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第三章天然石と内観12

内観のやり方

第三章天然石と内観12

『名前や見た目を受け入れることも魂と一致する方法』

魂は永遠に変わらないけれど、この世に生まれるたびに自分の魂につけられる名前や、与えられるカラダがあります。
名前は今世の魂の名前で、カラダは今世の魂の器です。
その名前やカラダは生まれる前に、今回の人生ではこれを学びたいとか、この特徴を持ちたいとか、自分で『これにする!』と決めているものです。
性格や、どこに生まれてなにが起きるかも自分で細かく設定しています。
生まれてしまうと自分が決めたなどすっかり忘れてしまい、親のせい、環境のせい、と文句を言うんですけどね!

あなたは自分の名前や見た目が好きですか?
名前や外見はみんなが持っていますね。それを好きになることはすごく重要な魂の課題のひとつだと思います。
人の魅力は内側にあるというけれど、人は見た目をすごく気にします。
自分の名前や見た目を気にいらない、という人はわたしを含めたくさんいます。
親がつけた名前だし、親に似た見た目だしって、完全に自分のせいじゃないと思っているから軽んじて否定してしまいがちです。
気に入らない、と簡単に言ってしまうけれど、これを否定するということは、本当はそれを決めた自分の魂を否定していることになると思います。
覚えていないので自分のせいじゃないと思ってしまう名前や見た目をどう思うかはすべての人が魂に試されています。
心の底から受け入れているかどうかで、その人が本当に魂を生きているかが判断できると思うし、魂に近づくほど名前や見た目を受け入れることができる。
自分のたいせつな名前や器をたいせつに想い好きになることも自分の魂に近づいていく方法だと思います。

わたしの名前は章子といいます。
すごくありふれた『あきこ』という名前をこれまで一度も気に入ったことがありませんでした。
内観を始めて間もないころに友人から『氏名は使命』という言葉を教えてもらいました。
それで自分の名前の意味を気にしてみたとき子どものころの出来事を思いだしました。
小学生のころに『自分の名前の由来を聞いてくるように』という宿題を出されました。
学校から帰宅して母に『わたしの名前の意味を教えてほしい』と聞きました。
そしたら『さぁ?おじいちゃんがつけたから。』と母は答えました。
我が子の名前に対して『さぁ?』というそっけない言いかたをされたことにショックを受けたことを覚えています。
しかたなく祖父にも聞いたけどなぜか答えをもらえなかったです。
なので宿題は、自分で漢字の辞書を調べて適当にそれらしく作文して発表しました。
文章の章だから意味としてありふれているけど、文章を読んだり書いたりするのが好きな子になるようにってつけてくれましたって発表しました。

それを思いだしながら改めて、章の字を、子どものときの宿題みたいにまた調べてみました。
子どものころは手持ちの漢字辞典一冊しかなかったけど今はスマホがあって、とてもたくさんの意味を知ることができました。
文章の章。しるし。
章の字は『辛い(つらい)』から成り立つ。
入れ墨の墨袋と針。入れ墨は痛さを伴うが美しく描かれる文様であり、身分を表す。犯罪もはっきり刻まれる。
第一章、という物語の区切り。楽章、という音楽の区切り。
覚えきれないほどたくさん出てきて名前の漢字のイメージがすごく変わりました。
辛いという字からの成り立ちだとか、痛さを伴う入れ墨を表すとか思いもよらぬ解釈で驚きました。
わたしの人生はやっぱりツライんだなぁ!
クマがあるからやっぱり犯罪者のしるしの入れ墨なのかなぁ。
このとき2017年にはそのように静かに落ちこみました。
自分の名前を気にいりたいと調べてみたけど受け入れるのはムリなような、暗い人生と確定したような気がして酷と感じました。
でも名前は変えられないから、変えられないものは好きになりたいという意識を持つ、と思うにとどまりました。
自分を好きになるべくこれからを生きようという決意を持っていたので。

それから何年も過ぎて内観が進み、自分の使命を知りたいと思うたびに『氏名は使命』が頭をよぎりました。
自分の名前にときどき真正面から向きあいました。
だんだんと名前とわたしが近づいて合っているように思いました。
たしかにこれまでの生きてきた軌跡の紆余曲折がすべて魂に記録されていて、これがこの世を終えるときにはなんらかの線となり描かれているものがある。
それが美しくなるかどうかは自分次第なのだろうと思えてきました。
そう思うと、わたしは名前そのままの課題を与えられているのだ、と感心しました。
よく分からぬ線になるか。美しく描くか。そこに気づけてよかったって思いました。

内観を始めてすぐに『氏名は使命』を知ったことに意味を感じました。
名前は親からのギフトの代表のようなものなのに、わたしの場合は親と切り離して自分で考える展開になったことはわたしの特徴と思いました。
それから心理的にすべて手放し、からっぽになり、ユメノナカノヒトと天然石に出逢うふしぎな夢を見てFieldStonesに導かれて。
天然石とともに生きるようになり、自分を生きる生きかたを強く意識することになってからも『氏名は使命』を何度も思いだし、わたしの使命を自分のなかに見て探っていました。

そんなことを思いながら、ある日今こそ名前の答えが欲しいと思い、あるとき母にメールでまた同じことを聞いてみたんです。
そしたら今度は『お父さんがつけたと思う』と言いました。
違う答えが返ってきたのが衝撃でした。
子どものときも今も、わたしの名前はだれがつけたの?とは聞いておらず、他者がつけたとしてもムスメであるわたしの名前の意味くらい母も知って覚えていそうなのにな、とふしぎになりました。
あまりにふしぎだったのでもう追求する気になれませんでした。
わたしにとってのこの問いは人に聞くものではないのかもしれない、と自分の内側に問いを落としました。
自分で意味を考えたっていいんです。
自分の名前を最高に気に入りステキな意味を持てたらそれが最高にいいのだから!

自分の名前は魂が決めている、といつからかそう思うようになりました。
今世のテーマに沿い魂が決めている。ということはつまり自分が決めています。
お腹のなかから親に伝えて親が感じとって親が子に名をつけるらしい、となにかで読んだことがありますがすごく分かると思いました。
わたしはこの説を信じます。

『あきこ』『章子』というありふれた名前を、受け入れるを超えて今は好きになっています。
この変化が起きたのは今あたたかなつながりのなかにいて、いろんな人が『章子さん』と名前を呼んでくれるからです。
章子さん、と呼びかけてくれたあとにはあたたかな文章が続きます。
あたたかに名前を呼ばれることのくりかえしにより、名前を呼ばれることが緊張しかなかった子ども時代から完全に記憶は塗り替えられて、章子さん、と話しかけられることが今は目にうれしく、耳にうれしくていつもしあわせです。
あきこ、なんてありふれた名前だけど、章子でよかったなぁって!
自分の名前に対する印象がすっかり変わったんです。

子どものころの宿題で適当に発表したわりに、確かに文章を読むのが好きで書くのが好きで、これもそのまま当たっているなぁ!って今は軽やかに受け取れます。
今はずっと文章を書いているなんて!この名前に沿った現状にしみじみします。
クラスのみんなの、両親とつながるステキな名付けのエピソードを羨ましく聞きながら、自分は心を無にして発表に耐えました。
その教室でのみじめなわたしとつながって、正解だったよありがとうって、ぎゅーーーって抱きしめてまた癒しがおとずれました。
愛のほうへいっぽいっぽ。手探りコツコツ歩いてきてよかったな。
内観の先にこんなことまで癒されるとは。

動物ではなく人間に生まれる特徴は、こうして思考して意味を考えることかもしれません。
考えることにより人生が救われるんです。
これがかみさまから人間へのプレゼントって思います!

そして見た目のことですが、だれでもよく『〇〇さんみたいな顔だったらよかったのに』と思いますよね。
顔や体型など、好みと思う人の外見を羨ましく思います。
だけど自分とつながり生きる道を進んでいくと、他者みたいな見た目になりたい、と思うなどまったく無意味と分かり、羨む心をあるときバッサリと捨てられます。
きれいな人に憧れて、もしもその人みたいになれたとしても、他者を見て他者を羨む心が自分から消えなければ結局常に他者を見て比較して、また違う悩みを抱えるはずです。
心が変わらないままだからです。

自分は他人にはなれない。
きっぱりとそう悟ります。
内観が進んでくると自分の内面も魂と一致してくるので自分をただあるがままに、そのまま受け入れられる心境になってきます。

自分の名前や見た目を好きになる方法
①自分の名前をまわりの人、特に好きな人にたいせつに呼んでもらいそれをくりかえし聞く。
まわりの人に丁寧に「章子さん」と呼んでもらう機会を得てから自分の名前の受けとりかたが数年かけて変わりました。
自分の名前を否定しては自分の魂が悲しみます。

②自分の肌をキレイにしたいとお手入れしたり、足裏までマッサージしたり、愛をこめて労り触れる。
お手入れは顔だけじゃなくカラダ全体がまるごとわたし、という意識に目覚めてマッサージしたり今日も元気だったことにありがとうと声をかけたり。
ささやかな行動ですが家族を労るように自分にも労る心を向けます。
それで自分のこともだんだんたいせつになりました。

③自分に対する卑屈をやめて抱きしめる,
人はつい自分に厳しく、わりと平気に暴言を吐きます。
自分は醜い、ブサイクだ、って自分に言うのは傷ついてないと思いますか?
自分の言葉はクチから言わなくても思うだけでも魂にはダイレクトに伝わってしまいます。
やはり魂が傷ついてしまうので自分に優しく思いましょう。

④とことん『今』の自分をしあわせに導く。
やりたいことをやり、自分を生きるのです。
欲しいものを与えて豊かにします。
自分をしあわせにする行動を重ねます。
この行動が過去の暗闇に光を届かせます。
そうするとその光が自分の隅々まで行き渡り、しあわせな肯定感に満ちます。
この幸福感は今までの自分ががんばってきたからだ、と自分に対して感謝するし、過去のつらい出来事にも感謝できる心境になります。
なにひとつ自分じゃなければ今の幸福はなかったと悟るとすべて本当に受け入れられます。

名前や見た目は魂からの、わたしを成長させるための意味がある贈り物と思います。
わたしは深く学び大きく成長したかったから気に入らないところだらけのスタートだったのでしょう!

最初にも書きましたが、自分が生まれると決めて名前や見た目や環境、学びたいことを決めて、カラダという器を与えてもらってそのカラダに魂をたいせつに仕舞い、この世に存在しています。
自分に与えた魂の名や魂の器を受け入れることは魂と自分が一致する非常に重要なことです。

わたしは、そりゃあクマがなかったらな、とか、歯がキレイだったらな、とか、骨もゆがんでスタイルが良くないとか今もいろいろ思います!
だけど内側がすごくのびのびと自分らしさを出して魂と近づいている今、わたしは『光っている』って思います。
『魂は愛と光』って思ってる。そのわたしの魂が、今わたしらしく光っていると感じます。
心底からわたしは生きやすくなりたいと思ってきました。
だから自分の魂と一致して愛の光を発することはわたしの内観の目的でした。
その光を発することができている、と感じられる今わたしは満ちていて、見た目を気にするよりも自分の光を発している喜びのほうが強いです。
光を発する魂は内側にあり、外側の見た目は光を発することそのものには関係がなく、わたしの価値にも魅力にも影響がないと理解できます。
号泣し、死にたくなるほど苦悩していた2023年の春頃に比べたら信じられないほど軽やかに、それならいいや、と受け入れています。
それも魂と一致することの穏やかな着地点と思います。

この、自分から発している光というものを自分はものすごく愛します。
自分そのもの。唯一無二で居心地がいい愛の光だからです。
これが分かると、もう『ほかのだれかみたいになりたい』とだれかに憧れることが無くなります。
自分の性格の短所やキライだったところも、なんにも思わなくなります。
自分でいい、というより、この自分がいいのだ、とすごく自然に思えるのです。
そこまで自分を受け入れると、今までまわりの人に対して気になっていたことも気にならなくなってきます。
自分という層が広くなって、まわりの人やまわりに起きる出来事を遠く遠く感じるようになります。
自分がちゃんと自分のなかにいて、自分の世界と他者の世界をいい意味で分けて考えられます。
自分にもまわりにも否定がなくなり、とても穏やかな自分の魂である愛の光につながっている世界です。

愛は関心。
自分を見て、自分を愛する。
これで自分から愛があふれ、この愛に満ちた自分で使命を生きるのです。
わたしは『章子』らしく、言葉を綴ります。
綴る言葉にいつも愛を込めています。
人の本質は内側にある。内側にこそ価値があり、内側こそが本質の魅力で魂の光の源であると、わたしは自分の見た目の葛藤を超えて言い切ることができます。
見た目も、生きてきた環境も、これまでの苦悩も、わたしにはぜんぶ必要だったし、そこから得た気づきを他者の心の救済につなげ光を灯すべく、困難を本当に抜け出す方法として言葉にして文章にして伝えていきます。
なーんだ、そのまんまだ!!って今こそほんとにあっけらかんと思って笑ってしまいますね!

名前は自分の魂からのギフトです♡
名前や見た目を好きじゃないまま魂と真につながれることはありません。
自分の声や、日本人であることや、女であることも変わりません。
受け入れて好きになり、魂とつながる自分の心の道があるんです。
名前にしろ、見た目にしろ、気に入らないことがあっても生まれる前の魂の計画は完璧で、すべてに意味があり、すべてがあるからしあわせに生きるプランがあるんです。
自分はそれはそれは完璧な計画を立てて生まれています。
『それをすっかり忘れて生まれる自分』ということも魂は分かっています。
そんな自分に対して、特に名前は計画に示された自分がしあわせに生きる方法の大ヒントとして魂が特別に示してくれているものと思っています。
『名は体を表す』という言葉が日本にはあります。
ありのままの姿が名前には込められているのです。
日本ってこうした昔からのたいせつなことを伝える言葉がステキだといつも思います。
日本語を使う日本人でしあわせ。だからわたしは日本人に生まれたかったのかも。
日本に生まれるって魂の世界で争奪戦だそうです。
あなたもわたしもそれを勝ち抜いて日本に生まれました。
だとしたら、日本でなにをしたくて生まれたのでしょうね?
楽しみたいことや、やりたいことがあったはずです。
そんな方向からもぜひ自分について感じてみてください。


 
 
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