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石にすがる人ほど、遠ざかる|パワーストーン依存という罠

社長コラム

石にすがる人ほど、遠ざかる|パワーストーン依存という罠

先日、あるお客さまから、こう尋ねられました。
「私に向いていない石を、波動転写で、向くように変えられますか?」と。
正直に言えば、少し、腹が立ちました(笑)。
でも、その問いの奥には、とても多くの人が陥っている、大切な誤解があります。
今日は、その話をさせてください。

「すがる」とは、何を宣言しているのか

石にすがるとき、あなたは、心のどこかで、こう言っています。
「私には力がない。だから石よ、あなたが何とかしてくれ」と。
すがるという行為は、その一歩目で、あなた自身の無力を、宣言してしまっているのです。
第1話で書いたとおり、石に力はありません。
だとすれば、力のないあなたが、力のない石にすがっている。
無力な者どうしが、互いにもたれかかっているだけの姿です。倒れないわけが、ありません。

なぜ、すがるほど、効かなくなるのか?

私たちを本当に苦しめているのは、外からくる不幸そのものより、「自分ではダメだ」「自分には足りない」という、心のこわばりのほうだ、と私は考えています。
水晶は本来、そのこわばりを、ゆるめてくれる相手です。
清らかで揺らがない水晶の澄んだありようがそばにあると、こわばった心が共鳴して、少しずつほどけていく。
これが、私の信じている水晶の仕事です。

ところが、「すがる」は、これと真逆に働きます。
私は、人間を、自分の現実を創り出す創造主のような、力強い存在だと考えています。
「私はダメだ」と思えば、ダメな私が創られる。
しかもその力は、水晶なんかより、ずっと強い。
だから、すがって「この石がないとダメだ」と思った瞬間、あなたは「自分には力がない」という、いちばん濃い不安を、自分の手で握りしめてしまう。
水晶がほどこうとしているものを、あなた自身の手が握って離さない。
だから——すがるほど、遠ざかるのです。

「すがれば救われる」という商売の正体

私には、どうしても許せないものがあります。
この「すがりたい心」につけこむ商売です。
「この石にすがれば救われます」「この石を買えば、お金持ちになれます」。
不安を煽り、依存させ、また次の石、次の石と買わせる。あれは救いではありません。
依存の、再生産です。人を弱いまま手元に縛りつけ、その人が自分の足で立つ日を、永遠に奪っている。

これは、私が好きになれない教会(宗教)と、同じ構造です。
組織を存続させるために「あなたは弱い」「あなたは罪深い」と吹き込む。
本来、心の安寧を得るために通うはずが、通うほど依存の罠にはまっていく。
石の依存商法も、まったく同じ。本来は力強い創造者であるあなたを、「弱者」という罠にはめる行為に他なりません。

すがるのを、やめてみる

では、どうすればいいのか。
すがるのを、やめることです。
石を、あなたを救ってくれる「主人」の座から、そっと下ろしてください。
そして、隣に置く。
拝むのではなく、ただ共に在る相棒として。
手のひらにのせて、その冷たさと重みを感じる。何も求めずに。
不思議なもので、求めるのをやめたとき、はじめて水晶は静かに仕事をはじめます。
握りしめた手をほどいたとき、こわばりがゆるむ。
水晶の澄んだありようと、あなたの心が、そこでやっと共鳴するのです。

すがる手は、握っています。開いた手は、受け取れる。同じ手なのに、向きが、逆なのです。

主役は、あなたです

だから、覚えておいてほしいのです。
あなたは、石にすがらなければ立てないほど、弱くない。
あなたを救う力は、石の中ではなく、あなたの中に、ずっとあります。
水晶は、それを肩代わりする主人ではありません。
あなたが、あなた自身の力を思い出すのを、隣で静かに手伝う。
それだけの、相棒です。すがらなくていい。ただ、共に在ればいい。手を、ゆるめてください。

それでは、今日もごきげんよう。


すがるためではなく、共に在るための一石を

FieldStonesでは、効能や「すがれば救われる」といった言葉を一切うたわず、石そのものをご覧いただけるようご紹介しています。
あなたを救う主人としてではなく、あなたの隣に、ただ静かに在る相棒として。
求めずに、共に暮らせる一石を、どうぞ探してみてください。

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