「自分はダメだ」という声を、真に受けなくていい理由
前回の記事では「機嫌は天気任せにせず、自分で選べる」というお話をしました。けれど実際にやってみると、すぐに気づきます。機嫌よくいよう、と決めたそばから、頭の中で誰かがブツブツ言い始める——「どうせ」「あいつのせいだ」「自分なんて」。ご機嫌でいることを、いちばん邪魔してくる“あいつ”の正体について、今回は考えてみます。
誰の頭の中にも、実況中継の声がいる
少し自分の頭の中を観察してみると、ほとんど一日中、何かが喋っているのに気づきます。あれを評価し、これと比較し、先を心配し、過ぎたことを後悔する。朝から晩まで、ほぼノンストップ。これは特別なことでも、あなただけのことでもありません。誰の頭の中にも、この実況中継アナウンサーが住んでいます。私の頭の中にも、もちろんいます。
その声を「聞いている」のは、誰か
ここで立ち止まって考えてみます。その声を、私は「聞いて」いて、「うるさいな」と思っている。ということは、聞いている私と、喋っている声は、別々のものではないでしょうか。観察できるものは、観察している自分そのものではありません。目の前のコップを見ているとき、あなたはコップではない。同じように、頭の中の声を聞いているとき、あなたはその声ではないのです。声は、あなたが“持っている”ものであって、あなた“そのもの”ではない。私はこれを、消し忘れたまま鳴りっぱなしのラジオのようなものだと考えています。部屋でラジオが鳴っていても、自分がラジオになるわけではありません。
その声は、たいてい“本当のこと”を言っていない
しかも、このラジオはけっこういい加減です。もともとこの声は、大昔に祖先を生き延びさせるための仕組みでした。危険を先回りして心配し、比較し、最悪を想定する、お節介な見張り番です。けれど現代では命の危険などめったになく、見張り番は暇を持て余して働き続け、ありもしない危険を探しては「お前はダメだ」と鳴らし続ける。つまりあの声は、「正しい」のではなく、ただ「うるさい」だけ。「自分はダメだ」は事実の報告ではなく、古い口癖にすぎません。あの厳しい声の判決を、まともに受け取らなくて大丈夫です。それはあなたへの正当な評価ではなく、ただ鳴りっぱなしの癖なのですから。
戦わなくていい。ただ、気づくだけ
では黙らせればいいかというと、これがうまくいきません。黙れと思うほど、声は大きくなる。声と戦うと、たいてい負けます。やることは、もっと簡単です。ただ「あ、また例の声が始まったな」と気づくだけ。気づいた瞬間、声と自分の間にほんの少し隙間ができて、飲み込まれていた状態から、声を“眺める側”に戻れます。この小さな隙間が効くのです。
ひとつだけ混同してほしくないのは、これは「感情を消せ」という話ではないこと。悲しい、寂しい、悔しいといった“感情”は、ちゃんと感じていい。前回書いたとおり、つらい時はつらくていいのです。今日の話はそれとは別で、四六時中ジャッジしてくる“実況の声”のほう。感情は感じる、けれど見張り番の口癖は真に受けない。この線引きが大切です。
静かな石が、小さな隙間を手伝ってくれる
これは私の体感の一例ですが、静かな水晶を手に握っていると、その「気づく」がなぜかやりやすくなる感覚があります。石が何かをしてくれるわけではありません。ただ、手のひらの中の、しんと静かで揺るがない存在が、ざわつく頭との間に小さな隙間を作るのを手伝ってくれる。古くから水晶が「心を鎮める石」と伝えられてきたのも、案外こういうことなのかもしれません。頭の中の“うるさい声”は、あなたではありません。あなたは、それを聞いている側。鳴りっぱなしのラジオの、持ち主のほうです。主役は、いつでもあなたなのです。
ざわつく日の、静かな相棒に
FieldStonesでは、効能をうたわず、手のひらで静かに馴染む石を一つひとつ選んでご紹介しています。眺めて、握って、少し心を鎮める——そんな一石を。最初の一石にお勧めのガネッシュヒマールクォーツをご紹介します✨
頭の中の声との付き合い方や、ここに書ききれないお話は、公式LINEで少しずつお届けしています。