第一章なぜ内観をするのか3
『根本的治癒を目指すため』
わたしが何年も内観をして大きく変わった意識があります。
それは自分をたいせつにするということです。
すごく根本の、重要な意識の変化だったと思っています。
内観を振り返っても思うのですが、『本物の治癒』をさせるモノが本物って思うんです。
表面の症状に対してそこに塗るクスリも効くだろうけど、症状をくりかえす場合にはその内側のもっと深くの原因や、全体を見て歪みを取るなど痛みの根本を無くしてしまうことがたいせつです。
お医者さんなら患者さんが自分で自分を整えられるよう惜しみなく教えて、症状をくりかえさないように指導する。
お医者さんやクスリに依存させないようにもする。そして患者さんが本当に健康になり自立していくって思います。
それは大変だけど、自分なら総合的な視界を持って自分の思考のクセや歪みに気づくことができます。
だれでも他人には少しでも気をつかうのに自分に対してはけっこうバッサリと思考の言葉でキズつけがちです。
自分にだけ厳しくすることも愛ではないと思います。
そういうことが自分に対する態度に現れると思います。
今回は自分をキズつける思考や行動を手放して、これからは本当に自分をたいせつにするという愛に目覚めて変わってほしいと思い、話します。
あなたはカラダをたいせつにしていますか?
どうしてこんな質問をするかというと、心をたいせつにできていたらカラダもたいせつにできていると思うからです。
ぜひ客観的に自分を見てください。
そして自分がなにをどう軽んじているとか思考のクセや歪みに気づいてほしいです。
健やかであれば、問題なく自分に優しくできているし、たいせつに労われています。
たとえば風邪をひいたら熱が出たりノドが痛くなったり咳が出たり、一回の風邪で1週間以上しんどくなりますよね。
症状がひどい日はちゃんと休めていますか?
よく風邪をひく人は年に何度も風邪をひきます。
それって年間にすると毎年1ヶ月以上風邪をひいていることになります。
一年は12ヶ月しか無いのに1ヶ月以上も風邪でしんどい日々だとは、そう考えるとすごくもったいないって思うんです。
しかも風邪以外にも、疲れとか、寝不足があります。
女性なら生理や生理痛や排卵日などのだるい日が増えます?
更年期は10年くらい続くそう。歳を重ねると体力は減ります。
人生で体力があってお金があって自由で元気なときって自分が思うよりもかなり少ないと思います。
元気な日を増やしたいですよね!
腰痛も日常的にありふれています。
腰痛の人は姿勢を見直さないといけないけれど、痛みがあるから姿勢良くできません。
痛みっていうのはカラダが悲鳴をあげている状態だと思います。
軽いうちに休むのがいちばん良いのですが、腰痛もなかなか決定的に重症になるまで我慢して休みませんね!
そしてそのうち悪化して、コルセットをつけていつも痛み止めを飲んで、マイ松葉杖をついて必死に家事育児して、畑仕事までしてある日右足が燃えるような痛みに包まれてマヒしました。(これはわたしの実体験です)
感覚が無く重い足を引きずりながら腕のチカラで床を這う暮らしになり、そんなふうに寝たきりになるまで止まれませんでした。
そうなるまえに、どうしてふつうに休めないんだろう?
って、これは内観をするようになる随分前の出来事だけど、内観を始めてから非常に鍵となるわたしの思考パターンの根っこが隠れていたのでした。
精神的葛藤を解消する内観の話にどうして風邪や腰痛の例え話が関係あるかというと、どうしてカラダをたいせつにしてあげられないのか、と向き合えばそれは『心の問題』になるからです。
自分を本当に愛していたら自分のことをたいせつにできるはずです。
よく風邪をひいてしまう生活習慣を改めるだろうし、痛みがあればちゃんと休むでしょう。
寝不足なら眠る時間をとるでしょう。
そうしないのは自分にだけ厳しくしたり、自分というものを軽んじているから。
そして思考が無自覚に歪んでいるので休まないし、休んだらいけないって思ってしまっています。
風邪も腰痛も一般的すぎて、みんな休まずそんなものだっていう軽視が治す意識をさらに低くすると思います。
内観にもつながる心のストレスもそう。ストレスってみんなあるから放置しがちです。
カラオケなどで発散しても原因が解消されずそのままなので発散にはなりません。
たいせつな人が目の前にいてしんどそうなら、カラダを大事にして休んでねって言いますね。そこには愛があります。
では自分に愛を向けると自分にはなんて言いますか?
なにも言わず素通りしたり、だいじょうぶ!って言ってもっと働かそうとしていませんか?
咳や痛みやカラダの表面に分かりやすく症状が出るものはまだ分かりやすいって思います。
心はふとしたきっかけで悲しいことや怒りがこみあげます。
そのとき心は思うだけだから血も流れないしカラダが痛むような痛みは無いけど、心も痛がり炎症が起きていると思います。
見えないから放置され続けて手当をしないから、カラダに見えるキズよりも炎症が深くひどくなっているかもしれません。
病気が治ったらカラダが軽いですよね。
なんでもできる気がして、感動するほどごはんはおいしいしいつもの日常が楽しく明るくなりますね!
その『軽くて明るい』状態が本当はふつうなんです。
その軽やかな日を増やすことはそのまま人生の質を高めて良くすることにつながります。
それは人生を変えてしまうほどの明るいエネルギーになります。
心も、心のなかから痛みや悲しみなど重たいストレスを癒したらすごーく軽くなります。
休めないという心理的な問題を解決しないと腰痛は本当には治らないみたいに、自分にとっての原因を知り、それを根本から無くすことがたいせつです。
わたしが松葉杖をつくほど腰痛がひどいのに休めなかったのは『役に立たなければ自分に価値がない』と本気で思っていたからでした。
夫と農業をしていました。わたしだけが従業員であり、必要とされて誇らしかったのです。
わたしはその意識が過剰でした。
自分の存在に自信が無かったんです。
だから異様に貢献するきもちが強かったです。
ふたりきりの仕事で夫も休める状況ではありませんでした。なので夫に助けてもらうということもぜんぜんできませんでした。
休日も無く働き詰めでしたが、献身的(犠牲的)誇らしさが満タンでした。夫のために!って良いツマだとも思っていました。
このときのわたしは心が病んでるなって思います。
自分をまったく愛せていないし、大事にできていなかったです。
自分に愛の矢印を向けた内観の果てに、そういうわたしの病んだ思考を見つけて向き合いました。
いつもいつも、行き着くところに幼いわたしと母がいて悲しいのですが、ムシするのをやめてほしくて、わたしはこんなにいい子だよって、進んでお手伝いをして役に立つアピールを必死にしていました。
それでも母は変わらなかったし、姉や妹はお手伝いしなくても母といっしょにいて笑い合っていました。
どれだけ役に立ってもわたしはふつう以下っていう思いこみが生まれました。根っこはそこにありました。
今は疲れたらあたりまえに休みます。そのほうがいつも明るい自分でいられるし、それはみんなのためになると分かりました。
何年もかかりましたが杖もコルセットも捨てることができて、ふつうに歩けるしあわせがあります。
ねこと暮らしているのですが、ねこに対して居心地よさを考えてあげるように自分に対しても慈しむ感情を持ち考えることができています。
そうすると心もまったくムリをすることが無くなりました。
家庭の雰囲気がふんわりゆるりとなりました。
わたしが休んだり遊んだりしていると家族が喜びます。
それで良かったんだなぁ、と思いました。現実が優しい世界に変わりました。
特徴的な症状がもうひとつあって。
内観を始めてから、春になると2ヶ月ほど顔が真っ赤に腫れて熱を持つようになりました。
24時間異様な痒みと顔の熱さにとらわれて究極にイライラしました。
イライラするとその感情で余計に熱くて痒くなるという悪循環に翌年気がつきました。
そう気づいても痒さの質が強すぎてなかなか心をおだやかにはできないんだけど、それでも心を平穏にするよう他のストレスを減らす環境作りを本気でしました。
いつも2ヶ月ほどでふしぎに治るので、これはいつまでも続かない、と安心する方向の思考も意識しました。
2023年のときにはストレスがかなり無くなっていたので腫れも痒みもひどかったけどいちばん穏やかに過ごせました。
今までと違い、傍に天然石があったからです。
石のすべすべしたところを顔にあてて冷んやりと冷やしてもらいました。
痒みにとらわれる心もしずめてくれました。
心身同時に癒すという、こういう治癒をわたしは心から信じているなぁってまた自分らしさに気づきました。
このときには内観がかなり進んでいたので、自分が人に会えないほどのレベルで顔のクマを気にしていることを自覚していました。
皮膚炎のときは顔中ヤケドしたみたいに真っ赤っ赤になるのでクマも赤くなり、逆に目立たないんですね。
それがふしぎで鏡を見ながら、クマが無いように見えるならこの真っ赤な顔のほうがいいなぁ、ってふと思いました。
クマを指さされて、死人みたいって言われるよりは真っ赤な顔のほうが死人みたいではないから、おなじ指さされるならこの赤い顔のほうがいいなって思うんです。
けっこう本気でそう思い、それで気づきました。
わたしが、わたしのいつもの通常の顔を自分でどれだけ嫌っているか、ということ。
この、顔半分ヤケドしたみたいな真っ赤っ赤の状態もかなりひどいのに、それより日常の顔をもっとイヤだと思ってる。
天然石と過ごすようになり心がより一層すなおになったわたしは、それは自分に対してすごくひどいなぁ、すごくキズつけているなぁ、という自覚もまたすなおで、ものすごく泣きました。
自分の顔に対してそういう見方をしている心に気づかせるために、特徴的に顔に炎症が起きたんじゃないかって思うほど、心の奥底の深い歪みの解消につながりました。
いろんな話をしてみたけれどどうでしたか?
あなたは自分の心身を本当にたいせつにできていましたか?
内観の話の早々にこの話をしたのは、自分が自分をどんな扱いをしているかを早めに知って直すと、内観がこじれにくくスムーズに進むと思うからです。
直したと思ってもそれは主観に基づくので、内観が進むほどにあとから無自覚な歪みがまた出てきます。
天然石がいっしょにいてくれると、その歪みにも気づきやすいし、正しく愛のほうに意識を向けてくれると思います。
心の奥底から健やかに整うと自分を本当にたいせつにするでしょう。
カラダは魂の入れ物で今世の自分の器ですから、自分の命をたいせつにすることになります。
たいせつにたいせつに扱っても歳をとっていくものだから、いつまでも元気なように労わることは必須です。
見えないけどいつもあたりまえに動いてくれているすべての臓器にも感謝します。
心が変われば在りかたが変わり、在りかたが変われば現実が変わります。
心って重要です!
心の病んでいる部分を治癒させて、健全な心の土台を築いてください。
そして歪みなく自分に優しく向き合ってください。
その心で過去に向き合ったとき、過去の出来事の受けとりかたの感覚がこれまでとは変わってくると思います。
自分を責めていたなぁって気づいたら、自分をぎゅーっと抱きしめてください♡
たいせつな人を想うみたいに、いつだって自分にも優しくしてくださいね♡
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