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第一章なぜ内観をするのか2

内観のやり方

第一章なぜ内観をするのか2

『自分にとって間違いない光になるため』

内観はからっぽになるまでするといいと思います。
なぜなら内観をやることに意識が向く人は現状がうまくいっていないとかなにか問題を抱えています。
内観により問題の根本から解消するのが本当の解決になり癒されることになるからです。
だから心の内側を隅々まで見るのです。

現状は今、心のなかにあるもの(良いも悪いも含むすべての感情や記憶、出来事)でできています。
今うまくいっていない、なんとかしたい、と思っている原因(過去の行動や思考のパターン)も、今思い当たらず忘れているものを含めて心の奥底には存在しています。
ここを目指して深掘りを続ければかならず原因の根っこを掴めます。
それを引っこ抜くのです。そしてその根っこも眺め回します。
そうすることで、その根っこから育った『歪んだ価値観』に気づき、消滅します。
そうすると今までの物事の感じかたや思考や判断のパターンに貼り付いていた歪みに自分で簡単に気づくようになります。
そしてこれからは歪みのない自分に合った正しい判断をしながら行動できるようになります。
この新しい自分のパターンが新しい自分の価値基準となり新しい人生を創りだします。

歪んでしまう原因となるものはつらく悲しい記憶が多いです。
忘れたままのほうがよかったと思うほど思いだして苦しくなりますが、その埋もれた記憶が根っことなり今までずっと生きづらいわけなので原因を知ることは必須です。
内観をせずにやり場のない生きづらさを、買い物などで憂さ晴らししても原因がそのまま心に居座ったままでは心が晴れることはないから意味がないと思います。

自分をじっとりと重たくさせている自分の心の内側にずっと持っていたいですか?
一生をともにしたいでしょうか。
こうして意識して読んでみると、それはとてもおかしいでしょう?
もう、解放されましょう。
自分をもう苦しめないでください。
大事でもないモノに暗い影響を受け続けるのをやめましょう。これらは愛ではありません。
散らかった心のなかを一度からっぽにして見直し、掃除しましょう。

からっぽになるまでどれくらい内観をすればいいかはだれにも分かりません。
これまで生きてきた年月にどんな出来事を経験したか、どれだけ自分を知ってきたか、それぞれまったくちがうからです。
なににどれくらい強くとらわれているのかも自分にしか分からないです。
他人には分からないです。深刻さは伝わらず、そんなの気にすることじゃないよって言われがちです。
内観はこういうまわりの声を超えて自分の本心に耳をかたむけます。
結局、自分について正しく思い考え感じられるのは自分だけです。
内観は自分にしかできない。自分が自分のためにやることです。

そしてわたしが伝える内観は、くりかえし言うけど『愛の魂に戻る内観』です。
自分自身に愛を見出し、自分のことを心から愛して生きていけるようにって思います。
からっぽになってなにも無くなるのではありません。
体験すると分かりますが、心を掃除するほど自分のまんなかにある魂からあふれるあたたかな愛を感じます。
内観が進むほどに自分の持っている良さにもたくさん気づくことになります。
それらが自分を支える光になります。
そしてこの世界にのびのびと居心地よく存在できるようになります。
お日さまに向かって顔をあげて、にこにこ笑えるんです。
そして自分が求める本当のしあわせを追求します。
そんなあたりまえの健やかな思考に変わり、愛と光に満ちて自分が一変するのです。

魂は光輝いているのですが自分の内側に光を感じますか?
魂と自分のあいだを隔てている余計なモノや考えかたを手放していくと心が澄んでいきます。
星が見えない、と思う空にも目が慣れると星が無数に煌めくのが見えるようになるように、魂につながる自分らしさの清らかな光がたくさん感じられるようになります。
心が澄むほどに光だらけになっていきます。
これがなににも影響されていない純粋な自分らしさと一致する自分だけの『間違いない光』です。

試行錯誤しても大丈夫。すべての過程に自分を発見するという意味があります。
思うままに思い、たくさん感じてください。
引っ越しをするとき持っているモノをすべて選別するように徹底的に心のなかを見てください。
生まれ変わる本気と覚悟を持って、からっぽになるまで内観をやってほしいです。

憧れに憧れ、何年も遠回りして気づいたわたしの話です。
わたしは親と仲良しな人に本気で憧れます。だから自分もそうなりたいとすなおに思い目指しました。
常識的にも親をたいせつにすることはあたりまえだからそのことに迷いが無かったです。
それまでは親に電話はしないし、メールもほとんどしないです。自分からもしないけど親からもほとんどありません。
そんな親子の現状だけど親はともかく、自分が理想的に変われば関係が変わっていくと思いました。
メールをしてみたり、贈り物をしてみたり、あたたかな親子関係をこれから築いて、今から未来を変えたらいいって思ったのです。

むかしのことはわたしさえいつか忘れたらいいと思っていました。今がしあわせになれば過去は勝手に薄まると信じていました。
でも心の掃除がある程度までしかできていないので、根っこからフツフツと怒りを含むモヤモヤした想いが沸きあがります。
自分の内側が、良いムスメになりたいわたしと、親をまだ許せないという非情な人と、分裂していました。
そのうち親に会うたび毎年熱が出るようになりました。
わたしはこのパターンについて冷静になり考えました。
憧れても、常識でも、正しくても、『合う合わない』があるかもなぁって、思いました。
わたしは仲良しな親子関係に縁がないのかもしれない。
常識や理想から離れて考えないといけない。
それは悲しい気づきでした。
理想的な親子関係の人は当然ステキですばらしいです。
心底うらやましいけど自分について冷静に観察し理想をあらためて考えると、仲良し親子にはなれないかもしれないけれど、親をふと思いだすときに、その想いに憎しみや悲しみや怒りが含まれない関係がわたしの理想だと思いました。
知らない人がこんなわたしを知ると、いつまでもむかしのことを許さずに親に何年も会っていないなど非常識で親不孝者だ、と言われるかもしれないけど、わたしは今、親から距離をとって離れているから心が徹底的に澄んでいられて、おかげで親を想うエネルギーがきれいになったと思っています。
生んでくれたことに純粋に感謝をできています。
これもかなりしあわせなカタチだと思っています。

理想や常識ってすばらしいけど、人それぞれ生きてきた過程が違うので、その背景を思いやらないといけないって思えてわたしはラクになりました。
問題のない人に合わせるから苦しむ。押しつけてもいけないし、目指さなくてもいいんです。自分の感覚と判断こそたいせつにするんです。
そうやって常識を超えてちゃんと自分がまんなかにいて思考することに目覚めると、人に決めてもらおうとか、だれかに聞いて決めるとか、世間一般に合わせるとかが無くなりました。
物事のとらえかたが変わり、自分の人生を自分の価値判断で決められるようになりました。

人それぞれの現状のカタチに事情や背景があるのだ、と自分の体験を通して理解できるとわたしは人それぞれの考えかたやそれぞれが持っている正しさを尊重できるようになりました。
人は人の人生を生きて、わたしはわたしの人生を生きています。
考えかたを押しつけあわず、自分の人生に集中し高めるだけです。

そして凹凸を思いました。
親を許すというけっこう大きな根っこを抜いて解消されてもできないことはあります。
わたしはやっぱりまだ親には会わないし、進んでだれかに会おうという積極性も無いです。
現状はパッと見そんなふうだけど、内面はすごく変化しました。
自分の内側にもともとある『自分にできること』の原石を磨いていくことに価値を見出し、光らせることにすごく意欲が出ています。
自分なりに自分らしく人と関わろうと思い、わたしと話したいという人と話すということを始めることができました。
自分なりの豊かな関わりかたを考えた結果です。これはかなりの勇気が必要だったけど、自分の光を信じた結果の心境の変化なんです。

そして自分に欠けたことを認識することでだれかに助けてもらうありがたさに感謝して生きることになっています。
わたしは人混みが怖くてまだ遠くには行けないです。家のまわりから少しずつ慣れて、今では楽しく散歩ができています。
こんな状態のわたしがいるところまで、わたしに逢いにきてくれる人が今はいるんです。
こんなこと人生で初めての体験でした。
自分が思うよりも深くこの出来事は特別な意味を持ちました。
このうれしい体験が数回続いて気づいたのだけど、結婚してから親が一度もわたしに会いに来てくれていないことが引っかかっていたのだと、その寂しい悲しさをわりと深く抱えていたことに気づきました。
なにかのたびに、今度そっちに行くからって言葉だけはずっと言われたけれど、いつしか言われるたびに心ない言葉として受けとりキズついていました。
わたしと親との距離感が、すでに仲良さとはかけ離れ常識的では無いってことがあからさまになりました。わたしだけのせいでもないって思います。
そんな親子だけど今、親と『仲が悪いのか』と言われたらふつうだと思うし、わたし的には今まででいちばん愛が澄んでいるとはっきり思います。
この実感にも本当に感謝します。
悲しみや寂しさの穴は今の自分の光を磨くことで埋められていきました。

この感謝により、世の中の基準に合わせるのでは意味がない、と思えました。
世間の価値観の押しつけや比較で苦しんでいる人へ。
人は人で、自分は自分です。
自分がいちばん最高に穏やかにしあわせにいられるように心を整え、しなやかな強い自分軸とします。
ここに『自分だけの間違いのない光』が発生します。
人に助けられて癒されて、そして自分も自分のできることを惜しみなく差しだす愛あふれる魂になれます。
そうして愛に満ちた魂の世界のとてもたいせつな循環の輪に入ります。
ここに、血筋やしがらみ関係なく、真の自分の居場所がありますから!
苦しみを超え、愛の魂に戻り、間違いない光となり自分らしく輝き生きていく。
この深い喜怒哀楽の過程すべてが魂が体験したいこと。
それがこの世に生まれた者の、世代も国も関係ない魂の永遠の想いです。
今たくさんの人にも気づいてほしいし、後世にも伝わり続けてほしいと祈ります。

  

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