無難な人生ってどういうこと❓
2024/8/7 instagram投稿
先の投稿「『水晶に導かれる』ってどういうこと❓」の中で私は「みんな魂の願いを忘れて無難な人生を送ろうとする」と書きました。
この「無難な人生」って何かって言う話をしたいと思います。
「無難」という言葉を調べると、以下のような定義があります。
「これと言った特色はないが、格別非難されるような点もないこと。平凡でまずまず無事といったものであること。」
平凡という言葉は、平均的というような意味合いを持ちますよね。
だから、世間一般がいう平均的な生き方を無難な人生と言ってもいいのかなと思います。
「世間一般が言う平均的な」という定義は、ほぼ「常識」といえるようなものだと思います。
だから無難な人生ってのは常識的な人生とほぼ等価です。
常識という言葉は「社会一般に当たり前だと思われていること」を意味します。
だから無難な人生ってやつは、大体ステレオタイプ化した人生のことを指します。
つまり、普通に教育を受けて、普通に会社に勤め、普通に結婚し、普通に子どもを作り、普通に退職して、普通に死ぬ…
これが大体の人にとって無難な人生と言えるものと言えると思います。
でもですよ❓
ここからが重要なところです。
実は「常識」というものは人それぞれ違うんです。
だって考えてもみてください。
みーんな、生まれた環境も違えば、家庭環境も違えば、受けてきた教育も違う、見ているテレビの番組だって違うし、付き合う人も違うんです。
そのうえ性格なんてそれこそ、十人十色。
強気な人もいれば、弱気な人もいます。
(それ以前に強気と弱気の定義すら人それぞれですね😆)
こんなふうに人ぞれぞれ全く違う「常識」を信じているのです。
だから、誰にとっても全く同じ「無難な人生」なんてないんです。
ということで、「無難な人生を生きる」ってことは、
「自分が常識だと信じる生き方を生きる」
ことに他ならないんですよ。
で、この「常識と信じる生き方」がその人の幸せに繋がってりゃいいんですが、大抵向かっていないんですよ。
そこが問題なんです。
例えば私の「無難な人生」はさっきも言いましたが、
「普通に教育を受けて、普通に会社に勤め、普通に結婚し、普通に子どもを作り、普通に退職して、普通に死ぬ…」
ほぼこれでした。
この人生、生きながらもなーんか変なんだよなーと思ってはいましたが、日々の暮らしもあるし、家族も食べさせなければならないから…と自分の気持ちに蓋をして長年生きて来ちゃいました。
若いうちはまだ、サラリーマンという生き方も未来があるような気がしました。
自分の給料が青天井になる可能性もありましたからね。
でも、自分が課長になり、部長になり…と会社のステージを進んで行くと、私の「なーんか変なんだよなー」という気持ちはどんどん強くなっていきました。
そしてついに気づいたのです。
「サラリーマンの先には何もない」
と言うことに。
今は経営者ですから、この「先がない」の本当の意味が分かります。
経営者は社員を経費を使うために雇っているだけ。
社員を愛しているから、幸せにするために雇っているわけでは決してないんです。
ですが、サラリーマンの立場ではそんなこと分かりませんから、ことある毎に「会社は愛がない」、「この会社はダメだ」と会社に文句を言いながら不平たらたらで会社に依存した人生を送って来ちゃいました。
「会社は自分の人生をなんとかしてくれるはずだ」と会社に自分勝手な妄想を抱きながら。
まぁこんなふうに「無難な人生」っていうのは、自分が勝手に作り出した「常識」という「妄想」の中で、なるべく平穏に生きようとすることです。
あなたの「無難な人生」はなんでしょうか。
そしてそれは幸せに繋がっているでしょうか😊
是非考えて見てください。