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第三章天然石と内観11

内観のやり方

第三章天然石と内観11

『思い描くしあわせの景色が何度も変わった区切りのリーディングメッセージ*許すということ』

ふとその石が目にとまるときや、ふと以前にいただいたリーディングメッセージを思いだしたとき。
この『ふと』というタイミングに意味がある。
石に、メッセージに、呼ばれたって思うからわたしはなるべく急いで用事を済ませ、落ち着く環境を整えてから石を持ちメッセージを読み返します。
用事を済ませて落ち着く環境を整えてからというのは、石やメッセージに対して深く感じることに集中するためです。
気を散らさずに集中して『このタイミング』と向きあいます。

自分というものは変わっていないように見えて、自分との向きあいを意識して続けている人は内面が変わっていきます。
『変わる』という意識を持って自分を客観的に見ると、変わったところに気づけます。
変わるということは内観が進んでいるのだけど、自分はぜんぜん内観をできていない、と自分の目が変わらないところを見ていつもそう思っていたら変化は感じられません。
だけど小さい変化でも自分の内面の変化を感じとり、それを見るようにすると、内観をやる意味が理解できるし変われた喜びがあります。
そうするとこれからの自分の思考が喜ぶほうを選んでいき、現実が変化していきます。

以前の自分を思いだせますか?
どんなきもちでどんな覚悟があって内観をしようと思ったのか、最初のころの自分はどんなでしたか?
そうして最初の心を思いだすと、心のなかの余計なものが捨てられてすっきりしたと気づけたり、引越ししたみたいに心の部屋の様子が変わったと感じられたり。
心は目には見えないけれど心の様子は日々、ひと月、数ヶ月、半年、など時間が過ぎるほどまるで別人になったみたいに変化をしているでしょう。

物事を感じるというのは現実にはただそういう出来事が起きたというだけなのだけど、その出来事が良いか悪いか、どういう種類の感じかたをするかは人それぞれなんです。
さらにそのときの自分の状態により、おなじ物事に対して気にするときがあれば気にしないで済むときがあります。感じかたが日々グラデーションに変わります。
自分だけが自分のことを繊細に感じられるから、自分の感覚をいつもいちばん信用してください。
おなじ出来事に対する感じかたが変わったということは自分の内面の深いところが変わったということ。
自分の心のどこがどのように変わったかをさらに内観して追求すると自覚ができるので、自分の思考の全体的に変化が行き渡り、戻るようなくりかえしをしにくくなり、さらに内観が進むことになります。
だから自分のなかの、うれしい変化のほうをいつも注目してくださいね。

わたしは2022年7月にFieldStonesに出逢い、少しずつ石を迎えてきました。
自分に自信がなかったから自分あてのリーディングメッセージはなかなか申し込めずに、インスタグラムに投稿されるフォロワー向けのメッセージを読んでは自分のことのように受けとり反応していました。
2023年1月のある日、魂との一致を促すレムリアンシードクリスタルからのメッセージが投稿されました。
それは少し前からショップにあって『魂との一致』という言葉に強く惹かれていた石でした。
だけどそのあとに、こんなわたしが?と思ってしまう。
魂との一致を目指すようなそんなたいそうな人間か?って思考が卑下していました。そんなのもっとすばらしい人の世界の話だ。
『あなたの望む世界はどんな世界ですか?』と投稿メッセージが始まる。
『あなたの望む世界』という言葉の投げかけに泣きそうになりました。
心をガチガチに固めて覆って自分を守ってきた、それがゆるんでほどけてしまいそうになって、怖くなりました。
望みたい。望んでいいの?
親もだいじにできないわたしが、わたしの望みを望んでいいの?そんなの許されるの?って、石と投稿されたメッセージに強く惹かれながらもその葛藤がものすごくあったことを覚えています。
わたしは許されない。親不孝だもの。
わたしは世の中に歓迎されていない。存在の意味がない。だって親にも愛されてないもの。そんな子だもの。
そんな子が『望む』だなんて、そんなのはちゃんと人並みに親孝行できてからだと思っていたけど、でも、許されるならこんな親不孝なわたしも存在を許されていると感じたい。今よりリラックスして生きていきたい。それを望みました。

以下が、FieldStonesより、魂との一致を促すレムリアンシードクリスタルからフォロワー全体へ投稿されたメッセージです。
愛の魂に戻る内観が進む期間中、このメッセージを読んで『思い浮かぶ』自分の姿や居場所のイメージを何度も思い描きました。
自分の思考から愛じゃないことが消滅するたびに景色がどんどん明るく、自由になり、澄んでいきました。

『あなたの望む世界はどんな世界ですか?
本来の自分で生きる時代がやってきました。
本来の自分とは、あなたの魂そのものです。
子供の頃は自由に言いたいことを言って、やりたいことをやっていたでしょう。
それが段々と、お金がないから、時間がないから、私には無理だから、と諦めるようになっていきます。
すると、魂の声に蓋をして段々と本来の自分を忘れていくのです。
外側の声に翻弄され比較して、いつのまにか自分というものが無くなり、この世に存在しながら輝きを放つことなく存在感すら薄れてしまう。
生きながら死んでいる。
この星に住む人は今までそのような状態にある人が多かった。
しかしこれからは変わっていきます。
変わっていくけれど、今までの重く暗い世界で生きていくのか、新しい風が吹く自由で愛のある世界で生きていくのは人それぞれです。
人は皆、自分が思う世界で生きている。
目の前の現実にどう向きあうのかで、存在する世界が全く別のものになるのです。
あなたはどんな世界で生きていきたいですか?
マイナスのエネルギーに引き込まれることなく、本来のあなたで生きていけるように私はあなたの進むべき道へと導き、サポートしていきます。』

『あなたはどんな世界で生きていきたいですか?』
石を迎える決心がつかなくても毎日のように動画を見てメッセージを読んでずっとこの石のことを考えていました。
どんな世界で生きたいか?
今みたいな世界はぜったいイヤに決まってる!!
行き詰まる。息詰まる。
動画を見ていたら、少しスモーキーな色味のポイントの一部に小さな虹がふわっと見えるんです。
その虹が優しいな、って思って泣きたくなりました。
自分が思うよりもたくさんの石を買ってしまっているけれど、石をこれ以上買うこともわたしには不釣り合いだと卑下する。
どこまでもついてまわる自己評価の低さと自己否定も無くなればいいと思う。
もう少しラクに存在したい。
どうしてわたしはこんななの?
こんな世界はイヤだ、わたしが愛される場所で生きていきたいよ!って泣きました。

そして以下が、2023年2月、魂との一致を促すレムリアンシードクリスタルから個人的にいただいたメッセージ。
心にいちばん刺さって目が覚めたメッセージです。
このメッセージをいつも念頭に置き自分と向きあい続けました。
これは内観をする人みんなに重要なメッセージと思います。

『もう許してあげよう。
自分も、周りの人も。
辛かったこと、悔しかったことを受け入れ、味わい尽くしたら、川に、海に、そっと流そう。
その流れを見送った後に、パンと一回だけ拍手しよう。
穢れや重たいエネルギーを祓い、新たな日々が始まる。
『ありたい姿』を思い描き、エネルギーを集中しよう。
私は、あなたの中にあるイメージやエネルギーの方向へと導いて行きます。』

『もう許してあげよう。』
そう。許したいの。過去の母を。
そして現在の母となかよしな親子になりたいの。
過去を許して今の関係を改善する。そうすることがわたしに与えられた課題だと思ってる。
そうできてわたしはやっと、わたしの親不孝が許されて、わたしはしあわせになれる。
そう思って何年も自分と向きあってきました。
だけど、『自分も、周りの人も』って言われてわたしの魂がぷるぷると震えて号泣しました。
許されるような魂じゃない。その証にだれにも愛されていない。

自分は親をたいせつにできない親不孝者であり、自分は許されない存在だ、と親を苦々しく思っていた内観当初の7年前のわたし。
それから内観をするにつれ、親をたいせつにしたい、と思うような変化が起きたわたし。
わたしが必死に、過去にある親への怒りや悲しみ、恨みを手放したら親への意識が変わるからわたしは親をたいせつにできるようになり、わたしは許されて生きやすくなると、そう思って何年もがんばってきました。
天然石と出逢ってからは心の奥底が解放されて、ますますなまなましく親への、特に怒りが爆発しており、もう親のことは知らない!と見限るような強い感情のわたしまで現れていました。
それに対して、自分はなんてひどいのだ、と自分を責めていました。

こんなわたしが自分も許していいのか、とそれはメッセージをもらうまでわたしの世界には無い発想でした。
『もう許してあげよう。』という言葉には、もうじゅうぶんだよ、という優しい眼差しが感じられました。
もうじゅうぶんに向きあい、自分を責めたり相手を責めたり、もうじゅうぶん、と抱きしめられた気がしました。
まだ親を許せておらず、自分も変われていない。
だけど、もういいんだよ、許していいんだよ、と言われているみたい。
天然石の愛の質を理解できたのはこのときでした。

それでわたしは気づいたのだけど、わたしは自分が許されるには親を許してたいせつにするという条件をクリアしないと許されない、という世界に生きていたのでした。
だけど石からのメッセージは、条件など書いていない。
今このまま、今のわたしを許していいのでした。
『自分も、周りの人も』という言葉の順番から、周りの人を許してからではなく、自分を許すのが先。それがだいじな気がしました。
親を許しきれていない自分も、過去に今怒っている自分もそのまま許してしまう。
それはずいぶん自分に甘く、都合の良いかんじがしました。
だけどそれこそ、厳しさや条件を持っている表れのように思いました。
『もう』とついているから、もういいのだ。
このあたり、あまりに思いもよらぬ言葉をいただいた衝撃によりぐるぐると思考がうずまきました。
そして気づきを得てから、区切りました。
すごく思い切って『自分を許す』世界に飛んで移動しました。

自分に価値がないと決めていたのはわたし。
愛されないわたしを愛してなかったのもわたし。
自分ばかり責めていました。自分が変わらなきゃと思っていました。
わたしには罪がふさわしいとまで思っていました。
そんな世界イヤだから、自分が望む世界をちゃんと望まなければいけない。
許せないというわたしを許し、むかしのことでも怒ってもいい。ひどいことされたもの。当然だ、と思うことを許しました。
今までは過去に怒っても、後ろめたかったです。
だけどこのときからは過去の自分の感情に堂々寄り添うようになりました。
メッセージにあるように『味わい尽くして川に流す』から、ちゃんと怒って悲しんでそれでいいと思えました。
それで手放しが早くなりました。
一気にクリアにはならなくても、怒りや悲しみの層が薄くなり、少しずつ軽くなるのが分りました。
この変化を感じられたから、自分との向きあいはしんどいのだけど『その先』が理解できたから続けられました。
自分を許す、とは自分の世界の根本を変えました。
自分がこう変われたことに救いを見出しました。
『周りの人』のところを母にしたり、夫にしたり、過去の記憶にあるひどい人にしたり、内観でイヤな過去が浮上するたびこのメッセージを思い浮かべては手を叩き、記憶の念を祓いました。
今はいろんな想いを流すけれど、川の水がきれいに清らかになるようにと祈りました。

そうしてわたしは穏やかになり、そのぶん自分のしあわせや理想を考えられるようになりました。
最初はこんなわたしを許してくれたっていうだけでじゅうぶんと思い、今の環境で心新たに家族をしあわせにしてわたしもしあわせに生きていきます、と思い描きました。
自分を許し、周りを許す内観が進んでいくほどに主役が自分になりました。
夫のために、家族のために、ではなくて、自分のためをまんなかにして考えるようになりました。
忙しいと仕事を優先し家事をやらなくなる夫みたいに、わたしも仕事優先にしたいと思いました。
家に置いて行かれた家事は家にいるわたしがやるしかなくなるのだけど、それではわたしはなんにもできないので家事はみんなでやろうよ、と家族と話しました。
だんだんと家事を手放し、自分のための時間を増やしていきました。
最初は恐る恐るだったけど、自分も生まれてきた目的があるはずで、命の時間をその目的に捧げていたい、と当然のように思うことができるようになりました。
自分が思う自分の価値が高まっていきました。

過去と向きあうほど母への恨みが解消して、母から解放されて自分の人生を考えるようになりました。
わたしはしっかり生きていけるようになりたい。
クルマを運転できる気がしないので歩いて用事を済まして暮らせるほどよい町に住みたいです。
生まれ育った町がちょうどよい町だから、実家から少し離れたところに帰るのもいいかなと想像しました。
穏やかになれた今なら親との関係が変わりそうです。
そして過去を取り戻すように親孝行できるかもしれません。そう想像するとちょっと楽しかったです。

どこに住むにもお金をしっかり稼いで自分の住む場所の契約をできる自分にならないといけません。
買い物ひとつをいちいち夫に頼まなくていいように自分のお金やクレジットカードを持ちたいと思いました。
自分が変化していくほどに暮らしかたの理想が突き詰められていきました。
自分の住む家を自由に想像することはそれまでまったくなかったのでかなり楽しいことでした。
部屋にモノは少なく石をたくさん置きます。
朝は早起きして気が澄むまで静かにゆっくりしたいです。
そして自分のタイミングでごはんを作って食べたい。
いつもきもちよく掃除をします。
わたしの家はわたしのマイペースで時間が流れます。
想像すると、楽しみだぁ!って心が明るくなります。
自分ひとりで生きていくことを考えることは最初は家族に対して非常識と感じて少し後ろめたかったです。
だけど今は、わたしの仕事でチカラを発揮するには自分の理想の空間や時間を整え、ジャマされないことはとてもあたりまえで重要なことだと思います。
それに貯金は無いし、夫のクルマ頼りに暮らすのは夫に少しでもなにかあれば終わりなのです。
ちゃんと自分のために不安のない生きかたを考えることは自分の人生への責任と愛だ、と今のわたしは夫に言えます。
そしたら夫はどうする?と思われるかもだけど、夫には夫の仕事と人生があるから夫のことです。わたしにはわたしの仕事と人生があります。
リラックスでも集中でも静かにしていたいわたしと、のびのび楽しくゲームをしたい夫。
魂と一致するレムリアンシードクリスタルのリーディングメッセージをくりかえし読み、感じたことを思い描くたび、自分と夫は切り離されました。
どちらもすなおに理想を描き、魂に一致したならどちらも今よりしあわせになる展開になると信じます。
ムスメもそう。ムスメも自由な人生があたりまえです。親の面倒を見ろ、なんて言いません。
そう思うと、わたしが実家の近くに住んで今からでも親孝行を、なんていう考えは間違いではないのだけど、わたしはこれまでの人生のほとんどが親の影響下にあり親に費やしてきました。
だから、もうじゅうぶんだ、とふと思いました。
これからは自分をまんなかにして自分の時間を生きるのです。
そう思うと、思い描く景色が色とりどりになりました。
花が咲いてトリが歌って、わたしも鼻歌を歌い、そして心から楽しそう。
なんにも決まっていない。なにものでもないわたしが光のなかで笑っています。
わたしは自由になりたかったのだな。その自分と一致したのを感じました。

このリーディングメッセージをいただいたのは2023年2月。その年の暮れまでにはここまで意識に変化がありました。
2024年からは自分追求を深めるばかり。自分のことだけに集中しています。
もう、こんなわたし、なんていう卑屈さは無いし、過去の体験をすべて糧に、愛の光に変えました。
これがだれかの役に立つと思い自分の存在と生きる意味を感じられています。
50歳を目前に今がいちばん本当に若くなり、健康で元気!
そして生きる意欲と、やりがいがあります。
魂には定年なんてなく、死ぬまで命を燃やして、命を楽しんで、命を輝かせて生きていくのです。
命はあと何十年あるのかな。もう急いで全力でがんばらなくちゃ!

もうひとつ。
『私は、あなたの中にあるイメージやエネルギーの方向へと導いて行きます。』
というリーディングメッセージの最後の一文も内観の日々にすごく頭をよぎりました。
だれかを恨んだり、モヤモヤしたままでは濁ったエネルギーの世界になると思いました。
自分の理想は、愛の澄んだ世界にいること。愛あふれる人とつながること。
だからわたしが澄んだ愛の人にならなければいけません。
自分の偽りを自分より先に見抜く天然石って思うので、表面の言葉だけで飾らずに、本当に内側から愛を澄ませなければならない。

そんなことを思ってはいけない、という自分を許して内観が劇的に進んだと思います。
親を憎んではいけない、養ってくれている夫に文句を言ってはいけない。
親や夫は感謝するべき存在だから自分が感じている不満を抑えないといけない、ってずっと自分にフタをしてきました。
人を守って、自分が思うことをまったく尊重できていませんでした。

ひとつ例をあげると、数年前の誕生日に夫が花を買ってきてくれました。
それは仏壇に備える花でした。
その頃結婚して15年以上過ぎていたけど夫はわたしの誕生日を覚えていたことがほとんどありません。
だからわたしは誕生日になにも期待しておらず、だからそのときは夫がわたしの誕生日を覚えていたことに驚き、だけど仏花だったことにショックを感じて、すぐに笑って、ありがとう!って言えなかった。
わたしは、どうしてこれを選んだの?と聞くのが精一杯でした。
夫は、わたしの好きな紫色の花がそれしかなかった、と言いました。
わたしの反応が喜びではなかったから夫が不機嫌になりました。

頭のなかぐるぐる。
わたしは濃い紫色が好きだけど、濃い紫色の花が好きって言ったことがありません。過去に数回花屋さんで花を買いましたが薄いピンク色のふりふりしたスイートピーを選んだことがありましたが日頃はまったく買いません。
だからどうして、わざわざ紫色を探して仏花を選ぶのかが分かりません。
だけどわたしは『誕生日に花を買ってきた夫』に対して自分が今受けているショックを隠して喜ばなければいけませんでした。
わたしのためにやったのにわたしが感謝しないから夫は不機嫌になったのです。
わたしは自分の感じたショックを押し殺して、わたしは自分を責めました。
せっかくの人のきもちを踏みにじった、と自分を責めました。
それから誕生日が来るたびいつもこの仏花事件を思いだしました。
花は花です。この花を仏花と見て差別するわたしが卑しいのだ、と悲しさを押し殺してすごく反省するばかりでした。

そして子どものころを思いだしました。
いつも親に、あんたはなにをあげても喜ばない、と言われました。
親と仲がよかった姉や妹が親になにか買ってもらうとそれとおなじものをわたしにも買ってくれました。
だけどわたしの欲しいものではないからわたしは姉と妹のようには喜べませんでした。
それを、感謝が足りない、と叱られました。
それを友達に話すと、贅沢だ、とわたしが批判されました。
その友達の言葉と、親からなにかもらうと喜ぶふりをすること、お礼を言わなきゃいけないこと。
奥底に忘れていたすごくイヤな記憶のヘドロが出てきました。
このための仏花だったと思います。

誕生日が来るたび思いだしては自分を責めていた『仏花と子どものころの出来事』に対する思考だけど、天然石を持つようになり、自分を責めることに違和感を感じました。
どうしてわたしが悪いのだろう?
あのとき先に夫が不機嫌にならなかったらわたしはどうしたかったかな、と自分を優先し寄り添いました。
わたしは誕生日に仏花をもらったことがショックだと夫に言いたかったのではないかな。
お花に差別があるわけではないです。花は花なんだけど、仏花はショックでした。
ショックだったのに言えなかった。言えなかったからずっと夫に不愉快を感じて引きずっていました。
だから夫に対する口調がキツくなったり、似たようなことをくりかえされても夫に対していろんなことを言うのをあきらめていました。
こんなことではわたしのエネルギーは澄んだ愛にはなりません。

もしも今のわたしが、また夫に仏花をもらうことがあれば、わたしはどうするか想像しました。
今なら明るく、『誕生日覚えててくれたなんてうれしい!花を買ってくれたきもちもうれしい!だけど仏壇に備える花は無いわ(笑)びっくり!』って、夫も笑う勢いで明るく言える自信あるかも。
わたしがショックを感じたことも否定せずに、自分の心を守りながら明るく吹き飛ばしながらうまく本音を伝える自信があります。

子どものころも自分のきもちが言えず、感謝を強要されてわたしの喜怒哀楽を自分に正しく表現することを深く妨害し、心を無くさせていました。
だれにも文句を言えたことがありませんでした。
いつも自分を押し殺して人に気を使いすぎです。
だってわたしはこれ以上母に嫌われたくなかったから。
今は、今なら、わたしが自分の感情を押し殺すくらいなら母にも夫にも嫌われてもいいって思います。
内観が進んで、愛の依存が無くなったと感じます。

自分の内側がすっきりとして、またリーディングメッセージを読み返すと『思い浮かぶ』景色がどんどん自由に、カラフルに、光あふれる景色となりました。
今わたしは、人前のわたしと家族の前のわたしが一致してかなりリラックスしたわたしになれています。
ここからさらに『妻でもない母でもないただのわたし』になりたいです。だれにも合わせずに自分の時間を生きる。
そう思い描く自分の心を尊重しています。
自分のしあわせは自分で追求し、叶えます。


 
 
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