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第3章天然石と内観14

内観のやり方

第3章天然石と内観14

『自分という国を捨てて国境線を超えた石』

天然石を迎える前と後の自分の在りかたは人それぞれにすごく変化していると思います。
ひとつひとつ石を迎えていくなかで特にものすごく大きな意識の変化が起きた石はありますか?

今週のある朝ふと目が合ったのはピュアレイゴールデンヒーラークラスターでした。
この石を迎えたのは2023年2月末。そのときわたしは天然石を迎え始めて半年ほど過ぎていました。
あの頃のわたしは本当に暗かったなぁ、とふと思いだしました。

天然石と出逢ってからの半年間、毎月のようにちまちまと石を迎えて自分のまわりがキレイでかわいい石で囲まれ夢みたいに思っていました。
モノや人の『気』を感じてしんどくなるタイプのわたしは身のまわりによく分からない人や、ごちゃごちゃしたモノがあるのがけっこうニガテです。
空でさえ、早朝以外はけっこう重たくかんじてしんどいって思う。神社なども混みあえば人の念が大変って思いニガテです。
そんなわたしだけど、わたしにとって天然石は、まったく警戒しなくていい、安心して触れられて心を解放できる『珍しいモノ』でした。
しかも持てば自分の内側がキレイに清められる気がするし、身のまわりにあればその場の気がキレイになるって思いました。
それでわたしは天然石を前にすごく安心してくつろぎ、素でいることが増えました。
今思うと、親にも夫にも緊張していたわたしはこんなに心を解放できるっていう体験は記憶にあるなかで初めてのことです。

石にはすべて見透かされているって思うから、どんな悪いことを思ってしまったとしても瞬時に本心を見通されてバレています。
わたしはなぜかそのように石の性質を知っていたから、石たちに対して良く思われたいとか、清らかに思われたいとか無かったです。
装ってもムダ。
だからわたしの石たちに対する姿勢は初めからかなりわたしそのままで対面していました。

だからかなぁ。
天然石がすごくキレイな色や光の姿でそこにあり、キレイだねって本当にすなおな心で感動する反面、その心の反対側に暗く重たい感情があることもすなおに感じられました。
実際にはこんなふうに表れていました。
わたしの暮らしに天然石があるようになり数ヶ月過ぎたころから、今まで思わなかったような本音が子どもみたいにポンっと出るようになっていました。
もっと石が欲しいな!
わたしも自由になりたいな!遊びたいな!
そんな明るい言葉。そして暗い本音も出てきていました。
今の暮らしがイヤだ。解放されたい。ってふと思ってびっくりする。
そして自分に聞きます。
今の暮らしのなにがイヤ?
夫に気を使うところ。それでわたしの気は消耗されてしまっているところ。その暮らしから解放されたい。
そう思うと、その向こうにもっと真っ黒な穴が見えました。
見えてしまった奈落。
そこにあるのは『許せない』という意識。
あぁ、お母さん。って思う。
お母さんから逃げられない。
お母さんをキレイに守れない。

天然石に出逢うもっと前からわたしが抱える問題には幼い頃の母との関係の影響が悪く出ていると自覚していました。
だけどわたしはなるべくキレイに解決するよう向きあおうとしてきました。
ずいぶん昔のことだし、わたしも子育てしたから分かるけど母は母の大変さがありました。
そしてわたしも子育てしたからこそだけど、子に八つ当たりする母の未熟さも感じました。
わたしはただその犠牲になっただけ。

それをキレイに終わらせたかったのは内観が始まってからの日々が好転してきていると感じていたからです。
話せるトモダチがいなかったわたしが深い話ができる友人に恵まれたときに思ったけれど、そういう人とつながれたということは世界は鏡だからわたしの人格もすばらしい人に見合うよう成長できたからと思いました。
だからこの、母を責めずにキレイに終わらせる方向が合っていると思ったんです。
そして数年後おなじように天然石みたいな清らか極まるモノに出逢った事実は、さらにその思考を深めたし自信を持ちました。
そんなしあわせな『今』になっていることで過去は癒やされていく。
これからは清らかな世界に存在しながら、このまま過去の不幸を許せていける。
この時点まででもう5年くらいは自分と向きあっていたから、天然石が与えられたことはもうじゅうぶんにつらさと向きあい終えて宇宙に認められたという知らせだろう、と思っていたんです。
これからは癒されるばかり。つらかった人生は終わり。
気を抜いてそう思いました。

だけどここからがさらなる始まり!天然石の清らかに匹敵するレベルの闇の掃除を求められたのです。
天然石の光を感じるほどに自分の心の、本当に奥底のヘドロになったところが見えてしまいました。
そしてわたしは生来の気質がかなりストイックであり、これからは清らかに生きたいと勇気を出して天然石の世界に入ったのだから清らかじゃないものは自分の心から一掃したいとわたしも本気で思いました。
思ったけれど、わたしは気を抜いてしまったから疲労感満載。ヘトヘトでした。
ヘトヘトだから天然石を見て癒されているのに、自分の本音がヘドロからどんどん出てくることに疲れてもいました。
もう半分過ぎた人生がだいなしだったのは母のせい!と心の奥底から叫ぶ日々。
返ってこない子ども時代を返せ!忘れてないで反省しろ!ってすごく母を責めていました。

その頃はなんとなく友人とも連絡が少なかったです。この偶然も偶然じゃないと思います。
アメジストを探し始めた日の夜にインスタグラムでFieldStonesの虹があるアメジストとローズクォーツを見つけた!っていうシンクロを興奮気味にメールしてからふしぎと天然石の話をなぜかまったくしなくなりました。
本当になんとなく、『天然石はわたしが見つけてわたしが進んでいく世界だから』と思って、そのときは友人と世界を分けたのです。
ケンカをしたわけではないのに夢のなかでは友人のほうから扉を閉められるほど夢でも現実でも疎遠になっていました。
友人には内観当初から何年もわたしの母への感情をたくさん話していたから、今のヘドロから出る重たくしんどい感情や増えた天然石のことも聞いてほしいと思いました。
そしたらそのタイミングで友人の人生は明るく忙しくなることが決定。
その知らせを聞いてわたしの暗く重たい過去の恨み話を聞いてほしいなど、場違いな願いと思いました。
ただでさえ真っ暗な心のタイミングに独りきりになってしまいました。
ふるえながら唯一救いを期待する人に、魂レベルで甘えや期待を見透かされたからいなくなってくれたのでしょう。
自分しかいない奈落の底へ落ちるしかないかんじ。
そんな感覚の時期にショップで出逢って毎日眺めていたのがピュアレイゴールデンヒーラーでした。

わたししかいない真っ暗闇に強制的に独り置かれたおかげで、わたしにはわたししかいないというあたりまえに気づかされました。
わたしがわたしの深いところを見ないから、わたしがわたしを見るしかなくなるように現実が整えられたのだと思います。
自分で見るしかないものね。
そういう厳しい愛の出来事。
いろんな人がわたしのためにいろんな役割を演じてくれているっていつも思います。
宇宙って、かみさまって、すごいや。

そんなことを時間をかけて濃厚に思いだしながら早朝の薄暗い光に石をかざしてうっとりする魂きらきらタイムを過ごしていたら、
『わたしとわたしの魂はこうしていつもいっしょにいる』
と声がしました。
そしたら見ていたピュアレイのポイントがふたつくっついた境目のところがほんのり虹色を見せながら、ひときわ強く煌めきました。
石と会話ってこんなふう!
それでこの流れのまま手帳を開いてリーディングメッセージを読み返しました。

FieldStonesより2023年2月
ピュアレイゴールデンヒーラークラスターからいただいたメッセージ
『あなたは今、澄み渡る空気と爽やかな風に包まれているような心地よい場所に辿り着きました。
そこに差し込むキラキラと輝く光。
その光を浴びて魂を輝かせてください。
時には雲に覆われる事もあるかもしれません。
けれどそんな時はどこからともなく風が吹き、その雲を吹き飛ばしてくれるでしょう。
その時に『このまま雨が降って来たらどうしよう』と思ったらそれが現実となります。
いつも白く輝く光に守られている事を忘れないでください。』

そうそう、って手帳を見たことでまたたくさん思いだしました。
あのとき石を迎える前に、もうじゅうぶんに自分の過去の愛されなさや自分の醜さや現実無力な主婦であることなどを直視し、じゅうぶんに再びキズついていました。
わたしほど自分と向きあっている人もなかなかいないと思っていました。
もうじゅうぶんがんばった。
だからここからは天然石の清らかさを光としてキズを癒していけるのだと本当にチカラを抜いて、もうがんばらなくていい、って思っていました。
キツイ子ども時代からつながる困難に満ちた現状と向きあったから今からはご褒美として人生がまた好転し、これからは癒されるのだ、と本気で期待し、天然石と生きる新しい展開に甘く希望を感じていました。
だから天然石を持ったことで心の清らかやすなおな資質が増して、良くも悪くも素の感情をありのまま浮上させてくる事実に『わたしはまだまだ向きあうことが残っている』と思わされるのは絶望を感じました。

今までも悲惨だったのに今からのぞくヘドロはもっと悲惨なことは確定。
かみさまどうして、わたしの人生はつらいことが終わらないの?
救われないの?わたしは安らかに生きられないの?
と思いました。
心身限界の年月を過ごしてきたのにこれからさらに奈落の底に落ちて、わたしは心壊れずに再生できるのだろうか。
ヘドロから這いあがれるのだろうか。

この厳しい選択は選択なようでいて選択ではありませんでした。
わたしは奈落の底に落ちるように決まっていると思いました。だから友人と離れる現象となる。
ここから逃げれば今までとおなじ世界のなかで最善にマシなカタチに生きるだけ。
この次のステップへ向かうつらさから逃げるようにFieldStonesのショップをいつも眺めてピュアレイゴールデンヒーラーを見て現実逃避していました。

石に現実逃避する。
それは現実を見れていないからダメかもしれないけど、必要な一時、そんなときがあったっていい、って思います。
それは心の避難所。サンクチュアリ。そこで自分を立て直し、無意識に整えています。

あの奈落の底を前に絶望していた時期に天然石が傍にあってよかった。って今ふりかえっても本気で思います。
心折れても魂はそんなに悲しまないんだけどね。
魂はこの心折れた絶望や悲しみも含めて体験と感情を味わいながら見守っています。
今世の試練を体験しているというだけで、心が折れたままでも長い長い魂の目で見れば必ず成長の道を歩み上昇していくのが魂の道だから、今世、心が折れたって、ある意味それも意味がある挫折。
成長の体験を順調に歩んでいる人生なんです。
だけど宇宙は、かみさまは、何度もチャンスをくれます。
ワザとのように心が折れる出来事を起こすけど、それはどんなときも自分が愛や光を思いだすように訓練してくれています。
光を見失わないか、その言動の試験なのです。

現実逃避しながら見ていたピュアレイゴールデンヒーラークラスターが欲しくてたまらないのに、この石が美しすぎて!
そしてわたしはひとりきりなのにこの石は美しいポイントがふたつ寄り添っていて、わたしと違いすぎました。
欲しいのに、なんてわたしに不似合いな!って、メンタルボロボロに落ちたわたしはさらなる葛藤にまみれて夜な夜な泣いていました。
そして当時この石はショップでかなり高額の石でした。
最高に高くて『芸術的に美しい』とまで評価された石を
『こんなわたしが買ってはいけない』
『もっと美しい人、もっとすばらしい人にふさわしい』って自分に言い聞かせていました。
言えば言うほど自分がグサグサキズつくのだけど、その葛藤にまみれていました。
真っ暗闇に追い込まれて独りとなり、この美しすぎる石を諦めるように違う石を買おうとしたら『ゴールデンヒーラー!!』と夢のなかで言われました。
でもわたしにはふさわしくないもの。と思いまた翌日泣きながら眠ったら、夜中にユメノナカノヒトに『それは違う!!』と一喝されました。

その声に目を開けて、わたしのために本気で叱ってくれた、と思い、心がしっかりしました。
それくらい愛を感じる声でした。
こんな声で親に叱られたことないな、と思いました。
わたしには『夢』とか『こういう存在』がついている。
こういうヒトたちがいるから身内や友達がいないのかも。
こんなわたしは、どんなわたしか。わたしにも分からないけどわたしはこのわたしを生きるしかないんだよな、と清々した意識で思いました。
でもこんなに弱ったまま、道も見えない奥底に落ちることは不安でもありました。
その未踏の真っ暗闇を行く心の不安にふさわしい拠り所となる光を!とまともな理由を見出してやっと迎えたのがこの石でした。
手に届いて涙した石。この葛藤と踏ん切りにふさわしい値段、そして美しさでした。

ここからまたすべてを捨てて、なるようになれ!と意識を新たにしました。
なるようになるしかないし、なるようになるってどうせ決まっている。
そんなふうに潔く清々しく意識を変えた石でした。

そのあとにいただいたリーディングメッセージなんですよね。
すべてを分かって言ってくれている気がしました。
再び載せます。
『あなたは今、澄み渡る空気と爽やかな風に包まれているような心地よい場所に辿り着きました。
そこに差し込むキラキラと輝く光。
その光を浴びて魂を輝かせてください。
時には雲に覆われる事もあるかもしれません。
けれどそんな時はどこからともなく風が吹き、その雲を吹き飛ばしてくれるでしょう。
その時に『このまま雨が降って来たらどうしよう』と思ったらそれが現実となります。
いつも白く輝く光に守られている事を忘れないでください。』

光に照らされてきもちいい場所にわたしは立っている。
光に照らされているぶん影が濃く浮かび上がる。
しかしまた影があるから光も煌めきも感じられるのでした。
そのときはそんな映像を思い描きました。
未踏の闇の領域に踏み込むわたしに、どんな意識でいたらいいか、こんなときはどうするか、を示してくれた厳しく優しいメッセージ、と思いました。
そして、いつもあなたは光に守られている、と言ってくれたメッセージ。このタイミングで本当に救いの言葉でした。
それからのわたしをずっと支えてくれたし、わたしが自分に起きるふしぎに対する確信を持ちました。
自分の人生に魂のレールがあることをわたしは既に理解していました。
そのレールにはわたしを取り巻く存在たちがいることも分かっていました。
ふしぎな夢から再会した友人や、ユメノナカノヒト、導かれた天然石、占星術もだけどだれかがわたしの人生を真実に『より良くなる』ように向けてくれていると感じていたからリーディングメッセージの内容がすごく理解できました。

あぁ、わたしはよく分かっているのです。
この魂のレールにいるならこれから落ちる奈落の底へも自分に必要だから起きる道なのだと分かってる。
これを現実に話す人間はいないけど、わたしは人間よりも、わたしのまわりにいると感じる存在や大きな世界を信じている、とはっきり思いました。

このまま救われるかと期待した甘い世界のままではわたしはありふれた柵のなかでなんとなく生きて死ぬでしょう。
だけどわたしはそれを望まない。すなおな心は自己理解を深めます。
わたしに起きるふしぎな導きはなんのため?
この向こうにはなにがある?
わたしはふしぎなことがだいすきです。自分を知りたい一心で、清水の舞台ならぬ奈落の底へすべて手放し自ら落ちました。
確かにあるのはわたしと夢と天然石と占星術。わたしを導くこれらだけがわたしの一体となっていました。

苦悩のなかにあった『自分の国』など未練なく捨ててヘドロに飛び降り、それまでの『わたし』は消えました。
これ以上心が壊れてどうなったって、そのときのわたしはまた戻りたいようなわたしでもなかったからかまいませんでした。
それから現在まで1年以上過ぎて、内観の体感としては落ちた奈落の底から這い上がることはなかったです。
奈落の底に溜まりに溜まった感情のヘドロがありすぎて、すべてと向きあううちにヘドロの底まで辿り着きました。
内観に夢中で気づかなかったけど気づけば闇が明るくなっていることに気がついた、というかんじ。
奈落の底から這い上がるのではなく、奈落の底をわたしは自分でさらに掘っていきました。
そしたらどんどん明るくなる底の向こうに光を感じました。
どんな世界、どんなわたしと出逢うか分からないけど、そのまま進むことは覚悟という名の生き直しのカケでした。

結果、一見変わらぬモノや人がいる、と思うようなよく似た世界がまたあるんだけど、わたしが別人のようであり、まわりにいる人も別人のよう。
新しい国に来て、人間関係も新しくなりました。
今までいた世界では起きるはずもなかったような、わたしの本が出版されるとか!いっしょに本を書くような『仲間』といえる存在に実際に逢うとか!
本当に別世界に来たと感じる出来事がたくさん起きています。
わたしは覚悟を決めて清々としていたから怖れがかなり無くなったんですね。
開き直ってきていました。
こんなことを言うとアタマガオカシイと批判されるかな、というような夢の話や自分に起きるふしぎなことも、ただそのままを、もっと遠慮なく書くようになりました。
アタマガオカシイと他人に言われたって、これはウソが無くわたしの真実だもの。
真実だということはわたしがいちばん知っているのです。
その自己信頼が自分との一致を進めたと思います。

奈落の底がある、と思い自分を救うために落ちることこそ自分が自分をアタマガオカシイと自信がなかったその不信を押し退けて、自分と自分がつながる信頼を示す手段だったと思います。
わたしの場合はこの闇を超えて、本当の自分が自分らしくいられる世界に移動できたと思っています。

みんなはどお?
天然石と出逢ってそれまでの現実がさらに崩壊するというような、一見前より悪くなったと思うことが起きたでしょうか。
天然石は厳しく深く優しい愛を持って現象を見せてくれることがあります。
身近な人が去っていくかもしれない。仲が悪くなるかもしれない。
病気になるかもしれない。
会社をクビになるかもしれない。
自分の世界が崩壊するかもしれないけれど、それぞれに起きる現象が、自分の愛の魂ではないところを見せて壊してくれる現象って思います。
愛の魂に戻るため、大きな世界の大きなチカラが全力で助けてくれているのです。
とくにくりかえし起きる似たようなことには客観的に注目して、現象を眺めてみてくださいね。
なにが起きているか、深層の真実は自分にしかつかめませんから。

違う国に行ったような変化なんて大げさと思われるかもだけど、自分が変わるほど別世界の現実が現れます。


 
 
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