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第三章天然石と内観9

内観のやり方

第三章天然石と内観9

『自分を信じると自分の内側に愛が増える』

内観を始めてから自分のことを客観的に見て気がついたのだけど、実家の人たちはだれひとりわたしが住むところに遊びに来てくれたことがありません。
離れて暮らしても年に1回も電話もしないしメールも来ません。
いつもわたしから適度な間隔で『元気?』とメールを送って連絡を取っていました。あるとき、いつもわたしからの一方的な連絡だなと気づき、違和感を思ってからはしんどくなり、こちらから連絡するのをやめました。
そしたらずっとなんの連絡もない。そんな遠い関係だったんだな、と気がつきました。

親だから離れたらいけない、と思っていました。
わたしが必死に変わって親への恨みごとを解消して、愛あふれる自分にならなければいけない。そう思ってがんばってきたけれど、こんなみじめで寂しい場所からは離れたい、って初めて思いました。
そんな非常識な冷たいことを思ってしまった自分をかなり責めましたが、関係の薄さはわたしだけのせいではないと思い直しました。
親に愛されたかったから親からの愛が欲しくてしがみつき、しがみつくことにかなりのエネルギーを注いでいました。
手を離せばわたしからルーツが無くなる気がしたけれど、親にしがみつく手をゆっくり離しました。
さめざめと泣きながら、会いに行く人も会いに来てくれる人もいない、こんなわたしってなんなのだろう?と心が折れました。
でも、手を離し、心が折れたことでわたしの心がこれ以上疲労したりエネルギーを奪われることが無くなりました。
そしたら自分の内側に少しずつエネルギーが溜まり、視線が未知のほうに向きました。
しがらみが壊れて心が自由になったと感じました。

そんなある日の夢にユメノナカノヒトが現れ天然石の世界に導かれました。
わたしはこの、それまで見てきた悪夢とはまったく違う世界観の夢の変化を面白く思いワクワクとそのまま信じました。
インスタグラムのおすすめ投稿ページがなぜか天然石だらけになりました。
こんなふしぎなことが起きるなんて!と、このふしぎを楽しく信じました。
この流れでFieldStonesと出逢えたのだけど、同時にそれまで見たことがなかったホロスコープ(占星術)もインスタグラムにたくさん表示され、なにこれ?となりました。
どうやら自分がどんな人か分かるらしい。
それは怖いなぁ、と思ったけれど興味が勝って自分のことを調べてみました。
そしたら仲間のハウスに個人天体が集まっていたんです。
わたしにはどこかに仲間がいるんだ!!と思い、心が軽くなりました。
こんなに、ひとりきりのわたしに。それはわたしの未来の、救いの希望でした。

でもどうやって仲間に逢えるの?と考えた末にインスタグラムの鍵を開けてみました。
これで解決するわけじゃないけど今すぐできる変化として思いついたことがそれでした。
現実創造という言葉を知っていたけど、ホロスコープも天然石もどちらも魂のままに在ることがたいせつと主張するもの。
これらにいっぺんに出逢ったわたしはすでにシンクロを信じているので『魂に戻ること』をしなければ!それに向かわされている、とまっすぐに思いました。

だから、わたしがやることはとにかく内観を続けることでした。
自分らしくなりたいけれど、自分がどうなりたいか、なんてぜんぜん分かりません。だからとにかく自分じゃないことを見極め手放していきました。
ユメノナカノヒトが出てくる夢をときどき見てはメッセージを受けとり信じました。
そんなふしぎな夢で聞いたメッセージについて文章を書いたり、夢に出てきた石を買ったり、夢に出てきたキーワードに沿いホロスコープを調べたりする日々になりました。
なにに向かっているのか分からないけど、ふしぎな導きを信じるしかない流れのなかにいました。
わたしにはもう、それしか無かったから。

ホロスコープに天職って出てきます。
職業が書いてあるわけではありません。自分が今世社会に見せていく姿のことですが、わたしのそれは自分らしく生きることそのものが天職であると読めました。
わたしのそのハウスには太陽もあります。わたしの太陽は潜在意識や精神世界を現実に伝える太陽。
潜在意識を伝えることを社会に見せて、そのありのままの自分を生きていくのが天職らしい。
天職とはそれにたどり着けばなんの不安もなく、豊かにすべてがうまくいく生きかたです。
わたしは一体なにができるんだろうって考えてもわたしにはほんとになにもなくて。
わたしは今時パソコンが分からず、こんなんでどこでどうやって働けるのだろう、ってずっと思ってる。
スマホの操作もこうして文字を書くことと写真を撮るだけ。インスタグラムの基本的な投稿ができているだけです。

自分にできることのイメージを内側に探り追求すると、いつも『わたしのからだひとつ』って言葉を思い浮かぶんです。
真っ暗ななか白い服を着て祈るような手を顔の前に掲げて目を閉じ、内側になにかを探る。傍にいる、完全に信頼する人にそれを伝える。
わたしひとつ。わたしの内から出てくるなにか。
祈るようにしぼりだすもの。
そんなイメージ映像が浮かぶのだけど、こんなわたしのありのままを社会に見せるとはまったく想像ができません。

FieldStonesからいただく石からのリーディングメッセージを受け取るなかに『わたしの明るさが希望を与える。』『わたしが人を救う。』という内容をいただくようになり本気で驚かされました。
だけど、石がそう言うならそうなんだろうって信じるしかありません。
だって石のメッセージはわたしの魂の声なんだから。
どうやって?は分からないけど、いつもメッセージの内容が的確で違和感がないからこれもまっすぐにいただき受けとり信じます。
わたしより石や魂はわたしのことを知っている。
だからわたしの明るさが希望を与え、救える人がいるのだ。
そしてそれを待っている人がいる。
そんなことを言われた感動がわたしの内側に光を灯し明るくしてくれました。
その光が一時的ではなく本当に自分の明るさにつながるようそれからの日々を意識しました。
希望を与えるとか救うとか、こんなわたしが!!って有り難さ極まります。
早く魂に戻りたい!早くそんな存在になりたい!リーディングメッセージのおかげで自分が思う自分の枠を超えて、自分が知らない自分と出逢いながら自分との向きあいの深さが深まりました。

このように自分というものを探りながら、職歴も無いこんなわたしがどうやって現実創造するんだろう。日々社長さんの投稿を読みながら焦るようにそう思いました。
でもその焦りこそ目先しか見れないワナのような気がしました。
石たちやメッセージを思い浮かべながら、とにかく魂に戻れたら、すべて信じ魂のままに在れたら、すべてうまくいく。そう信じるだけ、と安定する石を求め、安心する心の場所に戻りました。
すでに夢の導きに乗り、現実のシンクロに乗り、現実的思考を手放し運ばれています。
どうやってどのように行くべきところに運ばれるかはわたしが考えなくていいんです。
自分の想像範囲など自分の枠のなかのこと。
魂はその向こうにあり、考えても今は見えません。
わたしには分からないのだから、いらないものを手放す向きあいをするだけでした。

ふしぎだけどある日、こんななにもないわたしに、いっしょに本を書きませんか、と社長さんとHanaさんが声をかけてくださいました。
わたしが⁉︎と心底驚いたけど、なにもないわたしには、『体験』があった、と気づかせてくれました。
『すべての出来事には意味がある』という言葉を思いだしました。
わたしはただ生きてきただけだけど、この『体験』に意味があり、それが人の役に立つと。
わたしの、広がりながらどんどん深まる思考癖のこんな文章も役に立つと。
こんなわたしに与えられたこんな機会に乗らなければいけないと思いました。

わたしはなにもできなかったから、良い文章書きたい、伝わるよう上達したい、っていうわたしの内からの意気込みを捧げるしかなかったです。
汗が絞れるほど努力している実感がありました。
昔々子どものころに体験した努力はやりたくないことだったなぁ、と思いだしました。できないことを泣いてもやらされるイヤな努力。
それはやりたくないのだから、エネルギーを矢印にしたら向きがマイナス方向です。
しかし意気込む努力のこの本作りのようなことはエネルギーと努力の矢印の向きが揃い、その努力は努力という言葉の本来の意味、上達するエネルギーを正しく体験するものでした。
純度高いプラスの方向の努力の結晶が本になったことはホロスコープのなかまのハウスを感じさせてくれました。
わたしがわたしの文章を書く以外はすべて社長さんとHanaさんが寝る間も休みもなくチカラを尽くしてくださり、『石たちに導かれて体験編』の本が出来上がったのでした。
閉じこもり、なにもできないわたしの人生に起きキセキです。
すなおに信じるだけで信じるままに運ばれて、こんなわたしにこんなことが起きました。
マホウじゃないから本当に自分が努力しなければいけないです。
家からほとんど出ない暮らしをしたまま、おかげで『すべて助けられてできあがった』と心底から理解し感謝があふれる体験でした。

ふと思いました。信じてもらうってうれしいなぁ、って。
どうしてそう思ったのかな?って自分に問いました。

だってね、わたしを信じて『いっしょにやりましょう』って言ってもらえること、ってふつうじゃありません。
まだ逢ったことが無いし、おたがいにインスタグラムの投稿を知るだけです。
精神的な話に共感しあう関係でした。
どんな人なのか。なにを知っていたら知っていると言えて確かなのか。
姿を見たら信用?名前?顔?それとも住所を知っていたら安心?安全?

信じる基準。
文章やアカウントの気配から感じる感覚。
お店を知る前に『原石』と夢で言われたこと。原石ってFieldStonesだ!ってあとから気づいたんです(笑)
それを信じちゃう。
なぜわたしは社長さんとHanaさんとお店にこんなに心広げて信じてるかってそれは信じるに値する気配もあるけど、なにより自分の夢に出てきたから。
なぜかわたしは夢を見るわたしっていうことに意味があると信じます。
不眠になるほどの悪夢が転じて今は暗示のような夢を見ます。
実際に逢う前にHanaさんらしいHanaさん、社長さんらしい社長さんの姿の夢を見ました。
実際に逢ったらふたりそのままでした。
夢を信じることは自分を信じることになりました。
悪夢ばかりだから夢を見ることは否定的で、夢を見たくない、眠りたくない、と拒否していました。
その自分の能力に対する拒否のエネルギーが信じる方向に向いて自分に戻ったのでした。
自分に対する肯定というあったかいエネルギーが生まれるようになりました。
これって愛なんです。もっともたいせつな自己愛。
自分で自分を信用する心であり、自分で自分を満たす基本の土台の、たいせつなエネルギーです。

自分を否定している心ってだれにでもあります。
自分はできない、なにもない、と思うこと。
自分のことがキライ、と思うこと。
こんな自分、と思うこと。
自分が分からない、というままでいることも自分と手もつなげずなかよくなれないまま、好きにもなれません。
みんな、自分のエネルギーはすでにたくさんあるんだけど、エネルギーがどう使われていくかです。
努力の矢印が正反対だと苦しみに満ちた過程となるみたいに、ありのままを認め愛する魂の方向と反対を向いていては人生は進みません。変化はなかなか起きません。
エネルギーが、自己否定して自分を押さえこむことに使われていたらもったいないんです。押さえこむとはそこから動けないことです。
魂とおなじ向きに自分の矢印を揃えることは魂と同調し追い風となり軽やかに人生を進ませることになります。

夢を見るわたしなのに夢を見たくないと思う。夢は怖い、と否定します。
自分の見た目がイヤだと言う。
自分は嫌われるって思ってる。
わたしはアタマがおかしい。わたしは役立たず、って、今思うと本当にわたしは自分に向けてなんてひどいことを思い、ひどい言葉を聞かせてきたのでしょう。
キズつく言葉だらけで胸苦しいほどの後悔が襲います。
自分はズタズタにちがいないです。
自分のなかにたくさんの自分がいます。
自分のことをキライというと、その子が悲しみ、当然キズつきます。そして癒されなければ冷えた重たいエネルギーとなり自分の底に溜まっていきます。
その冷えたところで悲しんでいる子(自分)たちと仲直りをしてエネルギーをあたたかくします。
ひとりひとりと向きあい、あたたかいエネルギーをひとつにまとめて自分のエネルギーを大きくします。

なぜ内観をして、つらいことを見るのかはこの、進ませたい人生と反対方向に使われて失っているエネルギーを自分に取り戻すため。
取り戻し、大きくなったエネルギーを全身全霊、全力で魂のある愛と光のほうに使って、人生を自分に合ったほうに進ませていくんです!

まだ本を書く話もない、自分にあるものが見えていないころに、だけど自分を信じるきもちを奮い立たせて迎えた石がありました。
2023年4月
堂々とした姿とアイリスが美しい女神のような印象のピュアレイレムリアンシードからいただいたメッセージ
『あなたは今、爽やかな風が吹く丘の上に立っているような清々しいエネルギーで満たされています。
風に運ばれて来た木の葉が身体に貼り付いたら、そっと取り除いて風に乗せて流しましょう。
時々やって来る違和感に気づき、一度はそれを受け止めて、再び自然界へと流すことであなたの感覚はさらなる進化を遂げて、魂と一致した素晴らしい世界へと向かうでしょう。』

商品のミニリーディング
『全ては光。私は真実からかけ離れてしまったこの世界に希望の光を放ち、あるがままのピュアな状態でそれぞれの命を輝かせるサポートをします。』
常に自分の真ん中に意識を戻し、自信と希望を持って現実創造したい方に。

今読んだら『今』そのままだ!!って思いましたが、この石を迎えるときに真剣にミニリーディングを読んで、これだ!!って思う直感はありました。
だけど、女神のようなってところに見た目にも心にも自信の無いわたしは引っかかり、値段も当時のショップとしてはかなり高くてうじうじしていました。
だけど虹のきれいさと、やっぱり何度読んでもこのミニリーディングのメッセージがわたしの内側と一致すると感じられました。
自信が無いという葛藤がありましたが、自信が無いわたしがそれまでのわたしです。
これからはわたしのなかに『感じる』ものを『有る』ように見る。
そして、『わたしの在りたい姿』に寄っていくしかないのです。
自分のなかに芽生えたこの『今までになかった自分』の思考の方向と明るさを、自分の新しい光と感じたことを覚えています。
それでわたしは届いた石を空に掲げ『仲間』に向けて発信したのでした。
仲間集まれ!仲間に届け!わたしはここにいるよ!って。

わたしは親にもだれにも嫌われる、という思考を思いきって止めました。
わたしが愛される居場所があると設定し、そこを目指すという決意をあらためて天に示しました。
この意識的な言葉が自分を変えて行きました。
わたしは感覚と直感で生きています。
なんでも最初の直感を信じるべき。
直感が光で、そのあとは闇。
どっちの世界で生きたくて石を求めるの?
わたしはなにを信じるの?って自分の道をかみさまに示しました。

今までたくさんの石たちを求めて、とくに最初のころあまりの石のかわいらしさに驚き、その美しさにわたしは少しも見合う気がしなくて自信がありませんでした。
でもそこから抜けたかったわたしは、ひとつひとつ怖る怖る石を迎える行動を重ねて、結果石たちがその清らかな姿のままわたしの一部となってくれてわたしを癒し、わたしの卑屈を小さくしてくれました。
リーディングメッセージがあたたかな言葉で深い愛を伝えてくれました。
空いた卑屈の場所に石の愛の光のエネルギーが満ちていきました。
親から手を離したから未知の世界があることに気づき、そこに踏みだして起きた出来事や出逢えた人たちの愛がわたしの内側に沁みてあたためました。

卑屈が無くなりわたしが変わり現実が確かに変わってきました。
わたしが幼いころから本当にあると信じてきた、怖さを含む見えない世界の豊かさを今は隠さずいられるようになりました。
理解、共感できる人につながり、わたしがちゃんとわたしらしく現実に存在できています。

ときには自信が無くなりそうなときもあったし、なにも見出せずに不安なときもあったけど、石の言葉を信じたし、この世界を信じました。
わたしが持って生まれた『心開いたものや人をすなおに信じる』資質がいつも自分を救いました。
こうして気の向くままふりかえり書き記し、悩みに悩んだ苦悩の日々に意味を感じるとき、これまでのすべてに意味があった、ってくりかえし思い、くりかえし癒されて感動します。

『かみさまありがとう。
わたしは光の言葉を信じ光の言葉を発します。
わたしはこの体験を活かし、わたしみたいな人を救う愛の光になります。』

なにも無かったわたし。エネルギーすら無いと思っていたわたしがこんなふうにかみさまに言えるほど、内観のおかげで負のエネルギーをすべて集めてプラスのエネルギーに変え、暗闇のなかを光を信じて必死に進むことができました。
今は自分の内側を愛と光でいっぱいにしています。

なにも無い自分の、無いところにあるものを信じて、変わったんです。


 
 
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