わたしの生い立ち
これから時々エッセイ的に私の思いを綴っていくことになりました。
私の人となりや世界観をお楽しみいただけると幸いです。
さて、今日のお題は「私の生い立ち」です。
よろしくお付き合いくださいませ😊
私は半世紀ほど前大阪生まれの父と新潟生まれの母との間に長女として生まれました。
4つ下の弟がいます。
父はパン・ケーキ職人でいつも忙しく働いていました。
父は職を転々とし裕福ではなかったけれど、やりたいことをやって人生を楽しんでいたと思います。
そんな父を支えようとした母親との間に思い出があります。
それは私が3歳ぐらいの時。
母は託児所付きの職場を見つけて働こうとしたのです。
ですが私は強制的にお昼寝をさせられるのが嫌で嫌で💦
「絶対に嫌だ😭〜‼️」と大騒ぎしたそうです🤭
母は数日でその職場を辞めることになりました。
私は当時から嫌なことは嫌とはっきりいう性格だったのですね。
それは今でも変わりません。
両親は私に何かを押しつけてくることは決してなくいつでも見守ってくれ、やりたいと思ったことは全てやらせてくれました。
裕福ではないのにお金がないからとは決して言わなかったのです。
たぶん、それはきっと私が頑固だったから(笑)
言っても聞かないと悟っていたのでしょう😅
怒られた記憶もありません。
私はそんな両親の愛情をたっぷりと受けてすくすくと育ちました😊
私はちょっと変わった子どもで、人には見えないものが見えたり、いつも何かとおしゃべりをしていたんです。
何も見えないのに人の気配を感じることがあり、その感覚は結婚して暫く経つまで続いていました。
生まれつき人には感じられない「氣」を実際に感じとっていて、一度人の所有物になったものはその人の思い(氣)が宿ると感じ、中古品を使うことができませんでした。
頑固で自分なりのこだわりがあって、ず〜っとしゃべりっぱなしだった私を「うるさい!」と怒鳴ることもなかった両親。
優しく根気強い2人に心から感謝しています✨
たっぷりと愛情を受けて安心感に包まれていた私。
ふり返って見ると、昔から良い香りやキラキラするもの、海で聞く波の音や、野原で草花を集めたりと五感で感じるものが好きでしたね〜。
誰かと遊んだりするよりも、自分の好きな世界を楽しんでいる方が好き、ぼ〜っとする静かな余白時間が大好きでした。
そういう子どもの頃に好きだったものって何十年経っても変わらないんだなぁ、と天然石と出逢うことで思い出しました。
昔、無邪気に楽しんでいたこと。
そこに魂をキラキラと輝かせて生きるためのヒントがありました。
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