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「主従逆転」が起きる日|あなたは被害者じゃなく、現実の創り手だった

社長コラム

「主従逆転」が起きる日|あなたは被害者じゃなく、現実の創り手だった

前回、水晶と暮らして最初に訪れるのは「静けさ」だとお話ししました。その静けさが続くと、次に、もっと大きなことが起きます。今まで握りしめていた「自分の人生」が、ある日ふと、まるごと違って見える。私はこれを“真の癒し”と呼んでいて、古い言葉で言えば「覚醒」といわれる体験です。大げさに聞こえるかもしれませんが、これは私が地獄の底で掴んだ、一本の蜘蛛の糸の話です。

まず、底まで降ります

覚醒だの希望だのと言う前に、はっきりさせておきたいことがあります。あなたが味わったつらさは、本物です。理不尽な目に遭ったのも、傷つけられたのも、裏切られたのも、軽く扱われていいものではない。「あなたのせいだ」なんて、私は言いません。私自身、全財産を失って地獄の底にいた人間です。だから上から蜘蛛の糸を垂らして「さあ登れ」と言う気はありません。まずは、あなたの隣に座ります。その上で、底にいたからこそ見つけた一つのことを、話させてください。

「主」と「従」が、入れ替わる

私たちはずっと、頭の中の声を「主(あるじ)」だと思って生きてきました。自我が「お前はダメだ」と言えば落ち込み、「あいつのせいだ」と囁けば恨み、「お前は被害者だ」と言えば被害者として生きる。声が主人で、私たちはその命令に従う“従者”でした。けれど、ある時気づくのです。その自我、よく見たら、後付けの作り物ではないか、と。生まれたての赤ん坊に「お前はダメだ」という自我はありません。あれは経験や他人の言葉で組み上がった、いわば“プログラム”。本物の主人ではない。私たちは、自分で作ったプログラム(自我)を主人だと思い込んで、ずっと従ってきただけだったのです。

これに頭でなく体感レベルで気づいた瞬間、主従が引っくり返ります。自我が主で自分が従だったのが、自分が主で、声はただの作り物の戯言だった、と。これが「主従逆転」。世界の見え方が根っこから一変する、人生の“パラダイムシフト”です。私が覚醒と呼ぶものの、正体です。

「被害者だった」が、引っくり返る

主従が逆転すると、「自分は不運な被害者だ」という物語そのものが、実は自我が書いていた脚本だったと見えてきます。そして気づくのです。脚本を書いていたのが自分(の作ったプログラム)なら、書き換えられるのも自分だ、と。ここを誤解しないでください。「お前の不幸はお前のせいだ」と責めているのではありません。まったく逆で、これは罰の宣告ではなく、力の発見です。

過去は変えられない。他人も社会も、変えられないように見える。もしあなたがただの被害者なら、もう打つ手はありません。でも、もし「自分が、この現実を創り出していた」のだとしたら——唯一変えられる“自分”という一点から、現実そのものが変わりうる、ということになる。自分が変われば、現実の見え方が変わり、現実への関わり方が変わります。そして、あなたが変われば、実際に現実が変化していくのです。「お前が創った」は地獄では呪いに聞こえますが、向きを変えれば「あなたになら、創り直せる」という希望になる。これが、地獄に降りてきた一本の蜘蛛の糸なのです。

“真の癒し”とは、力を取り戻すこと

だから私が言う“真の癒し”は、傷が消えることではありません。傷はあっていい。つらかった事実も消えなくていい。癒しとは、「私は被害者じゃなかった。私の思いこそが、現実を創り出していたんだ」と、自分の主体性を取り戻すこと。被害者の椅子から自分の足で立ち上がり、蜘蛛の糸を掴んで、自分の力で登りはじめること。外から誰かに救ってもらうのではない。自分こそが自分を救える唯一の救世主だと知る。それが、本当の癒し体験なのです。

覚醒なんて、たいそうなものじゃない

ここまで「覚醒」と大きな言葉を使ってきましたが、最後に肩の力を抜く話を。覚醒とは、修行を積んだ覚者だけが到達する特別な神秘体験ではありません。「この“自分はダメだ”って声、よく考えたらただの口癖じゃないか」「“被害者だ”と思い込んでいたけど、そう決めていたのは自分か」——その程度の、ふとした“ビックリ体験”でいいのです。誰にでも起こせる。今日この瞬間にだって起こりうる。神秘を、わざわざ神秘にしなくていい。覚醒は、誰でも起こせる。覚者として知られた仏陀も、イエス・キリストも、私たちにそう語りかけてきた——私はそう確信しています。彼らは、特別な誰かだけが選ばれると言ったのではなく、あなたの中にも同じ光がある、と伝えにきたのだと思うのです。

これは私の体感の一例ですが、静かな水晶を握っている時間に、その“ビックリ”はふっと訪れやすくなります。水晶が悟らせてくれるわけではありません。ただ、水晶がもたらす静けさの中で、上から降りてきた蜘蛛の糸に、気づきやすくなる。古くから水晶が「心を映す石」と伝えられてきたのも、こういうことなのかもしれません。

今日、まだ蜘蛛の糸を掴めなくても、いいのです。底に座り込んだままの時期があっていい。蜘蛛の糸は逃げません。あなたが顔を上げたくなった時に、いつでもそこにあります。あなたは、ただの被害者じゃない。この現実の、創り手のほうです。主役は、いつでもあなたなのです。


静けさと、気づきの、相棒に

FieldStonesでは、効能をうたわず、手のひらで静かに馴染む水晶を一つひとつ選んでご紹介しています。うるさい声のボリュームをそっと下げ、自分が主に戻る——その時間の、相棒に。

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