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第二章内観を進めるポイント2

内観のやり方

第二章内観を進めるポイント2

『思っていることを言葉にしてみる』

だれにも話したことがない胸のうちをぽつりぽつりとでも言葉にしてみることは、胸の奥深くに溜まりに溜まり複雑にこんがらがり一体化した記憶をほどくことになります。
それはたいへんな作業ですが、もしもだれかに話そうって思ったら聞いてくれる人に伝わるように文章を組み立てますよね。
出来事を順番に並べることも意識します。
分かってもらおうと説明する過程で自分でも出来事を客観視しながら整理することにつながります。
なにが起きて、どうだったか、まわりの景色やその日食べたごはんまで思いだすかもしれません。
それくらい記憶って、忘れていて埋もれながらも意識の奥にあるんです。

それを言葉にすることは気力も体力も時間も必要な重労働です。
心の奥底から自分の抱える問題を取り出すんです。これだけでもすごいことです。
だから少しずつでもかまわないです。
わたしこんなことで苦しんできたってこれだけを言えるだけでも吐きだせているし自分の心に共感しているので心がほどけて軽くなります。
核心にいる自分が聞いていて、安心するんだと思います。
それに、書いてみて、書いたものを今の自分が客観的に読んでみる。
そうすると、どこがどう自分のキズだったか、ちょっと離れて冷静に眺められます。
これが目的です。

話したり書くときには自分にウソなく、すなおに本当のことを言葉にすることがたいせつです。
本心を言うっていうのは自分が自分に分かってもらえたっていう安心を自分に与えるので、本心と一致したことを言葉にするということをいつも意識して自分の記憶や感情を言葉にしてほしいと思います。

わたしは自分の抱えてきた精神的葛藤について『石たちに導かれて体験編』にかなり書き綴ったけれど、書いた内容より細かな記憶が出てきて書きながら苦しかったです。
今はもう建て替えられて違う家なのだけど、育った家のモノに圧迫される薄暗いかんじやいつもお手伝いで掃き掃除していた玄関のタイルの溝とかを思いだしました。
あの家に暮らしていたときたくさん泣いてつらかったなぁって思いだして、あらためて泣きながら書いていました。

でも、書いてよかった!って実感することがあったんです。
最初にも書いたけど、記憶を言葉にし直すことによって記憶がほどけたんですね。
ほどけるまえはそれは一個になってしまった『ひどい過去』『最悪な育ちかた』という塊の認識でした。
だけど生きづらさそのものな精神的葛藤と本気で向き合うべく吐きだしたのでほどけていく記憶の内容はなまなましく再び血が流れるようなものでしたが、記憶がほどけるうちにそこに飲みこまれていた『つらくなかった』ことも思いだしました。
それまで振り返りもしなかった過去。憎々しい怒りや悲しみの塊だったけど、祖母が育てていた庭の花々が本当にきれいだったことが胸に広がりました。
その色とりどりの花たちから記憶の視線は空に向いて、いつもスカッとよく晴れていたこと、夜はいつも星がきれいだったことを思いだしました。
そういうことを忘れていたけど思いだせてよかったと思いました。
それまでは薄暗い室内の記憶が主だったけど、徹底的にふりかえり言葉にしようとしたからこそ過去に光が見つけられたと思います。
癒されました。

ほかにも、わたしはモノといつも話していたのだけどそれを親に言うと、嘘をつくなと言われて口をひねられ叱られました。
わたしは自分でも自分のことを頭のおかしい子だと思うようになりました。
でも、わたしはわたしを隠さず生きると決めました。
その覚悟を含め、自分の真実にこだわり、ウソなくありのままに書き綴った本が出版されて何人もの人に読んでいただき、うれしい感想をいくつも伝えていただきました。(ありがとうございます!!)
そのあたたかな言葉たちがわたしの過去に愛を送り過去から癒してくれました。
その癒しの実感を持ちながら幼いころの自分をさらに振り返ると、わたしはモノと話しているときが楽しかった、と明るく思う日が来ました。
話す人はいなかったけど話すモノやかみさまがいたから寂しさも少なくいられた、と自分の変わったところや惨めになりがちな寂しさを隠さずに肯定的に思うことができました。
そこにのびのびとした本当の自分らしさがあった、と発見しました。
叱られて長年フタをしたけど、振り返ったおかげで新しく気づき、記憶を超えてまた光に変えることができました。
わたしのなかでモノと話す記憶はわたしらしさの原石のようなたいせつなストーリーになりました。
このわたしをたいせつにする、とはっきり思いました。
これはわりと最近に実感した癒しでした。
わたしの話をあたたかく読んでくださったみなさんのおかげです。ありがとうございます。

あのころ、子ども時代のわたしのことを、今40歳代後半のわたしが俯瞰することに意味があるって思います。
子ども時代じゃなくて20歳頃にできた葛藤だとしてもそれから生きた年月分自分の人生経験が積みあがり、精神がオトナになっています。
精神的葛藤にとらわれて生きてきたけれど、この生きた分だけそれなりに心をタフにできているんです。
だってね、『あれから』いろんなことがあったでしょ!
たくさんの人に出会ってきてぜったいにいろんなことがあって、その体験で自分は鍛えられています。
知らず知らず自分の心は器を広げられているんです。
価値観も多様に備わっていることでしょう。
その今の自分が過去の自分を見て、そのつらさや苦しさがなまなましく蘇ったとしても、今の自分には『受けとめ超えられる』器が育っている、と自分を信じてほしいです。
さまざまな体験を積んできた自分には、過去をまた違った感覚で受けとめ直せます。
そのぜんぶを総動員して自分を隅々まで癒し、救うんです。

書いたり話したりして自分の心から想いをどんどん出していくだけで、とらわれていたことが整理されてすっきりとまとまってきます。
向き合うべき事実が見えてくるだけで自分で驚くほどオトナの自分が俯瞰してくれます。
あとは自分のタイミングで心がおだやかなときに向き合うといいです。

どうしても自分では過去の見直しができないとき、この人なら、という人に話を聞いてもらうといいです。
話すと心がほぐれたり、心が明るくなり、軽くなるような、愛の言葉を使う愛の魂の人がいいです。
そういう人を見極めて、自分の魂がピンとくる人に聞いてもらってください。

そうすると、いつもそう言ってるねって自分では見つけられなかった自分の思いかたのクセのようなものに、他人という存在は気がつきやすいです。
自分は記憶のまんなかにいすぎて思いこみが強すぎて見えないことを、人はまわりから見て気づいて教えてくれたりします。
人に話すのは勇気がいりますが、だけど内観は人と関わることで気づきが訪れ一気に進むことがあります。

しかし基本は自分のことは自分が話して(書いて)自分が聞いて(読んで)癒すんです。
言葉にし始めるとその糸口から言葉があふれだすと思います。
わたしが思うにはこの感情の噴出がだいじです。
あのとき胸に抱えてしまい出しきれなかった想いが、奥底に溜まっています。
これが自分をいつも重たくさせるし、しあわせになりたいって思いながら自分をしあわせにできなかったり、諦めたりしてしまっている根っこになっていると思います。
だからこの感情も感じるまま感じて、出してください。

わたしはインスタグラムに書き綴ることを始めてから、文章とは関係ないけど、単なる見た、という『いいね!』ではなくて、ちゃんと読んでほしい、って強く思いました。
読んで無さそうな『いいね!』は心無い気がしてインスタグラムを始めた数年はかなり腹を立てていました。
この怒りの根本に、なんとなく自分の子ども時代を思いだすことが増えたんです。
そこに向きあうと、『ちゃんと』自分を見てほしい、っていう欲求があることに気づきました。
カタチばかりではなく中身を見てほしい。知ってほしい。
親にこっちを見てほしかったんだなぁ、わたしに関心を持って話を聞いてほしかったんだなぁっていう幼いわたしのきもちに気がつきました。
インナーチャイルドっていう言葉に出逢うのも内観っていう言葉に出逢うのもまだまだ先のことだけど、置き去りの自分の影響を自覚したのはこのときでした。
そこからは幼いときのことを思い出しては書くことが増えました。

自分の内側っていう目に見えないかたまりの、ほんとに表層から薄皮を剥ぐように、内側に向かってこつこつと自分を剥き出しにしていきました。
人に伝わるように説明しようとすると、あのときの出来事や感情を言葉で追求します。
その過程が自己理解につながります。

手帳などにこっそり書き綴るだけでもおなじような効果はあると思います。
いつか読み返したときに『あのときわたしはこう思っていた』という自分の感じかたの変化を感じられます。
そして、なにかを感じて書くことは心のなかがいつもすっきりとして風通しが良くなります。
だれにも読ませなくても心から言葉を出していくことをかなりオススメします。

せっかく本来の自分に繋がる天然石のお店の石を持ってる。
石にチカラがあるからそれだけでも心は癒され浄化されていくだろうけど、そこに言葉のチカラを加えてほしいです。
言葉には言霊があります。
ふんわりとした言葉未満の想いよりは、言葉にして文章にしてふわふわ漂う想いたちを整理していきます。
そして、
『わたしは変わる』
『わたしは本来の自分を生きます!』
『本当の人生を生きます!』
ってはっきりと言葉で表明したほうが魂にも宇宙にも自分自身にも響き渡ります。
はっきりと言葉で意図することで自分を無自覚に囲んできた枠が壊れ、扉を開きます。
本気を示すために、変わりたいです、生きたいです、ではなく、変わる、生きる、と断言しましょう。
この宣言を自分が聞いています!
このように言葉にするということは、現実を具体的に変えていく強い影響力を持っています。

これからは光となる記憶だけを持って、ほかは手放してしまいましょう。
手放したところに天然石の愛を満たして、そして自分の内から光を発して生きていきましょう。

 
 
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章子さんと共著しました、書籍「石たちに導かれて 体験編」はこちら