BLOG ブログ
ブログ
ブログ

第三章天然石と内観13

内観のやり方

第三章天然石と内観13

『人間関係の変えかた』

あ、あの人はわたしのことをキライだな。
あ、わたしの悪口言われてるなぁ。
って思うのが当たっているときもあるけど当たっていないときもあります。
わたしは嫌われている、と思うとすべてがそのように見えてきます。
この世界はひどい世界だ、と思うと世界のひどいところばかり目にして耳にして、そしてちょっとイヤなことが起きたら『あぁやっぱりひどい世界だね』と思いこみが深まっていきます。
世界は『自分がそう思っている』そんな思いこみに満ちているのです。

わたしは大げさではなくすべての人に『愛されない』と思っていました。
好かれないし愛されない。
自分と向きあい始めた41歳頃までに、わたしは人間関係がうまくいっていないという自覚はありました。
トモダチがひとりもいなかったからです。それまでにも長く続いた人間関係の体験がありませんでした。
だけどトモダチがいなくてもわたしはひとりで過ごすのが好きで、ひとりの時間を楽しむのがものすごく得意という性格がありました。
ムスメと夫と仲が良かったから寂しいと思うことはなく、ムスメや夫の世話をしていたらいちにちは忙しく過ぎていきました。
いつもひとりで図書館で借りた本を読んでいました。子どもの頃からずっとそうでした。
面白い本は文章が脳内に入ると映像化されます。
それが映画を見ているみたいで飽きなくて、人には伝わらないけどわたしはいつもひとりだけどすごく楽しく過ごしていました。
だから人間関係については親とうまくいかないということもよくある一般的なことと捉えていたし、深く考えずにいたのです。

41歳のとき体調を崩してくりかえし謎の高熱を出す日々のなか猫が突然亡くなり、わたしは自分の死も意識しながら『寂しい!』って初めて思いました。
このまま死ぬのは寂しい!孤独はイヤだ!!って心が手を伸ばして叫びました。
語り合う人が欲しい!という自分の声をキャッチしました。
自分がこんなに死にかけているときに、連絡をしたい人も心配してくれる人もいないという残酷で寂しい現実を知りました。
義務的には親や姉妹がいるけれど、もっと心がつながった『わたしの人間関係』がわたしには夫とムスメ以外にまったくありませんでした。

友達が欲しいって思いました。
でも誰でもいいわけではありません。
高校生のとき、仲良しグループのひとりだったはずだけどわたしだけ、とあるイベントで仲間外れだったことがありました。
時代もあるかもしれないけれど、小学生や中学生のときにひとりでいるとすごく問題があるように見られて、ひとりで行動していると先生に呼び出されたりしました。
それが面倒だったから意識していつもいっしょにいる人を作っていました。
それはそれで楽しくて親友のように1年間いつもいっしょにいましたが、クラスが変わるとそれまででした。
わたしは家に帰るとだれも話す人がいなくて寂しかったから学校の友達にべったりと執着気味でした。それでも仲良くしていたと思うのにクラス替えのたびにその子が離れてしまうことにキズついていました。
だからいつからかトモダチを作らなくなりました。そんなことを思いだしたから、これから人間関係を築くならちゃんとつながるつながりを求めました。
話してくれているけどほんとに仲良いのだろうか、と不安にならない真っ当な人とつながりたいと思いました。
そうして願って、わたしの魂の学びのためにかみさまが出逢わせてくれたのが内観のきっかけとなった友人なのだと思います。
しかし。
心広くあたたかな人格のとても健やかな友人に対してさえ、わたしは独占欲が沸いたり、勝手に寂しくなったりしました。
この友人が悪いのでは無いことは明らかです。
それが分かりながらも自分のことがコントロールできなくて苦しくなりました。
だから、わたしの心の問題だ、とわりと真っ正面から向きあえました。

わたしはどうしてこんなに面倒なのか。
友人に対して沸いた感情の向こうを感じとるようになりました。
返事が遅くて腹が立つ向こうに母を思いだしました。小さい頃に母がいつも返事をしてくれなかった悲しさを抱えた自分に出逢いました。
返事が無かったり遅かったりして、嫌われたかな?わたしなにか怒らせたかな?ってすぐに不安に思うのは自分に肯定と自信が無いからでした。
どうして自信が無いのか?自分のそれを見ないから分からずに『怒り』になると思いました。
内側を追求するとそれはいつもわたしは母と姉と妹の輪に入れてもらえなかったから。
それが悲しかったし、その向こうにどうしてそんなことをするの?って怒りがあった。その怒りと思いました。
怒りがあったのに、自分という存在には怒りを表す価値がないと当時すでに思っていたことが闇でした。
今だから深刻だと思ったのは、『なぜか分からないけどわたしは嫌われる存在なのだ』と『思う』ことができるより早く4、5歳の幼すぎる段階で強めに刷り込まれてしまっていたこと。
なぜ自分は人間関係が困難なのか、その始まりを追えないほどわたしの人生の記憶がある最初のころにはすでに母の機嫌を気にしてオドオドするわたしが完成していました。
現実に問題があるのは自分の考えかたが悪いからだとよく言われるけれど、こんなふうに刷り込まれている場合にはわたしは自分は悪くないって思います。
客観的に、わたしはかなりかわいそうって思いました。
だからこそ、もしも似たような人が無意識無自覚に捉われて苦しんでいる場合に、つらいけど過去を直視して根っこを掘り起こし、自分の根本から自分を変える必要を訴えます。
『あなた』は悪くない。そもそもなところあなたに意識を刷り込んだまわりの人たちが悪い。
うまくいかない原因を見つけて癒して手放すことで自分を肯定し、自分の世界が変わり、現実が愛あふれるように一変することをわたしは体験したのでわたしはそこまで伝えます。
生きにくいから変わりたいと本気の人は、自分の世界が居心地良くなるまで、問題に対することを最後まであきらめないでほしい。
自分をしあわせにするために生まれて生きているのだから自分のために向きあってほしいです。

人と出会ったとき、この人に嫌われるかも、なんて不安にならない人がほとんどだと思います。
好意的な前提で出会い、関係を築いていくと思う。
だけどわたしは『わたしは嫌われている』という場所から始まるからいつも『嫌われないように』がんばる方向なんです。
だからわたしは、少し返事が無いだけで嫌われたかな怒らせたかなと不安になるのでした。
そしていろんな人間関係を振り返ると、丁寧に接してもらえるように、嫌われる理由にならないようにいつも過剰にいい人になっていました。
そしてあなたはわたしのどれくらいの友達?と確かめないと分からないのでした。
友達って言ってほしいし、親友って言ってほしい。言ってくれないのなら違う人を探さなくちゃ、と極端なことをいつも思いました。
健やかな人と友達になってもこんなにしんどい自分が出てくるなんて自分が持つ闇は深いと思いました。

友人関係だけではなく結婚してから実家に帰るようになり、子ども時代と違って親と少しは関わりがありましたが、わたしはやたらといいムスメになっていたなぁと思います。
姉より、妹より、よく動き、母を手伝いました。
でも、手伝わない姉や妹ってなんにもしてなくても母と雑談が弾んでいて仲良しなんです。
わたしは『お手伝いをするいい子』でしたが、雑談は無く、仲良しではなかったです。
だから姉と妹が羨ましいと思いながら、お手伝いはやめられませんでした。
仲良くなれないのに役立つこともしなければ、ここ(実家)にいられないと本気で思っていました。
仲良くなれないのはわたしがまだなにか足りないからだ、と思いました。
友人や親との関係を客観的に見て気がつきました。
わたしは人との関係が、ゼロとゼロから始まるのでは無く、わたし側はわたしの思いこみによりかなり低いマイナスにいるのでした。
プラスに立ち好かれるまでに、相手の視野のまず対等であるゼロのところに行くために良いこといっぱいしなくちゃいけない、っていう必死で病んだ図が思い浮かびました。

相手の心のなかは自分の想像です。
相手に確かめるまでは完全に自分の世界が映しだされているのです。
わたしはこれを『鏡の法則』と思って、気づくたびに自分から『想像の目』を省いて、ただただ目の前の人やモノや出来事を等身大で見るように気をつけてきました。
そうしてまわりを見る目を整えるときに、わたしの心からも『わたしは嫌われている』というフィルターを取り除きました。
これは自分のフィルターの数だけ、抱える悩みの数だけあります。
いっしょに暮らす家族や実家の人たちなど身近な家族関係の世界は学びの縮図だと思います。
家族との関係が対等に整うと家の外でもうまくいくと思います。
家の外と家のなかの人柄が一致することもたいせつなことです。
そう気づいてわたしは身近な家族との関係を客観的に眺めました。
不機嫌な人を見ると、わたしなにかしたかな?って反射的に不安になります。
これは、分かる人には分かるし、分からない人には分からない感覚と思います。
分からない人にその感覚を話すと、そんなの気にするあなたが悪い、気にしすぎだよ、とか言われて、『自分が悪い』が分厚くなるんです。
どうなってもなに思っても自分が悪い。こんな自分が悪い、ってなる。
それも避けたいから、これを読んだ人はこれ以上そう思わないように。

夫がイライラしていたら、わたしのせいではないのにわたしがなんとかしなくちゃと勝手に責任を負っていました。
だんだんと、夫のイライラがおさまらないのはわたしがなんとかできないから、となりました。
そして夫の態度が増長しました。
緊迫した最悪な家庭の空気はわたしが作っていました。
天然石と過ごすようになったあるときから夫のイライラを気にしないようにしました。
天然石をさりげなく手に持って、わたしは石に意識を合わせるようにしました。
イライラしている夫を受けとめないと決めたからこちらから心配する声をかけません。
イライラ怒る夫の世界と、清らかな天然石といるわたしの世界は明らかに違うんです。
石を持つわたしの世界とまわりを混ぜないようにイメージしました。
ふしぎだけどそれだけで、夫は自分のイライラする感情を次第に見せなくなりました。
わたしが聞いてあげなければ話してもしかたないから自分で黙ってなんとか気持ちをおさめるようになったのだと思います。
拍子抜けするほど『鏡』でした。
わたしのそばに石が増えるほどわたしは安定して自分の世界を保ちました。
自分の世界を保つ、というのは外を気にする意識の矢印が自分に向いている、ということ。
これをするようになり、家族といえどもだんだん『人のこと』が気にならなくなっていきました。

わたしの生い立ちや実家の人たちの人柄からべったりとつながりが濃い一族では無く、わたし個人でいうとだれとも連絡を取っていません。
仲良くしなければいけないと思ってご機嫌を伺うメールを定期的に自分からしていたけれどそれをやめて、やめたらだれからも連絡が無いけれど、だからといってわたしの一族の仲が悪いかというとたぶんそんなことはない、って思いました。
物理的にも精神的にも近くないからケンカも起きず、だから仲が悪くもならないのは確かで、これも平和に整っているって思います。
実家から離れて暮らすわたしはこの距離感を勝手に悩んでいたけれど、いつのまにか悩むのを手放せました。
仲良くないけどわたしが特別に嫌われているわけではないとまで思えるようになりました。

人間関係に悩む人は自分を客観視してみてほしいです。
あなたは嫌われることをしましたか?
あなたは怒られることをしましたか?
していなければ堂々としましょう。
この、心のなかでまっすぐ顔をあげて堂々とするかんじでいられる自分であることもたいせつです。
自分の内から放つ気配が変わっていきます。

自分は変わっていくということは目の前の相手も変わります。
だから相手の反応を決めつけずに、真新しい意識で対面しましょう。
こう言うとどうせ怒るよね、ってことも怒らずに話を聞いてくれるかもしれません。

分かってもらえずに、どうせあんたはこんな子だよね、って決めつけられて本気で悔しく腹が立った経験はだれもがあると思うのだけど、それってすごく悔しかったですよね。
人間関係で自分が体験したそういう痛みも自分を癒すヒントになっていると思うからその体験をヒントに自分から悔しさを取り除いていきます。
自分の心から恨みや悲しみを抜いていきます。
自分の心からチカラを抜いて、あるがままに世界を眺めるとき、まわりにいる人や世界はただあるがまま、嫌われていない世界がそこにあると分かります。

安定した自分になるとおなじように安定した人とつながっていきます。
これでだんだんと人間関係に悩まなくなっていきます。
悩まなくなると自分がいつも穏やかになり思考が健やかになってきます。
自分の歪みが無くなるほど相手にも歪みが無くなるし、歪んだ人に出逢ったときはその人の歪みにすぐに気付けるので意識を合わせません。
自分は影響を受けずにいつもどおりい続けることで自分の世界は安定を保ちます。

愛あふれる自分でいることで自分を愛の軸に保ちます。
自分が嫌われるなんて思わなくなり、自分はステキな魂だって思うようになります。
つながる人に愛を感じます。
そんなふうにいて、もしも連絡が途絶えたり嫌われたらならどうするか。
『気にしない。』という答えになります。
嫌われるようなことをしなくても人間関係に終わりが来ることはあります。
そのときは、お互いの学びが終わったとか、お互いの世界がズレたと考えます。
ご縁が切れることを恐れずに、ブレない愛の軸を持って今日も自分がいる世界でつながる人たちと愛あふれているだけです。
出逢う人はたくさんいます!
石たちからのリーディングメッセージがそう言ってくれます!
天然石がわたしに自信を持たせてくれました。

この文章を書いていたある日、ガネッシュヒマール虹子さんに話しかけられました。
『あなたの場合はどうしてうまくいかなかったの?』
そう聞かれて自分の場合を考えました。
世界は鏡。人間関係に限らず自分の世界を創るのは中心にいるわたしだから、わたしが心身健やかに在ると健やかな世界が創られます。
問題とは人間関係だけにあるわけではありません。
問題の根っこが自分のまんなかにつながっているから問題は人間関係だけではなく、恋愛や親子関係、自分自身の扱いかたや健康、物の扱いかた、人生の考えかたなど自分を取り巻くすべてに派生し広がっているはずです。
人間関係は分かりやすく問題の認識ができるだけで、人間関係に問題がある場合はきっとほかにも問題が表れています。
だから自分が整うことがかなり広範囲に問題を解決するカギとなります。
すごくたいせつなことです。

今わたしはかなり整い、いつもごきげんさんにいるけど、そうじゃなかったときを思いだしました。
わたしは中学生くらいからストレスがあると簡単にごはんを食べなくなりました。
痩せてしまおうが体力が無くなろうがわたしは平気で、気力で学校に行けました。
仕事にも行けるし家事もできます。
今思うと、無言でまわりの人にアピールしていたのかも。どうしたの?だいじょうぶ?とまず家族に声をかけてほしかったのだと思います。(かけてもらえませんでした)
その食べなくなる行動の奥には、無言で、親やまわりのせいって言いたい意識があったって思います。

わたしはものすごく疲れた日にも休まず不機嫌になりながらごはんを作ってきました。
そんな姿を夫にもムスメにも見せてきました。
今なら休めばいいのにって思うけど当時は休んだらわたしはなんの役にも立たなくなるから、と休めませんでした。
いつも忙しく休みなく家事をして、自分の存在感と重要さをアピールしていました。
自分で、そんな厳しく重たい世界に限界を感じたのだと思います。
よくナゾの熱を出したり、ナゾのじんましんが出るようになりました。
食べるものや暮らしかたを見直すほうに意識が向いたのでかなり自分の暮らしを心の在りかたから見直すことにつながりました。

中学生あたりからごはんを食べなくなることも含めてわたしは自分をぜんぜんたいせつにしていないのでした。
どうして?
だって親に愛されていないもの。たいせつにされた実感がないもの。
だから、自分をたいせつにするっていう意識が根本から抜けていたと思います。
内観を初めてから7年ほどのあいだにいちばん変わったのはこんな基本のところです。
『自分のため』に食べるものを作り、食べることを楽しみにしてごはんを食べるようになりました。
ただただ命が尽きるまで流れると思っていた時間というものをたいせつに考えはじめました。
時間を楽しめば今日も明日も生きる日々が楽しくなるのでした。
自分が喜んだり、楽しんだり、したことなかったなってこれまでの人生を反省しました。

わたしはそんなふうに食事も遊ぶこともしてこなかったから、食べたり休んだり、眠ったり、これからは基本の暮らしの土台をたいせつにすることを強く思っています。
自分とつながりチカラが抜けると、家事はイヤだと思っていたけどわたしは台所が好きで、家事が嫌いなわけではない、という素直なきもちにも気づけました。
だけど、女だから主婦だからと役割を押し付けられるかんじが異様にイヤなのでした。
いつも不機嫌だった母を思いだしました。わたしは母の影響を強く受けたけど、だからといってわたしが母のようになってしまうのはまったく別の話で、わたしの責任です。
そしてわたしの記憶に母が染みついているように、不機嫌に家事をこなすわたしの姿がムスメの記憶に染みつくことがイヤだと思いました。
女性が底辺に押し付けられて苦しんでうずまいている怨念みたいな集団意識から抜けだし連鎖を止めることはムスメにも関係があることだと思いました。
そう思ってからはごはんを機嫌良く作ることがいちばんだいじ。そう決めました。
わたしは献立を考えるのがつらいのでそれをやめて、自分らしく一品だけど家族みんなが好きなものをたっぷり作るようにしました。
それを楽しく食べるほうがたいせつ。
更年期もあるからかなにもしなくても疲れた日があります。
そんな日は夫にごはんを作ってもらったり、買ってきてもらいました。
心がゆるむとともに、カラダに悪いから、と厳しい心で排除していたことをゆるめたし、人を頼ることもできるようになりました。
カラダに良い悪いを考えることはたいせつだけど、それが厳しすぎて自分を縛り、心が固くなる悪影響も体験できたと思います。
食事が合わないと鼻炎になったりお腹を壊したりするから外食はすごく試しながらだけど、わたしが異変を発症しないお店探しをして今はいくつかのお店を見つけて家族と出かけて外食を楽しんでいます。

基本は家で楽しくごはんを作れる心であるようにいつも元気に体力も気力もあるように整え、そしてちゃんと自分の食べたいものを考えて日々作り、ちゃんと食べています。
それは基本のふつうのことだけど、こういうことがわたしはおろそかになる学びがあったから、基本の暮らしが保たれることがわたしがうまく生きている目安だからこれからも寝食の暮らしをたいせつにしていきます。

ちゃんとごはんを作らなくて、ちゃんと掃除をしなくて、休んでごろごろして、わたしの存在って役立たずで申し訳ないなって思っていたわたしはほとんど消えました。
そんなふうに思われるだろう、って思っていたのはわたしでした。
ときどきふわりと気弱になり、叱られるような不安な気分になります。
だけどそんなときは、不安定になっている、と淡々と思って休むようにしています。
そしてそんなときは気が満ちる時間も足りていないと思います。
石を持って昼寝したり、石を持って空を見たり、まず自分の心を満たして休み、整えます。
そしたら感じていた不安定は消えていきます。
だから、不安は自分の内から生まれていると分かります。

安定が揺らぐときはいつも石に意識を合わせて、落ち着くまで触れる時間を取ります。
それはなんにもしていないなまけた時間に見られるかもしれないけれど、『あなたは働かずに遊んでばかり!』と怒鳴られた記憶も遠い過去。けっこう自分に刺さっているセリフなのだけど今わたしの世界にはそう言う人はいません。
いないのだから自分が自分に思ってはいけません!
それよりもたいせつなことは、わたしがごきげんさんでいること。安定していること。いつも石を見てこれを思いだします。
家事をしまくるよりも、わたしが明るくよく笑うほうがわたしにもたいせつで、家族にもたいせつで、そして喜ばれることです。
だから堂々と、石を持ってなんにもせずに休みます。
『なんにもしなくていいんだよ』と心をいつもふわりとゆるめていることをいつも意識して調整しています。
本当に簡単に棍を詰めてがんばりすぎるわたしがいつもすぐそこにいるんです!
だからぜったいに早く眠ります!
自分で気づいてそう整えているこの意識がわたしを安定させています。

自分がうまくいっていないパターンを振り返ってそこを整えることをしてから、夫の機嫌が気にならないからわたしは安定しました。
わたしが安定したから夫の機嫌が気にならないのかもしれません。
鏡だから双方連動しながら世界が変化していったと思います。
まわりを気にする矢印がどんどん自分に向くから遠くの実家の人たちは現実の距離のとおりに遠くなり、過去を思いだし苦しむ日が無くなりました。
わたしがちゃんと『今』にいて、意識がちゃんと『自分』にいるからです。

友人を含む人間関係も、すごくラクになりました。
わたしが安定していると、返事のある無しに必死にならないし、気になりません。
前回いつメールをしたっけ?と、わたしが忘れているというかんじ。それでふと思いだして連絡する。
最近初めて知った感覚なのだけど、これが執着など無い健やかなふつうの距離感かもしれません。
連絡をしないから嫌っているわけじゃない。連絡が来ないから嫌われているわけじゃない。
これはそのうち連絡が来たときに親しい空気が変わらないから分かります。
そのようにわたし側からの信頼が育ったのですね。
今までは、なにかしないと好かれない、と自分に条件を課していました。
そんな条件なんかなくても無条件な関係が成り立つと、やっと心が理解したと思います。
わたしが1番の親友かどうかも気にならなくなりました。
自分と自分がつながれて、人に求めなくなったのだと思います。

ここからすべての人間関係にこれが広がり、どの人間関係も愛と信頼の土台を基本にして今はいろんな人と話しています。
自分をたいせつにするから、自分が悲しむことになる人間関係は縁を手放していきます。
返事が無いままの人は気にしません。
たいせつにする、はまず自分を。
その自分がまんなかに安定しているから、身近な人間関係や、起きる出来事が変化していく。
自分が安定した目、安定した心で物事を感じて受けとめていくからこれまでと変わらぬような世界も現実に変わっていきます。
そうやって自分が中心の、自分が創る現実が創造されていくのです。
だからみなさんも、もしも似たようなことで悩んでいたらガネッシュヒマール虹子さんに言われたように
『あなたの場合はどうしてうまくいかなかったの?』
と自分のこれまでを振り返ってみてください。
自分にしか分からないことだらけです。ヤケになったりムリしたり、カラダを壊すパターンを創っている世界のまんなかにいる自分を整えてあげてください。
そしてその思考や行動パターンの奥にいる『過去の癒されていないままの自分』を見つけてあげてください。
前前回に書きましたが、どんな自分も許してあげてくださいね。それが自分と近づく絶好の機会なんです。
自分のまんなかにいる自分に愛を送り、愛で整えて、愛の世界を創造しましょう!


 
 
愛の魂に戻る内観トップへ 


章子さんと共著しました、書籍「石たちに導かれて 体験編」はこちら