量子論・脳・聖書が、同じ一点を指す|人は誰もが創造主である理由
あなたの世界は、あなたが創っている。——こう書くと、「引き寄せ」の話を始めた、と身構える方がいるかもしれません。
でも、今日の話は、その真逆です。私はこの結論に、量子論・人間の身体の仕組み・聖書という、三つのまったく違う入口から辿り着きました。感情論ではなく、論理として。
順にお話しします。
その前に——「波動」という言葉について
この話は、実は「波動」の話です。
ただ、この言葉は、これまで数多くの”それらしい”語り手によって、ずいぶん軽く扱われてきました。
だから、「波動」と聞くだけで身構える方も多いでしょう。
先に、はっきりさせておきます。私が語る波動は、あやしいエネルギーのことではありません。
ひとことで言えば、「可能性」のことです。なぜそう言えるのか、ここから順に説明します。
入口その一・現実は、見るまで決まっていない
まず、量子論。難しい数式の話はしません。
ひとつだけ確かなことがあります。
この世界のいちばん小さな階層では、ものごとは「見られるまで、決まっていない」。
あらゆる可能性が、重なったまま漂っていて、誰かが観察したその瞬間に、可能性のひとつが選ばれ、現実として像を結ぶ。
私はこの「あらゆる可能性」を、波動と呼んでいます。
世界は一つに見えて、実は無数の可能性を含んでいるだけで、まだ何も確定していないのです。
入口その二・あなたが見ている世界は、本物か?
次に、人間の身体の話です。
あなたは今、この世界をリアルに感じています。
でも、冷静に考えてみてください。
あなたの目は、光を受け取るただのセンサーです。
耳も、皮膚も同じ。そのセンサーが拾った信号を、あなたの脳が組み立てて、「これが現実だ」という像を作り上げている。
つまり、あなたが見ている世界は、外にあるのではなく、あなたの内側で構築されているのです。
観察とは、どこまでも個人的な体験です。
だとすれば、現実は一人ひとりの心の中にしかなく、みんなそれぞれ、自分が信じる現実を見ていることになります。
二つの入口が、出会う
量子論は言います。
「現実は、観察されて初めて決まる」。
身体の仕組みは言います。
「その観察は、一人ひとりの脳の中で起きている」。
この二つを重ねると——現実とは、外にみんな共通のものが一つだけ存在しているのではなく、一人ひとりが、無数の可能性の中から選び取って、結像させている像だ、ということになります。
あなたは、あなたの現実を、ただ見ているのではない。
創っているのです。
入口その三・「自分に似せて創った」
三つ目の入口は、聖書です。私は幼児洗礼のカトリックとして育ち、聖書の言葉を耳にたこができるほど聞いてきました。その中の一節——「神は、人を自分に似せて創った」。長いあいだ、私はこれを「姿かたちを似せた」と読んでいました。でも今は、違うふうに読んでいます。神が人に授けたのは、顔や手足ではなく、創造する力だ、と。無から世界を創り出したあの力のひとかけらを、私たち一人ひとりに分け与えた。そう読むと、さきほどの二つの入口と、ぴたりとつながるのです。
だから、あなたは創造主です
量子論、身体の仕組み、聖書。
まったく違う三つの入口が、同じ場所に出ました。
これは夢物語でも、妄想でもない。
一つの論理的帰結なのです。
あなたは、あなたの世界の創造主です。
そしてこの力は、恐ろしいほど強い。
あなたが「私はダメだ」と思えば、ダメなあなたが現実として結像する。
「世界は冷たい」と信じれば、冷たい世界が立ち現れる。
あなたはそれほどの力で、日々、自分の世界を創っている——たいてい、それに気づかないまま。
だとしたら、どんな可能性を選び取るかは、あなた次第です。
あなたには、それを選ぶ力が、はじめから備わっています。
水晶は、それを思い出させる
では、水晶は何のためにあるのか。
水晶が、あなたの現実を変えてくれるからではありません。
何度でも言います。
水晶に、そんな力はない。
水晶はただ、あなた自身が創造主であることを、静かに思い出させてくれる。
澄んで揺らがないその姿が、あなたの内側にある力を映す、鏡になる。
あなたの世界は、あなたが創っている。
そのことを本当に思い出したとき、あなたの世界は、少しずつ、その姿を変えはじめます。
それでは、今日もごきげんよう。
あなた自身を映す、鏡としての一石を
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