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覚醒とは

社長ブログ

覚醒とは

2024/07/02 instagram投稿

当店で主張している事って地味なんですけど、実は「地味こそ凄い」んです。
実践いただくことで覚醒することが出来ます。
実際に私たちが書いていることを「素直に」実践できる方は、覚醒体験をしています。
でもこの、「素直」ってのがなかなかに難しい。
みんな自我があるから、素直に出来ないんです。
人によっては途中から信じられなくなったり、飽きちゃったり、自分なりのアレンジを加える人もいます。
実は、「こいつの言っていることが信じられない」とか、「なかなか効果が体感できない。他の念とか技の方がいいのでは❓」とか、「大きな石がいいって書いてあるけど、私には9,000円の石が精一杯。だからこれで頑張る」
なーんて考えるのは全て自我の仕業。

自我を取り払いたくて始めた取り組みなのに、いつの間にか自我に取り込まれてしまうかたが大勢いるんです。

それほど自我ってのは、しぶとい存在。
目をそらそうとすればするほど、大きくなる。
さらに狡猾な自我は、自我で無いふりをして、あなたを自我の中に閉じ込めるチャンスを虎視眈々と狙っています。

ということで、今日は覚醒とは何だろうかというお話をしてみたいと思います。

私が常々申し上げているとおりなのですが、私たちって自我という「殻」をみんな持っています。
そして自分という意識をその自我の中に閉じ込めてしまっています。
自我というのは「自分とはこういう存在」と考える観念だったり、「こんなことをしてはいけない」、「こう生きるべきだ」などという制限的な思考です。

覚醒とは、その自我の「外に出る」ことです。
そして自我を自我として認識出来る様になることです。

この覚醒の体験というのは、ハタから見ると何も変化していないように見えますが、本人にとっては革命的な認識の転換です。
例えるのは大変難しいですが、「表裏が入れ替わる」様な感じ。
「次元が切り替わる」様な感じ。

まぁとにかく、「スゲー」って感じなのです。

そして覚醒を体験すると、様々な気づきがやって来ます。
私なんかも、最近は落ち着いてますけど、覚醒した直後は大変だった💦
もう、怒濤のごとく様々な情報が押し寄せて、メモを取るのが大変なほど。
当時私は寝ずにメモってましたからね😅

イメージとしては、自意識が今まで様々な気づきを妨げていた自我の外側に出ることで、宇宙が降らせてくれている叡智をキャッチできるようになる…そんな感じです。

そしてその叡智の中に「自分こそ創造主である」というものが含まれます。
私が良く書いている「魂と本当の自分と自我」の関係も見えてくるのです。

これが分かっちゃうと、世の中が如何に軽薄であるかも分かるようになります。
多くの人が自我に操られ、自分を飾り立てます。
インスタでも自分に肩書き付ける人いるじゃないですか。
「…セラピスト」
「…アドバイザ」
「…コンサルタント」
「…デザイナ」
「月商?億円の何とかなんとか」

これらが人にいい顔をしたいための自我の働きである事が見抜ける様になります😆。
(マジ馬鹿馬鹿しくてヘソが茶を沸かすわ😆)

だから覚醒を体験すると人を頼りにする事は無くなる
だって、自我に操られた人に付き従ったって碌なことないですよ❓
金を巻き上げられるだけなんですから。

そして頼りにすべきなのは自分自身(自分の魂)だけだということがはっきり分かります。
従うべき規範は自分自身だけ。
Going my way.
これこそが生きるべき道である事を知り、自分に寛ぐことが出来るのです。
そして自分を受け入れると、癒やしが訪れます。

覚醒って言葉は凄いし、難しそうな印象を与えますが、「癒やし」と同義なんですよ。

よく「〜さんみたいな人になりたい」なんて言う人いますけど、覚醒を体験すればこれが如何に馬鹿げた考え方であるかが分かります。
あなたはあなたのままでいい。
…というか、
あなたはあなたのままでしかありえないんですから。

先ほど「自我はしぶとい」って書きましたけど、本当にその通りで、ありとあらゆる手段で生き残りを図る自我を追いやって覚醒を起こすのは至難の業です。
昔から悟りって難しいと言われているじゃ無いですか。
それって本当にその通りなんです。

でも、私は「水晶には人の意識の覚醒をもたらす力がある」と言うことを発見しました。
もちろん、最初にも書いたように私の言うことをそのまま、「素直に」実践して貰う必要はあります。
でも、素直に、実直に取り組んでいただくことで、古来より難しいと言われていた悟りの境地に達することが可能です。

当店の言っていることは、石にエネルギーを込めたり、技を掛けたりして「石の差別化」を図ることではありません。
そもそもそんなこと出来るわけが無い。
それらは「売り上げを上げたい」というお店の人の自我が考え出した「砂上の楼閣」にすぎません。
言葉で如何に飾り立てても、そして難しげな横文字で人を威圧しようとしても、砂上は砂上。
真実という波が押し寄せれば一瞬で消えてなくなるような幻に過ぎないのです。

真実はシンプルで地味です。

あなたにはその真実を見分ける力があるでしょうか。