと思う。
見て、拾って、捨てていくと本当に捨てられます。

夫が改心し、これからはどこでも機嫌よく乗せて行くよ!って言ってくれる今だからこそ、わたしはすなおに頼りながらも依存しないように、って思います。
夫がいなくても、稼ぐことや暮らす家のことをわたしはちゃんと自分が困らないようにしたい。
自分が自由に生きていけるようにお金も暮らしも整えていくことを、恨みつらみのカケラのない土台のもとに思い直しました。
この人がいなくても困らず生きていける自分になること。
家族のカタチに執着せずにみんなの本当のしあわせを祈ること。とシンプルに思いました

今はそんなひどいことを言う夫はいません。
売り言葉に買い言葉みたいな当てつけの思考をするわたしもいません。
ふだん忘れたと思うほど遠い記憶だけどその記憶にまつわり自分の心の奥に焦げついたみたいな感情のカケラがしっかり沈んでる。
そんなもんだなぁ、と思います。
だから、小さくとも古くとも、これはたいしたことないとか思わずにふと思いだしたときにはさらに癒し手放すために向きあうと自分の心がきれいに澄むし、愛が増えて心が軽くなります。
心の焦びりつきを落としてその場所も光らせたいです。 
石ってすごいです。偶然選んだ石や偶然読んだ文章や、今日と前日がつながって、それが手放しにつながって。
心を掃除すると意識して心と向きあうからそのように進んでいくと思っています。

こうしてこの日は未熟なわたしと未熟な夫の学びのストーリーをふり返る日となりました。
今だからこそあのときの登場人物や内容がみんなが愛しくかわいく思えて愛と感謝に満ちました。
今日の石たちにぴったりな内観になりました。


 
 
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